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EUへの始まり

アルザス・ロレーヌ地方
ヨーロッパの大国であるフランスとドイツは18世紀頃からアルザス・ロレーヌ地方を巡り対立していた。アルザス・ロレーヌ地方は鉄鉱石と石炭を産出するためである。そこでフランスとドイツが鉄鉱石と石炭の奪い合いを止めれば、ヨーロッパも安定するのではないかという考えのもと、1950年5月9日にフランス外務大臣のシューマンが提案したのがシューマンプランである。この提案に基づき1951年にパリ条約で設立されたのが欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)である。加盟国はフランスとドイツ(当時は西ドイツ)、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6か国であった。

イギリスの動き
その6年後には、6か国間で関税の撤廃と自由貿易を図るために欧州経済共同体(EEC)が、原子力産業の開発や資源管理を共同で行う欧州経済共同体(EURATOM)が設立した。さらに1967年には欧州諸共同体(EC)に3組織は統合され、順調に経済規模を拡大していった。一方イギリスはフランスとドイツが主導していたこともあって、EEC時代より欧州自由貿易連合(EFTA)を結成し対抗するが、経済規模の小さな国が多く次第にECの優位が明らかになっていった。また当時イギリスは「高福祉、高負担」の国家となっており、人々の勤労意欲がなくなり経済が停滞していた。そこでイギリスは1973年に競争力を取り戻すべくECへの加盟を選択する。

さらなる一体化
ECは加盟国を増やしていき拡大していったが、1989年に東欧革命(ソ連の衛星国の政変による民主化)とソ連が1991年に崩壊すると、旧東側諸国への共同体拡大のドアが開かれた。そこでECはさらなる拡大・一体化を進めるため1992年2月7日にマーストリヒト条約に調印しECを欧州連合(EU)へと発展させた。このEUの大きな柱の一つが「通貨統合」、すなわちユーロの発行であった。

次回 ギリシャ危機

参考資料
一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 経済編
山崎圭一 SB Cretive

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