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第二回

こんにちは、ヴィブレンス建築と町担当のタツです。今回は子供時代の思い出話を少し。
僕の実家は田舎の町中でタクシー屋を経営していました。そのタクシーの本社機能が下階に2階に僕らの住居とタクシーの食堂が並んであるって感じの家でした。そんなんですから学校から帰ると家族以外のおじちゃんやおばちゃんがどこらかしこにいて、おかえりって感じになるわけです。その上田舎だから鍵なんかっけてません、近所の両親の友達は勝手に入ってきて冷蔵庫を開けておしゃべりにいとまないし。今だと家庭のプライバシーがとか問題になりそうな環境ですが意外と家族の空間はきちんと確保されていて、いろんな大人に囲まれて暮らすのは楽しかった思い出の方が多いです。そこまで大きくない敷地に多くの人がいくつかのコミュニティを作って柔らかく重なり合ってるって想像して貰えばいいかなと思います。
こんな昔話から始めたのは、今年のプリツカー賞を日本人9人目の建築家、山本理顕さんが受賞したことがきっかけなんですよね。山本さんは孤立した建築を作るんではなくて、社会のコミュニティと繋がってそれを受け入れ方を操作するのが建築家の役割であるって主張なさってます。少しカッコつけて言うと他者との関係性によって人にとっての空間は規定される、その空間をデザインするのが建築家だってとこですかね。
家の中に屋根だけある縁側を作ってそこにはフラッと来る近所の人とおしゃべりできるようにしておくありふれた風景だった世界ではあります。他には目で見えるだけ、あるいは音で感じられるだけでも外の世界とは繋がっていきます、そんな人との繋がりを建築として形に続けた建築家を世界が再評価してくれたことは嬉しい限りです。
まぁ懐かしの我が家は商売柄の特殊な例ではあるんですが、社会とつながる建築や家で作られた町の方が楽しい人生が送れる気はします。ではまた!


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