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鈴原るるはまだ忘れられていない

昨日、日曜の午後のことだった。
このファンアート(FA)が自分のTLに流れてきて、嬉しくなって自分もRTした。

このFA、何が嬉しかったかって、鈴原るるが引退したことを微塵も感じさせないイラストだったからだ。描かれた方は彼女の引退を惜しんで、かもしれないが、少なくともイラストそのものは、今まだリゼるるが元気に活動しているかのような、そんな印象を受けるものだった。

別にこのイラストに限らず、彼女の引退から10日あまり経って今なお、毎日、沢山の鈴原のFAが沢山TLに流れてくる。
自分はそれが嬉しいし、だからついRTしてしまう。

勝手な推測だけど、みんな彼女のことを忘れたくないんじゃなかろうか。
もちろんこの状態がずっと続くとは思えない。本人からの発信が何もなくなってしまった以上、皆が皆過去に囚われるわけもなく、TLに流れてくるFAも徐々に減っていって、そのうち日常生活で彼女のことを思い出すことはそうそうなくなるだろう。
でも、皆まだそれに抗いたいんじゃないか。鈴原るるってVTuberがいた、いや、鈴原るるはまだいるんだって皆思いたいんじゃないのか。

そして、VTuberだからこそ――2.5次元の彼女達だからこそ、僕らは2次創作ができる。
本人が活動をやめたって、僕らが創作の中で彼女達を活動させられる。
エヴァだって東方だって、そうやって何十年も生き延びてきたんじゃないか。

鈴原本人が最後の配信の最後で「忘れるまで忘れないでいてくれたら嬉しい」と語っていた。

この彼女の言葉の意味が、昨日になってようやくわかった気がした。

その後、たまたまだが、ひょんな事をきっかけにこちらの記事を読む機会があった。

VTuberがただ消費されるだけのコンテンツであってほしくない、と言う筆者の強い思いが滲む、とてもいい文章だと思った。いろいろ考えさせられた。

ただ、「消費」という言葉が「使ってなくす」という原義のとおりだとするなら、鈴原るるは消費されていない。少なくとも、今はまだ。



おまけ その1

身近に商業音楽に携わっている者がおり、昨晩話す機会があったので「自分の作った音楽は消費されてると思う?」と聴いてみた。VTuberは関係ないが、「消費」って何なんだろう、とずっと考えていたので。
すると、こんな答えが返ってきた。

音楽は、長く聴けば聴くほど変わる。歳をとって何年かぶりに聴き返したら、若かった頃には気づかなかった解釈に気づくことがある。失恋して落ち込んでるときに聴いて初めてラブソングの意味がわかることがある。だから、いい音楽は消費なんかされないよ。

おまけ その2

SNSがはびこる現代に生きるアイドル達が、自分達の関係性すら消費コンテンツにしてしまう……というシャニマスのストーリー。描かれているのはVTuberではないが、VTuberにもそのまま当てはまると思って以前感想を書いた。




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