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ユニラボ辞めるから、最後に”起業してからの壁と乗り越えたチーム”について盛大に語る

2019年12月末、取締役を辞任し、ユニラボを退職しました。

2012年の1月に栗山さん・菅原さんのお二人と会い、ともにスタートさせることを決め、2012年10月にユニラボを創業…約8年間にわたる旅でした。

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順風満帆なんてことはなく、多くのしんどい壁にぶつかり、もがきながら進んだ8年間でした。その分、事業も組織も自分も大きく成長できました。
自分の人生の中で誇れる8年間なので、区切りの記録としてnoteにまとめたいと思います。
※この写真のインパクトでほぼ出オチな気もしていますが(汗)

これまでに何かしらの形(メンバー、パートナー、ユーザーなど)で、ユニラボやアイミツに携わってくれた人に読んでもらえると嬉しいです。
そしてユニラボやアイミツにこれから興味を持つであろう人が、会社やサービスを知るキッカケになれば、この上ないと思います。

「こんなしんどい経験も乗り越えてきたチームなんだね」
そして、
「きっとこれから起こるであろう荒波も、なんとか乗り越えていけるチームなんだね」

と多くの人に思ってもらいたいのです!
なので、このnoteでは楽しかったことよりも、あえて「しんどかった壁」の話を中心に書きます。

簡単に自己紹介

”こんなヤツの8年のしんどかった記録か”とイメージしやすくするため、簡単に自己紹介をさせてもらいます。
※石田のことは良く分かっているという人は読み飛ばしてください(笑)

・2008年にDeNAに新卒で入社
・当時の登竜門だった電話営業部隊に配属、初月0件で鬼ほど詰められる
・折れない性格が功を奏し、1年で全社MVPに選ばれる
・新規事業チームで1年間、中国市場やシニア市場の新規事業を検討
・2011年にはDeNAを退職し、個人事業と台湾ECモールの立上げを行う
・2012年にユニラボの創業メンバーの1人として参画
・営業、カスタマーサポート、マーケの各部署を立上げ

手前味噌ですが、マインドは強めでブレは少なく、仕事好きという性格です。もう10年前ですが、当時、DeNA社長の南場さんが自分を紹介してくださったブログには、ユニラボ代表の栗山さんも出てきます(笑)

ストレス耐性強めの僕ですが、それでも8年間しんどい壁は多かったです。それでもユニラボというチームはその壁を乗り越えてきました。

「ヒマがしんどかった」ユニラボ創業時

創業時は何をやるか、全く決まっていませんでした。そして無駄に時間がありました。

・創業メンバー3人とも節約家
・自己資金でスタート
・複数社のコンサルティング仕事で最低限の収入担保

こんな状態でのスタートだったので、切迫感や危機感が薄かったと思います。海外の1万件に及ぶ新規事業を手分けして調べたり、企画ブレストを繰り返していました。でも、疲れたり集中が切れたら、17時には仕事終了、家に帰ってリフレッシュしてから、またゆるゆると再開。
※英語ができない二人がGoogle翻訳をフル活用して、海外サービスをエクセルにまとめて、調べていました。

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今から振り返ると全然仕事をしていなかったと反省しています。何も決めていない状態で、危機感が欠如…もっともっとガムシャラになれたはずでした。

「ヒマである」と当時は自覚できませんでしたが、ただ時間が過ぎていく感覚はしんどかったです。その後、Find the Bestというサービスを”たまたま”見つけ、一気に検討が進みました。やることが決まっていない状態は気を抜くと、どうしてもスローペースになりやすいです。それを回避するには”決めるためにやること”を明確化することだと今は思っています。

「ヒマで楽な状態」に留まらず、やることが決まり、ユニラボは先に進むことができました。

「多忙でしんどかった」アイミツのローンチ時

現在、ユニラボの主事業となっているアイミツには、実は前身サービスがあります。「SMART FIND」という名前で、アイミツと同様に、ビジネスにおける発注を支援するテーマでした。
※SMART FINDの当時の画面

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※アイミツのローンチ当初の画面、あか理さんが作ってくれました。今でも大好きなデザインです。

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いざスタートはしたものの、半年を待たずにピボットを迫られたり、新しい機能をつけたり…
アイミツのスタートからしばらくの間は、受注者営業と発注者コンシェルジュという二役を一人でずっとしていました。日々の仕事に忙殺され、毎日深夜までやって、何とか回す状態でした。
「自分が倒れることが事業最大のリスク」という状態にずっと焦っていました。その緊張のおかげで、幸いこの期間は風邪もひかずに元気でした(笑)

日々の業務量に忙殺された時期ですが、同時に仲間が増え始めた時期でもありました。社員1号でのちの取締役、インターン生から入社した新卒1号など、その後の事業成長を牽引する仲間たちでした。

超多忙時期に誰も体調を崩さず、仲間との出会いに恵まれたことで、ユニラボは先に進むことができました。

「成長痛がしんどかった」拡大期

事業が成長し、社員が20名に近くなったころ、統率が難しくなったことを感じ始めました。まさにベンチャーあるあるの「30人の壁」に(少し早いが)ぶつかりました。一人一人を見ると、それぞれ良い面も多く持っている…でもチームとしてみると果たして…という状態でした。

「何を成し遂げるのか?」(ビジョン)
「何のためにやるのか?」(ミッション)
「僕らはどうあるべきなのか?」(バリュー) 

チームメンバーと個別面談を重ね、ここで初めて、それぞれの本音や価値観、抱えている不満に向き合ったと思います。正直、それまでは建前的な合言葉くらいに思っていたこの3つが本当に必要なんだ!と経営陣で確信できたのがこの時でした。
これらを言語化し、発表し、浸透させるまで、あらゆる試行錯誤をしました。
合宿をしたり、ワークショップをしたり、自己開示したり…
その途中ではメンバーの離脱が続くなどの苦しい場面もありました。

しんどい壁でしたが、振り返ると乗り越えるべき大切な壁だったのだと思えます。当時のことは代表の栗山さんの視点から書かれたブログもあるので、読んでみてもらいたいです。

・もともと、ビジョンで飯は食えないと思ったりするタイプではありましたが
・コンパスの策定にあたっては、これまでの社会人生活でこれほどまでに言葉と向き合ったことはないくらい、考え抜き、悩み抜きました

上記は記事からの引用ですが、当時の僕らとそこからの変化をよく表していると思います。

※僕らのビジョン・ミッション・バリュー(コンパスと呼んでいます)

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組織の拡大の折に、ビジョン・ミッション・バリューを言語化し、立ち返る場所を作ることで、ユニラボは先に進むことができました。

「個人的にしんどかった」変化

変化その① 心臓に悪いオフィス移転

ユニラボ創業の地は36㎡の目黒のマンションの1室でした。そこから現在に至るまで、2回のオフィス移転と1回の増床をしています。
2回のオフィス移転では36㎡→100㎡→330㎡と成長をしています。移転の時は新しい環境でメンバーは皆明るく盛り上がりますが、いつもいつも気分は憂鬱でした。「あぁこわい、まじ大丈夫かな…」そんなことをボソボソ言っていました(笑)

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創業当初の目黒オフィス(36㎡)、メンバー全員インターン生

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雑居ビルに移転した西五反田オフィス(100㎡)、初めて社員が増える

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現在の東五反田オフィス(300㎡)、節約のため芝生も机も自分たちでDIY

いつも五反田で奇跡と呼べる破格物件を探し当てましたが、それでも家賃のプレッシャーは計り知れません。成長の証なのでしょうが、入居初期のガラガラのオフィスは何度経験しても心臓に悪いものです。

変化その② 一番信頼する人の離脱

ユニラボ1号社員で、ずっと一緒に戦ってきた渡さんの離脱はとてもしんどかったです。なんだかんだ人に関することが一番しんどいです。渡さんの退職noteはこちら。

今はとても仲良くしているし、仕事もプライベートも即相談する第1の友人といえます。当時も変わらず仲良かったけど、彼を支えきってあげられませんでした。

辛い時期でしたが、この時、やって良かったと思うことが一つありました。退職前も後も一切変わらず、彼と連絡を取り続けたことです。
「連絡するね」「定期的に飲もうね」と言うことはありつつも、実際にはその頻度は劇的に減ってしまいます。でも彼とは連絡を積極的に取り続けました。人間関係とは長期的なものだと学びました。

変化その③ 熱中したチームの解散

2018年、アイミツはUX元年を標榜し、組織におけるユーザー思考への取り組みが大きく前に進みました。それを牽引してくれたのが当時、僕が管掌していたマーケティングチーム(通称LS)でした。

個性と職務が異なる4人が上手くハマり合い、過去になかったアイミツのグロースを実現できました。僕の社会人生活の中でも、最も印象に残る1年だったと思っています。
※キングダムが大流行、キングダム占いで自分たちの特性を理解。

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その後、第二創業期に突入したユニラボは2019年に大きく組織を改編しました。LSは解散し、僕自身も現場を離れ、マーケティング組織を移譲しました。

ユニラボが大きく転換をしていく中で、必要なことだとも理解はしていましたが、それでも一抹の寂しさを持ちました。

組織にも事業にもフェーズがあり、その時々で組織も人も変わっていくものであることを学び、僕は先に進むことができました。

組織が、個人が、しんどい壁を乗り越えるには?

しんどい壁にはこれまでもぶつかってきたし、これからもぶつかっていきます。それを乗り越えるために大切なものは3つだと思っています。

①仲間
②ちゃんと向き合う、諦める、しがみつく
③立ち返る場所

①仲間
人に悩まされたし、人に助けられたし、人に学んだ8年間でした。昔は「仕事はして当たり前、それぞれがプロとして責任果たしていれば大丈夫」くらいに思っていました(とても恥ずかしい)。
経営の資源であるヒトモノカネ(情報・時間)の中で、唯一0にも100にもなり得るのが”人”であり、それを活かすのが組織です。

②ちゃんと向き合う、諦める、しがみつく
直面する多くの問題は複数の要素を内包して、僕らの前に現れます。あらゆる要素を内包した大問題は、越えられない壁に見えてしまいます。
そういう時こそ、深呼吸です。直面した大問題にちゃんと向き合い、因数分解してみると大問題はいくつかの小問題に分かれます。
そうしたら諦めるものは諦めればいいと思います。死にはしません。絶対に譲れないものだけしがみついていれば、大抵何とかなります。

③立ち返る場所
顧客も、市場も、競合も常に変化します。
人も、組織も、環境も常に変化します。
戦略も、戦術も、作戦も常に変化します。
そこで1つのチームとして戦っていくわけですから、立ち返る場所は必ず必要です。
「言葉にしなくても分かってくれる」「以心伝心」はありません。常に変化するものだから。
「言語化すること」「何度も伝え、浸透させること」がとても大切です。

僕はユニラボの8年の生活の中で、この3つを学びました。
そしてユニラボもそれを学んだ組織になっています。

おわりに。なんで石田、辞めるの?

至極当然の疑問だと思います(笑)

一言で言うならば、「自分が関わるべきタイミングが過ぎたから」です。
現在のユニラボは第二創業期に突入し、優秀な人材が多く入ってきてくれています。
”起業から企業へ”と変貌を遂げて成長していく段階において、自分は離れるべきだと考えました。

DeNAにいた2009年から僕は新規事業の人間で、立上げ屋の特性を持っています。この特性を生かし、さらに自身も成長をしていくには、慣れ親しみきったユニラボからは離れ、新たな環境が良いと判断しました。
(※ユニラボも新しいことへの挑戦は、より一層増えていきます)

以上です!長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!
辞めても応援される組織なので、ぜひユニラボに、アイミツに、興味を持ってもらいたいです(笑)

石田の2020年のチャレンジに関しては、別途noteでお伝えします!
興味を持っていただける方は是非、個別にご連絡ください!^-^


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