非喫煙者の縄張りで

 午前中から不安定だった空はいよいよ機嫌をそこねて、霧雨をさらに希釈したような意地の悪い雨が降りはじめた。
 喫煙所では部長と取引先の大学教授が煙草に火をつけて、今日の打ち合わせの内容が難しかった、なんて話をはじめたようだ。煙草を吸わない僕は喫煙所の入り口で、同じく非喫煙者のウイカワさんと無言の時を過ごす。
 ウイカワさんは隣の部署の女部長で、バリバリのキャリアウーマンだ。社会人のマナーとか礼節とかに厳しい人で、そのあたりに気を遣うのがあまり得意でない僕にとっては少し苦手な部類の人種に入る。
 今回の案件は部署をまたいだものだから同行しているわけだが、普段あまり付き合いがない上に苦手な人物なのもあり、うっすらと気まずい沈黙が流れはじめた。
「大学院まで行ったんだよね? なんの研究してたの?」
 暗さを増してきた灰色の空を眺めながら、さてこの沈黙をどうしたものかと考えていたら、ウイカワさんのほうから話しかけてくれた。
「画像処理やってました」
「あら。私も処理やってたんだよ。分野は?」
「マジすか。所属してるとこは処理と符号化の両方やってて、僕は拡張現実・・・VRとかARとかやってました」
「おお。新しいね」
 そう言ってウイカワさんはンフフ、と笑った。羨んでいるようでもあり、侮っているようでもあり、懐かしんでるようでもある、不思議な笑い声だった。
「あと、隣の席のやつがJPEG符号化の研究してたんでその辺の話もぼんやりわかる感じですね」
 ふんふんと頷くウイカワさん。今度はこちらから「ウイカワさんは?」と問いかけてみた。
「なんか3Dモデルを作るとかそういう系だったんだけど、忘れちゃった」
 何年前にその研究をしていたのかという疑問は、口に出さずにおいた。「VRの研究?」と、ウイカワさんは再び僕の研究に話を戻す。
「いや、僕はコンテンツ側で・・・あれです、プロジェクションマッピングとか。つっても5年前だから、今はなにやってるかなぁ」
「あー」
 口を開けたウイカワさんは、少しだけなにかを考える素振りを見せて。
「新しいね」
 そう言ってンフフと笑う。僕も「そうですかね」と笑った。
 再び沈黙が訪れた。さて、この沈黙をどうしたものか。僕は再び考えはじめた。

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