門出を祝う雨と飴

 空は晴れているのに、どこからともなく雨が落ちてきた。
 散歩の最中に出くわした、そんな妙な天気を見つめながら、婆ちゃんは「狐さんの嫁入りだね」と僕に語りかけた。
「よめいり?」
 まだ小学校に入る前のことだったと思う。嫁入りという言葉の意味がわからない僕に、婆ちゃんは「結婚のことさ」と教えてくれた。
「こういう天気の日はね、狐さんが結婚式をするんだよ」
「へえ」
 霧雨が日光を浴びて、薄い虹を作り出す。僕はそれを見つめながら、なんの気なしに言葉を零す。
「きつねさん、結婚式が雨なの、かわいそう」
「まあ」
 婆ちゃんは、驚いたような、それでいて面白がるような表情で、僕を見た。
 同じような表情は何度か見たことがある。例えば、僕がお母さんにお花を摘んでいったときとか、ご飯を作るのを手伝ったときとか。
「たしかに、そうさね」
 感心するように返すと、婆ちゃんは僕の頭を撫でる。
「この先にお狐さんがおらっしゃるし、お参りしていこうかね」
 婆ちゃんはどこからともなく折り畳み傘を取り出して、僕を入れてくれた。
「オイナリサン?」
「そ。あいにくの雨だからね。せめて、”おめでとう”くらい言ってやらんとね」
 そうして僕は霧雨の中、婆ちゃんとともに近所の稲荷神社まで歩きはじめた。

 *

「……止まねえなあ」
「止まないっすねえ」
 取引先との会議が終わり、地下鉄で会社の最寄駅まで戻ってきたところで、僕は上司と足止めを食らっていた。
 青空が広がる夏の街に、雨が降り注いでいる。雨そのものはまさにゲリラ豪雨といった様相で、僕たち以外にも多くの人が駅の出口で立ち尽くしていた。
「天気雨でゲリラ豪雨ってのも、珍しいもんだな」
 携帯で次の会議の時間を確認しつつ、課長が僕に水を向ける。外を眺めながら「どんな結婚式なんすかね」と返すと、課長は怪訝な顔で僕を見た。
「ほら、狐の嫁入りって言うじゃないですか。天気雨」
「お前よく知ってるなそんなの」
「え、常識だと思ってましたけど……」
 そんな僕の言葉に、課長は「そうかあ?」と言いながら、胸ポケットからタバコを取り出した。
「喫煙所、そこっすね」「よし。屋根がある」なんて言いながら、僕たちは歩き出す。
「子供のころのことなんすけど」
 タバコに火をつけて、僕はふと思い出したあの日のことを、課長に話し始めた。
「天気雨の日に、お婆ちゃんと稲荷神社にお参りしたことがあって」
「こんな感じの日に?」
「そんなわけないじゃないっすか。もうちょっとマイルドでしたよ」煙を吐きだして、僕は笑った。
「今考えるとおかしな話なんですけど、天気雨は”狐の嫁入り”だから、お祝いしにいこうって。お賽銭いれて、なんか飴玉だかをお供えして、手を合わせてました」
「ピュアな少年だったんだな」
 興味があるのかないのか定かでない声で、課長が言葉を差し込んでくる。その後に続いた「今はこんななのにな」という呟きには聞こえなかったふりをして、僕は話を続ける。
「その帰りがけ、霧雨の向こうに狐がいたんです」
 婆ちゃんと手を繋いで帰っていたら、番の狐がこちらを見ていた。婆ちゃんに「帰るよ」と手を引かれた僕は、それ以上近付かずに帰路を進んだ。何度か振り返ってみたが、二匹の狐はずっと同じところに立ったまま、こちらを見つめていた。
「犬かなんかと間違ったんじゃないのそれ?」
 基本的にリアリストの課長は煙を吐きながらロマンのないことをいう。
「まあ、僕もそんな気がしてます」
 今となっては見間違いかもしれないとは思う。とはいえ、あれはやはり狐だったとも思う。
 黄色い身体の前面はふかふかの白い毛で覆われ、黒く縁取られた耳はこちらを向いて、黒い靴下を履いているような前足が行儀よく前に揃えられ、二匹でこちらを見つめていた気がする。
「でも、婆ちゃんとの思い出って、なんかそればっか思い出すんですよね」
 灰皿に押し当てて、タバコの火を消す。
 雨はまだ弱まらず、課長が「コンビニで傘買ってくか」とぼやいた。
 僕は天気雨を見上げて、「んじゃ僕、飴玉買いますわ」と笑った。

 終

 ***

[書く前の思考メモ]
 ちょうど外は台風18号のせいで大雨だし、狐と雨で狐の嫁入りにちなんだお話にしようかなと。狐の嫁入り。飴玉は贈り物かな。靴下は書きながら考えるかな。主人公が子供のころに狐飴に玉をあげたら大人になった頃に嫁ぎにきた、まで考えたけどなんだろうこれ、『天気雨とともに人外の嫁ができたんだが』みたいなタイトルで深夜アニメにありそう。やめとこう。『狐の嫁入り』の天気雨の話はよく知られているけど、地方によっては狐の嫁取りとも言うらしい。こっちは絶対めでたくないやつだ。

[あとがき]
 なにかおこりそうでなにもおこらない感じ。妖怪とか異世界とかって、割とそこら中に転がってると思ってます。
 課長のモデルは僕の今の部長です。いい人なんだけどね。たまにざっくりしてるんだよね。

 お題:靴下、狐、飴玉
 びおらさん(@biora_garden)よりいただきました。
 所要時間:76分2秒

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