暦を意識してみる、1月(睦月)の場合
「新年」となると新しい気持ち、物や事を意識するけど1月も中頃にもなると
年末年始に飾った松飾りや注連縄飾りなどを焼く「左義長」「どんど焼き」(地域によって呼び方は異なる)など、大きな火が使われる行事が全国各地に増えてくる。
そんなわけで今年は1/14-16に行われた、神奈川県「大磯の左義長」、長野県「新野の雪祭り」、長野県「野沢温泉の同祖神祭り」を見学しました。
13日夜、神奈川県大磯に到着。
大磯北浜海岸エリア各地区ごとに小屋が建ち、子供達は同祖神が祀られている祠の中に入ったり、ときどき太鼓など打ち鳴らし、大人たちは、松飾や注連縄など持ってくる地域の人との会話を楽しみながら翌日の準備をしている様子でした。
14日午後、前日は何もなかった大磯北浜海岸に9つの”サイト”と呼ばれる円錐形の山が出来ていました。
海岸を歩くと、同祖神の祀り方や仮宮と呼ばれる縄で縛られた箱(悪霊、疫病神?が押し込められているという)など、各地区ごとの特徴をみる事が出来ました。
本番?の夜まで居たかったが、残念ながら長野県へ移動するのでした。
14日夜、長野県阿南町にある伊豆神社へ到着。
境内では神事が行われており、ちょうど大松明へ火が点火されるところから明け方まで新野の雪祭りを見学することが出来ました。
最後の「田遊び」行事まで見られなかったので、また来年。
15日午後、野沢温泉村に到着。
村内の宿泊施設を利用している人のみ道祖神祭り会場の入場チケットがもらえるとのことでした。温泉街の奥には、古くから地域の鎮守であったという湯沢神社が鎮座しています。町中を歩くと、祭りに奉納される初灯籠が道のすぐそばに立っていました。
初灯籠とは、前年に初めての子が生まれた家庭から奉納されるもの。中心柱に垂れ幕・瓔珞・傘・御幣などを飾り付け、最終的には約9メートルにもなり圧巻の大きさです。
今回訪れた野沢道祖神祭りは「三夜講」とよばれる厄年の男性たちが中心となって運営されます。前年の秋ごろから着々と準備が進められ、1月13日に社殿に使うご神木を会場まで運搬する「里曳き」、14日から社殿の組み立てが行われ、火祭り当日の昼頃には社殿が完成します。
町中にあった初灯籠が住民の手で会場に到着すると、子どもを中心に住民の方が「道祖神の唄」を繰り返し歌う中で初灯籠が掲げられます。そして20時半。ついに火祭りの見どころである攻防戦の始まり。
松明から火をもらって社殿に火を点けようとする住民と、それを杉の枝でたたき消して社殿を守ろうとする厄年の男性陣との攻防も他ではなかなか見られない迫力あるものでした。攻防は22時過ぎまで続き、最終的には守り切られた社殿に点火。その後、社殿だけでなく初灯籠も燃やします。
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【左義長・どんど焼きとは?】
元旦を「大正月」というのに対して、1月15日は「小正月」と呼ばれます。最近では元旦を祝った後は鏡開き・七草粥などを行うのみという方が多く、小正月の印象は薄いものになっているかもしれません。
しかし、かつては元旦から連日「今日はこのような行事を行う日」と地域ごとに習わしがあり、小正月を一連の正月行事の締めくくりと位置づける地域も多かったようです。
小正月にあたる1月15日には「道祖神」の祭りを行う地域が多く、今回の野沢道祖神祭りも日付や道祖神の存在から、その1つではないかと考えられます。
道祖神にはさまざまな表記・呼ばれ方があり、ドウソジンの他にもドウロクジン・サエノカミなどの名前があります。サエノカミは「通れないようふさぐ・さえぎる」といった意味をもつ名前で、塞の神・障の神と表記する地域が多いです。
道祖神(サエノカミ)は集落の入口・道が交差する場所などに祀られ、そこで病気などの災厄が地域に入ってくるのを防ぐとされています。また、道祖神は他にも性の神・縁結びの神・子どもを守る神といわれる場合もあります。そして、小正月に行われる行事のもう1つのキーワードが「燃やす」。中でもよく見られるのが、竹で組んだ円錐状の骨組みに藁・古札・縁起物・正月飾りなどを集めて燃やす行事です。
こうした行事は左義長・どんど焼きと呼ばれることが多く、現在は北海道から沖縄まで広い地域でみられます。炎や煙は上へ昇っていくことから「来ていただいた神様を送る」ために燃やしたり、一方で「厄を集めて祓う」という意味を込めて焼いたりといった意味があるようです。
今回の野沢温泉道祖神祭りも「道祖神」「燃やす」がキーワードであり、どんど焼きと共通する部分も多いように感じました。とはいえ、竹で簡易的な小屋などを作るのでなく、山から切り出した木で堂々たる社殿を作って燃やすのは周辺地域と異なる特色かもしれません。
観光的な見どころとして有名なのは社殿に火を点ける15日の夜ですが、社殿の火は翌朝まで残っており地域の方が餅を焼きに来ていました。道祖神の火で焼いた餅は食べると1年間病気をしないと言い伝えられ「煤で黒くなった餅ほど良い」ともいわれるそうです。
さらに、16日の夜には惣代が「小豆焼き占い」を行うとのこと。これは道祖神の熾火を囲炉裏に集めて、その火で熱した土器に小豆を乗せることで今年一年の作物の出来を占うものです。
全国的に見ても「一年の無病息災を願ってどんど焼きで焼いた餅を食べる」「どんど焼きでは煤まみれになったほうがよい」とされる地域が多く、また小豆焼き・粥占など穀物を使った作占いも広い地域で小正月に見られます。
結局、あれこれと欲張りすぎたせいでどれもしっかり最初から最後まで見られずな1月の「火」の行事見学でした。でも流れと雰囲気がわかったのでまた来年に備えたいと思うのでした。。