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#74 そのままの自分で挑む

2月10日。現在、午前3時半。ひたすら眠い。ので、手短に書きます。

今日も今日とて就活関連をしていたので、その話題。【そのままの自分で挑む】ということで。なんだかんだ、就活、気楽にやっていこうと思います。今はやたら楽観的な気持ちです。

今日の記録

午後から研究室。自己PRを書いていると、教授から手伝ってほしいことがあると言われる。期末特有の雑務。いろいろと、仕事を手伝う。そしたら一日が終わってしまった。

やりたいことはできなかったが、こういう日も「院生」感があってよい。その後は家に帰って、スプラトゥーンして、ちょっとES書いてたらこんな時間になってしまった。


そのままの自分で挑む

(3500字ぐらい、長し)

今日も就活の話。一昨日、↓のような記事を書いた。

タイトル通り、就活マインドをインストールしようというもの。就活マインドのインストールとは何なのか。ここでの「就活マインド」の意味は二つあって、一つは「受験モード」とかと同じように、とにかくそこに集中する心のこと。一応研究が本業ではあるのだが、この2月からは就活第一の心構えを身につけたいと思っている。

もう一つは、いわゆる「シューカツ」のマインド、と言って伝わるかどうか。僕はどうにも、「御社を志望した理由は」とか語ることに抵抗があって、ぶっちゃけた話、就活を見下しているところがあった。みんなで同じ服を着て(同じ服の方が安心なのでそれはいいのだが)、何の意味があるのかわからんことでも一生懸命取り組んで、虚無感に苛まれつつ、心身ともに疲弊する。就活とは虚しく情けない行為という認識があるし、できるなら避けるべきもので、そこに一生懸命な「メンター」とかは、内心かなり馬鹿にしていた。

もちろん今もそういう気持ちはあるのだが、自分も就活生になる以上、そういうニヒルな態度は捨てなきゃなあと思った。きちんと正面から向き合うということ。斜に構えていたら、いつまで経っても終わらない。ゆえに「就活マインド」をインストールしないとなと思っていた。まあこれ、ほとんど人格の矯正である。

で、就活に挑む上で人格を変えないとなと思っていたのだが、昨日今日といろいろな本を読んで、どうもそこまではしなくても良さそうだと気づいた。つまり、自己改造するのではなく、「そのままの自分で挑む」ということ。早めのタイトル回収。

筒井美紀(2016)『殻を突き破るキャリアデザイン』有斐閣

主に、昨日から読んでいるこの本の影響が大きい。これ、見た目に反して自己啓発本ではなく、内容はかなりしっかりとしたキャリアデザイン学(論)の本である。政府が進めるキャリア教育とは何ぞやとか、仕事とか働くってなんぞやというのを、アカデミックに解説している。著者の癖が強く、若干説教くさいところはあるのだが、そこらの「絶対内定!」「無敗の面接!」とか謳っている就活本よりかは、断然学びが多い。さすが有斐閣だ。ありがとう有斐閣。

少しだけ中身の紹介。著者曰く、キャリアデザイン学とは、「自己の本来的使命は何か、どんな社会で生きていきたいかを問い続ける学問」とのこと(19頁)。自己の本来的使命とか、やっぱり胡散くせえなと思った方もいるかも知れないが、これは著者も触れているように、「哲学」とかの学問はだいたいそうである。存在の意味とかは、実際多くの哲学者が取り組んできたことと思う。哲学だけでなく、文学もそうであるはず。”あなた”とはそもそ何ですか、という話になるため、マインドインストールとかとも違ってくる。
あと、「どんな社会で生きていきたいか」というのも、普段から社会政策的なことを扱っている僕からすれば、かなり妥当な問いに感じる。社会への「適合」だけを目指すのではなく、その在り方も疑ってみるということ。そう考えると、キャリアデザイン、案外面白そうだなと思えました。

そして著者は、就活をする上では、学問的な思考が欠かせないとしている。著者の言葉を借りれば、「『マジで』人文・社会科学を勉強しよう」とのこと(29頁)。

なぜに就活に人文・社会学系の勉強が必要なのか。これは説明すると長いのだが、まず第一に、社会では自分の「好き嫌い」が通用しないということがある。ここでの好き嫌いというのは、「私はこれが好きだ」→「だから私の思うとおり動いてくれ」だとか、「私はこれが嫌いだ」→「だから私にはそれをしないで」とかのこと。優しいお父さん・お母さんに見守られるような、温かい家庭ならそれが通用するかも知れない。だが、就活の相手はお母さんではなく、理不尽に満ち、汚れきった「社会」である。「社会」というのは汚れ腐ったもので、感情的に喚いたところでまず取り合ってもらえない(このことは、この本の中で繰り返し言われる)。そのため、しっかりと自分の意見を通せるように、論理的に議論を組み立てる必要があるとのこと。

(ちなみここでは、「御社の経営方針に共感しました」というESが、いかにダメダメであるかが説かれている。というのも、「共感した」というのは、換言すれば「私はあなたが好きです」という言明に過ぎず、もっと言えば、「私はあなたのことが好きなので、私のことも好きになってください」という感情的な訴えかけでしかないため。同じ理由で、「魅力を感じました」もダメ。筆者曰く、こんなのは大人(大学生)の書く文章はなく、せいぜい中学生で卒業すべし、とのこと...... とはいえ、個人的には、就活なんてそんなもんじゃね? とは思う)

で、論理的に主張する必要があるとのことなのだが、著者曰くそこで人文・社会科学の知識が役に立つということ。というのも、人文・社会科学系の学問は、この汚れた社会を批判するためのものであるし、そうした言説を多数蓄積させてきたため。社会に向き合う上で、豊富なボキャブラリーが手に入るし、思考能力も鍛えられるとのこと。一応、筆者の見解を下に引用しておこう。

大学生らしい文章を書くには、大人になること(成熟すること)が必要であり、それには人文・社会科学の学問を「ガッツリ」学ぶことが肝心です。人文・社会科学は、何が正しいのか答えの出ない、社会の理不尽さや汚さや人間の苦悩(同時に、その面白さやすごさ)について解き明かす学問であるため、そこにどっぷり心身を漬け込むことによって、汚れに対する耐性をつけながら、感性と知性とを鍛えていけます。(49頁)
……就活対策だけしてもムダなのです。その前に、自分の意見をもつための言葉や考え方を、人文・社会科学を通してガッツリと学ばなくてはなりません。自分を取り巻く人間関係や自分が生きる社会について、形になりそうでならない考えや感情をピタリと表せる表現に出会うことの快感を味わえば、自分なりの表現によって、それを語ってみたくなるものです。人文・社会科学の学びとは、みなさんがこのような創造性を発揮するための準備であり、またその最良の機会に他なりません。(178頁)

全文読まれただろうか。正直、「なんだかなあ」と思った人も多いのではないかと思う。人文系学問への信仰がすごすぎるというか、そんなに学問は万能なのだろうかとか、社会を汚いと言い切って、本当にこれが就活の対策になるの? とか、そういうモヤモヤはあるはず。まあ実際僕自身、本書全体を読んでいて、そう感じることは多し。就活の実情とかもあんまり触れられておらず、ちょっといろいろ突っ走っている感じはある。

ただ、個人的な好みとしては、人文・社会科学が大事という見解は結構好きである。自分自身に希望が持てる。というのも、もしこれが本当なら、すなわち社会に出る上で大学の学問が何よりも重要とのことであるならば、やっぱり僕のやってきたことは間違いじゃないんだなという自信が持てるので。院進していることからもわかるととおり、僕はこの辺については、人一倍熱を入れてきたつもりである。任意の卒論も書いたし、ゼミもめっちゃやってきたし、今もいろんな本を読んで、ここでもいろいろ発信している。そして僕自身、そこでの「批判的思考」というものが、今まさに社会に必要なものだろうとも思っている。もっと多くの人が、社会的な課題についてきちんと語る言葉を持つべしということ。この本では「就活」でもそれが必要とのことなので、変に人格をインストールすることもなく、そのままの自分で正解だと言ってもらえた気分になれた。

というわけで、なんとなく道が見えてきたという話でした。あんまり深く考えず、できるだけ、このままの自分で行ってみたいと思います。もちろん、筒井本を信仰するとかそういう話ではなく、今まで自分がやってきたことを、今後も信じてみようという話。まあ、だいたいのことは上手くやってきたしね。就活もこのマインドで乗り切ってみせますよ。

* * *

手短に書くつもりが、やっぱり長くなった。筒井本とか就活の心持ちについては、またいろいろ語りたいことあるので、それは別の機会に。

途中でも書いたけど、筒井本、面白いのだが、ちょっと著者の見解が独走している感は否めない。その点、内定実績のあるESとかを取り上げていた田中本(詳しくは就活マインドの記事参照)の方が、実利的ではあるなと思った。もう少し、いろんな本を読んでみたいと思います。

就活本読むぐらいなら、自分野の論文を一本でも多く読んだ方が実際的ではあるのかな。話せることも増えるわけだし。まあ、いろいろ考えながら、探求してみたいと思います。


丸太町のあたり。暗い。どんよりとしている。先行きが明るくなると良い。