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#21 怖いのは否定されること

12月2日。水曜日。何気ない日だったが、異常に疲れた。ここんところはずっと晴れだな。雨が降らんね。
今日のタイトルは【怖いのは否定されること】としてみる。正直、だいぶアルコールが回っている。でも、前から思っていた、YOASOBIの「夜に駆ける」などについて書いてみるよ。

今日の記録

9時半、起床。10時半から対面授業。フルグラ、というわけにはいかず、もう乳製品は食べられないんだった。というか冷蔵庫に牛乳ない。コンビニへ。

コンビニ、食べられるもの少ない。だいたい卵は入ってる。そのまま対面授業。12時まで。ケルゼン『純粋法学 第1版』が今日で終わり。来週からはハートの訳を作らんとな。

お昼。Coco壱でカレー。午後、予習かつ、noteのコメントなど。14時半から授業。トイレ行ってたら付いていけなくなった。リアリズム法学の話。今日は17時で終了。

夜。ハート『Law, Liberty and Morality』の日訳の作成。デブリンは功利主義の観点からなら擁護できなくもないなど。21時、スーパーで買い物。22時、某くんたちとスマブラ。9%のアルコール摂取。今に至る。

怖いのは否定されること

12月になり、今年ももうすぐ終わるわけだが、2020年を代表するヒットソングは何だろうか。

僕はその1つに、YOASOBIの「夜に駆ける」があると思う。YOASOBIのファンというわけではないが、街を歩けばどこかしらでこれを耳にした。

1.2億回再生されてるとかすごいな。僕もちょっとSpotifyで聴いてた時期がある。お風呂で流したりなどなど。

・・・で、この曲にはずっと疑問があって。例えば次の歌詞、サビだけれども、

騒がしい日々に 笑えない日々に
思いつく限り眩しい明日を
明けない夜に落ちてゆく前に
僕の手を掴んでほら

忘れてしまいたくて閉じ込めた日々を
抱きしめた温もりで溶かすから

で、何が気になるかと言うと、手を差し伸べるのは僕なんですよね。まあ2番になると、「差し伸べてくれた君の手を取る」とか、相手が主体になったりするわけだけど。ただ、1番は「僕」が積極性を見せる歌詞になっている。

・・・こういう時思うのは、「拒絶されることとか怖くないんかな」ということ。実際、この「僕」は一回拒絶されている(2番の歌詞に「僕の手を振り払う君」というのが出てくる)。多分、少なくとも恋人同士ではない関係の男女を歌っているのだと思うけど、現実ならこの時点で二人の関係はおしまいじゃなかろうか。
この曲においては、最終的にはお互い分かり合えたようである。まあ、それは何より。

* * *

僕の好きな邦楽に、フジファブリックの「バウムクーヘン」というものがある。2009年4thアルバム『CHRONICLE』、1曲目に収録されている曲だ。

これ、いかに自分がダメ人間(弱い人間)かというのを歌った曲で、popな曲調と対照的に、歌詞はだいぶ悲観的である。

悲観的な分、我々ダメ人間にとっては、かなり共感できがち。例えば、1番の歌詞「僕は結局優しくなんかない  人を振り回してばかり」なんて、僕はまあ、ほんとそうだよと思ったりする。

で、この曲のサビの部分で、次のように歌っている。

言葉では伝えられない 僕の心は臆病だな
怖いのは 否定されること 僕の心は臆病だな だな

これ、結構YOASOBIの「夜に駆ける」とは、対照的だなと感じる。夜に駆けるの「僕」は、「君」の恐怖なり孤独なりなんなりを「抱きしめた温もりで溶かすから」とまで言っている。あんまり、否定されるとか、拒絶されることへの恐怖とかないんかなあと思ってしまう。

自分から手を差し伸べるというのは、我々(恋愛で憂き目を見た者)からすれば、大変リスクの大きい行為である。だって、相手から「余計なお世話」と思われたら、そこで終わりなわけですからね。
下手に相手に積極性を見せると(抱きしめたぬくもりで溶かすよなんて言うと)、 「えっと、、、私たち付き合ってないですよね?」とか言われかねないんじゃなかろうか。僕は常日頃、そういう恐怖に怯えている。

まあ、何が言いたいかと言うと、僕の心はフジファブリックの「バウムクーヘン」で止まっているということ。流行りの曲とか聞いていて、「あ、そういう世界観か」という感想を抱いたりする、とうこと。
何回も言うけど、皆さん、否定されること怖くないですか? 拒絶された瞬間関係が終わると思うと、僕はとても怖くて、積極的な態度は中々取れないです。実際、どうなんですかね。

* * *

完全に話は変わって、あいみょんの「マリーゴールド」について。もののついでということで。これ、歌詞的に謎だと思っていて。

麦わらの帽子の君が 揺れたマリーゴールドに似てる
あれはまだ空が青い夏のこと
懐かしいと笑えた あの日の恋

ここを見ると、ああ過去の恋愛(もう終わった関係)の話をしているんだなと思う。「真面目に見つめた君が恋しい」「あの日の恋」だなんて言うぐらいだし。

「もう離れないで」と泣きそうな目で見つめる君を
雲のような優しさでそっとぎゅっと
抱きしめて離さない

ただ続く歌詞を見ると、「あれ、現在の話をしているの?」と思える。「いつまでも このまま」とか言っているし、どうも二人の関係は継続して言るっぽい。
えっと、、、じゃあ「懐かしいと笑えたあの日の恋」は今も続いているの? それとも終わってしまったの? というのが個人的な疑問である。

・・・こういう時はWikipediaを頼るに限る。Wikipediaによると、

歌詞については、本人は「愛し合ってる2人が昔を懐かしんでるような、現在進行形のラブソング」としてこの曲を書いた

とのことである。ということは、二人の関係は今も続いているけれど、「あの日の恋」は続いていない(今となっては形を変えた)ということになるのだろうか。
(ちなみに、あいみょんは自由に解釈してほしいと言っている)

てっきり、失恋ソングかと思ってました。まあ、なるほどね。
ただ、付き合っている二人が、昔の互いの関係について「懐かしいと笑えたあの日の恋」なんて会話をするのかは、僕にとって永遠の謎ですね。そういう話は、別れる時にするものなんじゃないのか。わからん。

* * *

今日はそんな感じです。アルコールもあり取り立ててまとまりのない文章になりましたが、僕の言いたいことは1つ。
それは僕の恋愛観?が、フジファブリック「バウムクーヘン」に依拠しているということ。怖いのは、否定されることだよ。僕の心は臆病だな、だな。

流行りの曲の歌詞とかを見てみると、「ああそういう価値観があるんだなあ」と思った¥たりする。YOASOBIもあいみょんも、メロディだけでめちゃくちゃ心地よい神曲なので、みんなどこまで歌詞を分析しているかわからないけど。僕はそこはちょっと、そこにこだわりを持っているという話。

* * *

あんまりおもしろいことは書けなかったな。昨日、ちょっと気合い入れて書きすぎたので、今日はまあ緩めに。皆もフジファブリック聴こうな。若者のすべてとか、やっぱ名曲だぞ。



*ちなみに
「バウムクーヘン」は悲観的な曲であるが、曲名の由来は「心が空っぽ」ということではない。これは志村正彦が20何歳かの時に作った曲で、「バウムクーヘンの層が1枚1枚焼き上げられるように、20数年という年月が積み重なって今の自分ができているんだな」ということを歌った曲らしい。


参考