「タモリ」

 小学生のころ、僕のあだ名はタモリだった。
 生まれつき、強い光で目が痛む病を患っていて、室内でも常にサングラスをかけていた。子供の顔には不釣り合いな大きさの、スクエア型のサングラスをかけた僕は、今思えばいじめっ子の格好の標的だった。
 彼らは昼休みに「お昼やーすみはウキウキウォッチン!」なんて歌いながら僕や僕の持ち物にイタズラをしたり、「タモリが女子トイレ覗いた!」なんて根も葉もない噂を流したりしていた。
 そういうわけなので勿論僕はタモリが嫌いで、「笑っていいとも!」もミュージックステーションも絶対に見なかったし、いつか東京に行けたら一発殴ってやろうと思っていた。今思えばタモリ氏本人にはなんの罪もないのだけど。
 そうして僕がタモリ氏への憎しみを積もらせていた、そんなある日のことだ。
 タモリが僕らの町にやってきた。
 その日、僕はいじめっ子たちにランドセルを奪われて、取り返すために必死に走り回っていた。サングラスがずれるせいで僕があまり速く走れないことを知っている彼らは、よくこの"遊び"をけしかけてくる。いじめっ子たちは、泣きながら追いついて、なんとか取り返そうとする僕で遊んでいた。
「タモリがまた泣いてるー!」
「すぐ泣くからなー! 泣いても返してやんねーし!」
「返せよ!」
 なんてやり取りをしていたら。
「イーシーツィン! エイファン! リョンヴォン!」
 唐突に、中国語の怒鳴り声が聞こえてきた。
 その場にいた小学生が全員固まって、声の主を見た。声の主はサングラスをかけ、髪を撫で付け、スーツを着たおじさんだった。そして、すっとぼけたそのデタラメな中国語を、僕もいじめっ子も聞いたことがあった。
「タモリ……?」
 大嫌いなその名前が、僕の口から零れ落ちた。
「やあ。元気かい?」
 紛れもなくタモリ氏その人だった。彼はなぜかその手に枇杷を持っていて、皮をむきながら僕らのほうへと歩いてきた。
「すっげー! 本物のタモリだ!」
「やべえ! タモリが二人!」
「ダブルタモリだ!!」
「ダブモリ!」
 いじめっ子たちが僕のランドセルを抱えたまま知能指数の低いことを言っているのには微塵も構わず、タモリ氏は僕のほうへと近づき、屈んだ。
「君は、目が悪いのかい?」
「うん。外すと目が痛いの」
 僕が答えると「そっか。枇杷食べる?」と、サングラスのおじさんは僕にそれを差し出してくれた。僕は首を横に振る。
「ううん。僕んちに木があるからいい」
「おや。もしかして、その先のお宅かな?」
 僕の家の庭には大きめの枇杷の木が生えていて、その年はやたら豊作だった。「どうしてわかるの?」と問うと、タモリ氏は「この枇杷、さっき君のお母さんから貰ったんだよ。美味しいね」と答えてくれた。
「タモリー! そっちのタモリの相手はいいから、サインくれよサイン!」
 いじめっ子のひとりが連絡帳を取り出してサインをねだる。連絡帳を受け取り、胸ポケットから高そうな万年筆を取り出して、彼は僕に問いかけた。
「君はタモリと呼ばれてるの?」
「うん。サングラスだからタモリだって」
「はっは。そりゃいい」
 サインを書いたタモリ氏は立ち上がり、いじめっ子たちのほうに向き直る。僕と、僕のランドセルを持ったいじめっ子のことを順に見て、 彼は口を開いた。
「枇杷の少年、さすが王族だな!」
「えっ?」
「は? 王族?」
 唐突な一言に固まる小学生たち。タモリ氏のサングラスから露出した眉が困ったように釣り上がる。
「なんだ、知らないの? タモリってね、モスクワ語で"最強の王様"って意味なんだよ?」
「え!? マジで!?」
「知らなかったー!」
 素直に信じて騒ぎだすいじめっ子たち。僕は展開についていけず、タモリ氏のことを見つめる。彼は口角を上げて僕に微笑みかけ、僕に背中を向けるよう向き直って言葉を続けた
「いやあ、てっきり君たちは彼の子分で、だから荷物を持ってあげてるんだと思ったんだけど」
「えー! 違うよー!? な、タモリ?」
「う、うん……」
「違うって言ってもな。モスクワではね、"荷物を持ってあげる"ってことは、"あなたの部下になります"って意味なんだよ?」
「えー!? じゃあもうだめじゃん!」
「うん。ダメだ。君たちみんな彼の子分。言うこと聞かなきゃ……」
 そこでタモリ氏は自らのサングラスを外した。そして、あっかんべーをして、義眼を取り出してみせた……らしい。僕のほうからは見えなかった。
「……こうなるよ」
「うえっ!?」「うわあああ!?」
 ドスの効いたタモリ氏の言葉に、いじめっ子たちは僕のランドセルを放り出して逃げ出してしまった。唖然とする僕の前で、タモリ氏は義眼を嵌めて再びサングラスをかけた。そして「どっこいしょ」と屈み、僕のランドセルを拾ってくれた。
「ほい、王様」
「あ、ありがと……」
 僕が礼を言うと、タモリは僕の頭を優しく撫でてくれた。
「枇杷のお礼だよ。美味しかった。また食べたいなあ。お母さんに伝えておいてくれる?」
「うん」
「あ、いたいた。タモリさーん!」
 ふと、遠くから声がした。マネージャーと思しき人がこちらに向かって走ってくる。
「おっと。そろそろ行かなきゃ。それじゃね、枇杷の少年……あ。サインいる?」
「あ、じゃあ……」
 そう言って僕は、いじめっ子がそうしたように、連絡帳にサインを書いてもらった。
「ホントふらっとどっか行くの勘弁してくださいよー!」
「ごめんごめん。公衆電話がなくてさ」
 そんなやり取りをしながら遠ざかる背中を、僕はぼんやりと眺めていた。
 会ったら絶対殴ってやると思っていたのに、そんな思いは吹っ飛んでしまった。

 あとから聞いたところによると、その日タモリ氏は町をぶらぶらと歩いて歴史を学ぶ類の番組の撮影をしていたらしい。後日、母親がテレビに出て大はしゃぎしていた。
 あの邂逅以来、いじめっ子たちは僕にちょっかいを出してこなくなったし、"タモリ"と呼ばれることもなくなった。そりゃ、目の前で眼球が零れ落ちたらトラウマにもなるだろうと思う。ちなみに、僕やいじめっ子が「モスクワ語なんてない」ことをはじめ、タモリ氏がデタラメなことを言っていたと理解したのは、小学生の卒業間際のことだった。いじめっ子たちとは別の中学校に行ったので、あれから酷い目にはあっていない。
 あの日僕を助けてくれたヒーローは、今日もテレビに映っていて、町をぶらぶらしている。
 実家の枇杷を食べながら、僕はすっかり顔に馴染んだサングラス越しに、壁に飾られた連絡帳を眺めていた。

 終

 ***

[書く前の思考メモ]
 開始:2017/9/20 18:25
 タモリさんというと。サングラス、七三分け、スーツ、少し出っ歯? あと福岡の人。芸人。タレントさん? 人が良さそう。ぶっ飛んでる人。デタラメ外国語
 モスクワって聞くと昔流行ったおもしろFLASHを思い出してしまうからよくない。夢見るアンディさん。
 ロシアの首都で人口1200万人。英雄都市に類されるらしい。WW2でドイツ軍などの侵略に対して激しく抵抗し、傑出した英雄的行為を見せたソビエト連邦の都市のひとつ。気軽に創作に使ったら怒られそうだな。でも行ったことないしどうしたもんかな
 枇杷は好き。箱でもらってもすぐ食べきる。皮がすぐ剥ける。今では高級品だけど、昔はそこらに生えてるやつ食べてたらしい。郷愁・・・
 ここまで書いて、2017/9/20 18:52 私用のため中断。経過時間30分。2017/9/28 00:40に再開。

[あとがき]1:49AM
「琵琶法師の格好してデタラメなロシア語を話すタモリ」とか「モスクワ人のふりして枇杷を投げてくるタモリ」とか「枇杷を食べたらモスクワにワープしちゃったタモリ」とか色々考えたんだけど、却下しました。お題に固有名詞がくると「○○な[固有名詞]」にしちゃいがちなので毛色の違うことをやりたかった感じです。
 難産だったし、収拾つけるの大変だったけど楽しかった・・・!
 念のため記載しておきますが、この物語はフィクションです。実際のタモリさんや事務所等とは全く関係ありません。あと義眼はおいそれと取るものではありません。この物語における真実は、僕がいじめられっ子だったことと、枇杷は美味しいってことだけです。

 お題:タモリ、モスクワ、びわ(果物の)。さとられさん(@satorusuper)よりいただきました。
 所要時間:1時間40分。ただし中断してる間も頭から離れなくてずっと考えてたので実質もっとかかってると思う

#二刻小説 #創作 #三題噺

🍑いただいたドネートはたぶん日本酒に化けます 🍑感想等はお気軽に質問箱にどうぞ!   https://peing.net/ja/tate_ala_arc 🍑なお現物支給も受け付けています。   http://amzn.asia/f1QZoXz