「愛」とは?〜失恋と復縁を経て思うこと
今回はとあるフォロワーの方から「素敵な人との恋を終えた」との報告とともに「別れて感謝している」という言葉を聞き、なぜか不思議と久々に記事を書きたいと思ったため、これから書いていく。
今回は「愛」について。
愛とは何なのか、今思うことを伝えていく。
・
・
・
「別れて感謝」をお互いが心から思って実現することなんて不可能である。
大学生の頃の私はそんな考え方だった。
別れたなら、少なくともどちらかには痛みや苦しみが伴うもの。
それでももう戻れないことを理解しているから、諦めて感謝をしてそれっぽく終わらせる。
もしくは、向き合うことが面倒になって円満にことをすましてしまいたいからと、そこまで思っていないことを口にできてしまう人間がすることだと。
これが私の中での当時の「別れて感謝」というものに対する解釈である。
今となっては子供じみた考え方だったと恥ずかしくなる時もあるが、当時は本気でそう思っていた。
私は大学生の頃、2年半付き合った彼女と別れた。
自分の中で誰よりも本気で愛していた。
誰になんと言われても、そう断言できる恋だった。
ただ、なぜか別れの際にはその人の涙を見ることだけは慣れておらず、無理をして優しい言葉と感謝の言葉で終わらせたことを覚えている。
”やっぱり「別れて感謝」なんて綺麗事だな”
この時、身をもって痛感した。
しかし、ご縁もあってか約半年後にその彼女とは復縁。
今では出会ってから6年半ほどになる。
復縁してからは元の関係とは大きく変わり、なんだかお互いに落ち着いたなと感じることが増えた。
別れる前は毎日がドキドキしてワクワクしていたのに、復縁直後は「物足りない」「本当にこの人を好きなのだろうか」と悩んだこともあった。
過去の思い出を振り返っては虚しくなり、
「あー、これが冷めるってことか」なんて思ってしまい、別れも考えてしまうほどに。
そんな中である日のデート中、買い物中の彼女が店の階段から転げ落ちた。
足を怪我したが頭を打ったりはしておらず、
「歩きにくいだけで大丈夫だから、カラオケかどこかで少し休みたい」そう言っていたので急いで彼女を抱えてカラオケに急いで駆け込み、ソファに寝かした後に走って消毒液やら絆創膏を買いに行ったことをよく覚えている。
その後にカラオケの部屋に戻り、
少し落ち着くと勝手にさまざまな感情とともに涙が溢れた。
「頭を打たなくて良かった」
「努力もしている綺麗な足に傷がついたらどうしよう」
「痛くてすごく怖かったんだろうな」
こんなことを思いながら涙が止まらなかった。
そして、それと同時に
「私はこの女性を心から愛している」ことを深く理解した。
愛が何かなんてよくわからない。
昔の方が好きという気持ちが大きいと思っていた。
それでも、きっと愛している。
止まらない自分の涙が手の甲に落ちるたびにそう感じた。
生きているだけで、目の前にいてくれるだけで愛おしいのだと。
この言葉にならない感覚が「愛」だと、その時に初めて気づいた。
それと同時にこの人が幸せに過ごせるのならなんでもいい。
そして、そんな気持ちに気づかせてくれてありがとう。
心からそう思った。
この経験をしてから仮に別れるようなことがあっても、大きな裏切りなどではない限りは、新しい自分に出逢わせてくれた彼女に心から感謝できるであろうと思っている。
もちろん昔も真っ直ぐに好きだった。
それでも大人になった今、こう思える自分に変えてくれたのは、きっと「愛」なのだと思う。
・
・
・
愛とは不思議なものである。
昔はテレビに集中して話を聞いてくれない彼女にイラついたこともあった。
それでもなぜか今は「そんなに楽しくて面白いのか、愛おしいな」と思える。
私と彼女はあまり手を繋がなくなった。
ただ、昔から今もいつも交差点や人混みでは必ず自分から手を握るようにしてきた。
危なくないようにと。
そんな彼女が今となっては交差点で自分から手を握ってくれる時がある。
その瞬間がたまらなく愛おしい。
昔から趣味の話をされる時、
なんだかよくわからなくてつまらないなと思いながら取り繕って話を聞いていた時もあった。
今は少し早口に、瞬きもせずに真剣に目を輝かせて話してくれる姿をずっと見ていたいと思っている。
そう、きっと愛は新たな自分に、そして日常の中で気づけなかった幸せに気づかせてくれるのだ。
私は今になってつくづくそう思う。
彼女と一度別れる前、彼女の好きなところを聞かれると「可愛くて顔が小さくてスタイルが良い」「少し重たいくらい好きでいてくれるところ」なんてよく答えていた。
当時は本当にそこが好きだったのだと思う。
でも今となっては、
家の近くでスズメの死骸を見つけて「どうにかしてあげたいけどどうしたらいいかわからない」と電話してくるその純粋な心。
何かを買ってあげた次のデートでは栄養面を気にしながら家に料理を作りにきてくれるその気持ち。
いつもは少しワガママなくらいの彼女が、
私が一度かなり拗ねて二人でベッドで寝ずに意地を張って一人で冷たい床で寝るという子供のようなことをした時に、何も言わずに床で寝る私を抱きしめて一緒に寝ようとしてくれた時に感じた母親のような深く温かい優しさ。
こんな日常の中でふと好きなところが見えてくる。
愛に気づけば気づくほど、誰かに好きなところを聞かれて答えにくくなったのも、きっとこのせいなのかもしれない。
愛を知ると、いろいろなことに気づけるようになるのだろう。
デートで彼女が靴擦れをしてしまった時には私が走って絆創膏を買いに行った。
その日、寝る前に「いつも走ってくれてありがとう」とLINEをもらった。
その瞬間は彼女が何を言っているのかがよくわからなかったが、少し考えると色々なシーンが頭に思い浮かんだ。
初めての旅行で帰りの新幹線に乗る直前、彼女が携帯をどこかに忘れて探す時。
大きな地震が起きて家のガラスが割れて彼女が一人、家の中で不安になっていた時。
なんだか不安やストレスでLINEの元気がない時。
彼女が何か怪我をしてしまった時。
気づけば私はいつも走っていた、彼女のために。
そんなことに気づく瞬間もまた、愛していると実感する。
もしかすると、愛は言葉にしにくいものなのかもしれない。
少なくとも、考えて考えて「◯◯が愛である」といとも簡単に且つ的確に言語化できてしまうものではないと思う。
むしろ、簡単に言語化できてしまうものは愛ではないとすら感じる。
愛とは瞬間的にふと日常の中で感じるものだと私は思う。
ただ、これも所詮は私の中の愛の定義であり、人には人の愛がある。
愛に正解なんてない。
だからこそ、その正解を一緒に求めたいと思える相手といれば良い。
私はそう思う。
回り道をしても、遠回りをしても、どれだけ不器用でも、一度別れてしまっても。
お互いのことを大事に思う気持ちさえ途切れなければ、不思議なものでまたなんらかの形で二人は繋がることになる。
だから不安に感じることなんてない。
間違えたって良い、私も一度愛し方を間違えた。
それでも今も最愛の人のそばにいる。
今目の前の大切な人の思いに向き合い、
自分の愛を信じられればきっと愛が何かに気づける日は訪れる。
私はこれからも愛し続ける。
もう二度と愛を失わないように。
終わりに
多分これ、読み返したら何書いてんだろうなって思っちゃうんだろうな…笑
でもなんとなく、今思ったことを書き連ねたかっただけだから見返さないでおく。
最後に、少しだけ余談に付き合って欲しい。
大学生の頃、フォロワーも3,000人程度で企業案件が案件がくる訳でもないながらにTwitterをしていた頃。
そんな中でも毎日一人や二人の人がDMに恋愛相談をしてくれて、リプライで相談してくれる人もたくさんいた。
俺は自分で言うのもアレだけど、割と記憶力が良い方だから、いまだに昔から知ってくれている人のことはよく覚えている。
DMをくれていた人なんか特にね。
だいたいいつもフラッとDMで恋愛相談をもらって回答して、解決したら返信がなかったり中には思うような回答をしなければ暴言を吐かれてブロックされたり、それでも「少しくらい力になれたのなら」なんて思いながら相談に乗ってた。
もちろんちゃんとお礼を言ってくれる人が多いし、中にはその後幸せになったと報告をしてくれる人もいて、なんやかんやでそういった幸せに貢献できた実感が嬉しくて恋愛相談に乗っている。
でも正直、恋愛相談に乗るのは全然好きじゃない笑
そもそもの自分自身の考え方が0%か100%でスパッと答えを出すタイプだから、回りくどく言葉にするのが苦手だから。
ただ、それでお自分を求めて相談をしてくれる人の力に少しでもなれるのなら、といつも一生懸命に考えてやったりしてる。
そんなこんなでInstagramで恋愛相談の回答や、時折Twitterでもリプライに返信したりしてくると、なんだか馴染みのあるフォロワーさんが少しずつ増えてきたりして…
でも逆に、おかげさまでフォロワーの方が増えたり時が過ぎるともちろん自分のことなんて忘れて、充実した生活を送る人もいて。
この数年で、見覚えのあるフォロワーさんはだいぶ減ってきた。
そんな中で、冒頭でも記載したようにずっと自分の恋愛事情を報告して時折連絡をくれたフォロワーさんのリプライをきっかけに記事を執筆させてもらっている。
そう考えると、その方が何を思ってリプライをくれたのかはわからないけれど、誰かを思う気持ちや言葉はすごく人にエネルギーを与えるものなのだなと思う。
だからこそ、これからも俺は恋愛相談や発信で少しでもみんなの力になりたい。
今はInstagramで恋愛相談を募集して、
YouTubeで回答してるからいつでも相談してね。
なんとなく記事を書いてみたものの、やっぱり向いてないな疲れる。
また何かきっかけがあれば書こうかな笑
※過去の記事はこちら
みんなも無理なく生きていこうね。
最後まで読んでくれてありがとう。
ばいばーい。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?