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【生き方】たとえ穴の空いたバケツだとしても こぼれた水はまた足せば良いから

「あれ??おかしいなー、前はすらすらできたのに…」

ワタクシ、以前に覚えたことや身に付いたことが、しばらく時間をおくと、ことごとくできなくなってショックを受けることが、多々あります。

私の場合、たとえば楽器の演奏なんかがそう。

じっくり時間をかけて手順を覚えて、一時期は譜面を見なくても手(足)が動く、状態になったとしても、ほんのすこし経つと、すっかり頭と身体が忘れてしまうという。

最近は、特にピアノの練習の時に感じることが多いです。

譜面とにらめっこして、一音一音、音と指を確認して、パズルのようにつなぎ合わせてみても、数日経つと、かんたんにリセットされるという。

趣味でやっているはずが、時には賽の河原の石積み、苦行のようだと感じることもあります。

加齢?性格?記憶力?

理由を考えてみても、自分を責めるようなことにしかならないので、この際もういっそのこと開き直ることにしました。

自分は穴の空いたバケツなんだ」と。

水を足しても足しても、どこかからこぼれていく。

ひとつの穴をふさいだとしても、また別の穴が空いて、そこからこぼれてゆく。

きっとこれからの人生も、その繰り返し。

だったら、もう自分がポンコツであることを認めよう、と。

これは決して後ろ向きなマインドではなく、そんな自分も受け入れようという、ある意味自分への優しさのようなものだと思います。

くんだ水はどこかの穴からこぼれていくものだ、減っていくものだ。

減ったものは、また足せば良い。

もはや、そんな軽い気持ちで生きていけば良いのかなと。

別に自分が好きでやっていることなんて、他の誰にも影響しないのだから。

これはきっとランニングについてもそうだなぁと。

今は比較的順調に記録を伸ばしている時期ですが、この調子が未来永劫続くわけがありません。

きっとこの先、好調・不調を繰り返して、喜怒哀楽があって、それでも続けていくのだろうなという予想はしています。

私は穴の空いたバケツ。

逆に言えば、かんたんに溜まることがないバケツだからこそ、一生懸命に水をくむ作業が楽しいのかもしれません。

常に満たされたままだったら、きっと退屈な人生になってしまうでしょうね。

自分のポンコツ具合を愛でながら、今日も前を向いてすすんでいこうと、思ったしだいです。

おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫

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