『はじめの一歩を踏み出そう』で考えた、経営者になれなかった自分
50歳になったくらいから、定年やその先の雇用延長は意識せざるを得なくなりました。そのころ会社では仲間と一緒に新規事業を検討しながらPoC試作品を作ったりアメリカの展示会に出品したりしていたので、個人でも新規事業を立ち上げられないか考えてました。副業的に、小さいが将来性のあるネタで、いわゆるリーンスタートアップっていうやつ。
でもダメだった…絶対的にネタが見つからなかった。ネタが見つかる以前の問題で、自分は社会に対して何をしたいのか、全然思いつかなかった。世の中のスタートアップの人たちはいろいろなことをやろうとしているのに、どうして自分にはやることが思いつかないんだろうって、ずーっと悶々としていました。
起業に関するセミナーをいくつも聞いてみたり、なぜ起業を始めないのかなんて上田次郎ばりのモチベーションで本やWebサイトを探索したりしてみましたが、残念ながらいずれもピンとこなかったですな。
最近、『はじめの一歩を踏み出そう』(マイケル・E. ガーバー著)を読んで、自分にはダメだった訳が少しわかりました。
いわく、経営者は、変化を好む理想主義者であると。「ときには理想主義者と呼ばれながらも、将来のビジョンをもち、周囲の人たちを巻き込みながら、変化を引き起こそうとする人物こそが起業家である」と。これは腹落ちしました。自分には、理想の姿も、ビジョンも、巻き込み力も、変化を引き起こす強い意志も、ヒジョーに弱い。
対して職人は、手に職をもった個人主義者であると。「『きちんとやりたければ、人に任せず自分でやりなさい』これが職人の信条である。職人にとって、仕事の目的は重要ではない。手を動かして、モノをつくり、その結果として目的が達成されれば満足なのだ。」←←←これはまさに、自分のことではないか!
やることが思いつかなくて悶々としていた間も、実はやりたいことはいくつも思いつくけれど、それは自分が職人としてやりたいことであって、社会に対して引き起こしたい変化ではなかったんです。言ってみれば、自己満足、マスターベーションですね。これじゃあ一生、勤め人はやめられませんな。だって、社会に変化を引き起こさなくても、目の前の仕事をこなしていさえすれば、食うに困らないんだから。
と、そこまではわかった気になったんですが、やっぱり何かしたい。ずーっとテーマとして持っている会社以外の居場所づくりもそうですが、社会に変化を引き起こすような活動をしたい。定年雇用延長オヤジはきっと、確たる理想もビジョンもないまま、これからも悶々とし続けて、あきらめ悪く生きていくんでしょうなぁ。