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日記#125

カサマツです。

第3回公演お越しいただいた皆様、ご来場誠にありがとうございました。

どうだったかな?面白かったですか?

公演が終わってから3日くらいだったけれど、
体に力が入らず起きてるのにも関わらず脳だけが宙に浮いているかのような日々を過ごしています。

相当疲れたんだと思います。

地球って本当に止まらないんですか?

虚無感や焦燥感で胸がパンパンになるのを回避すべく今日も取り敢えず布団から飛び起きました。

本当はマジで寝たい気持ちに蓋をして
取り敢えず街に繰り出してはみますが

トイレに行くほどじゃ無いけれど
これ抱えたまんま歩くのはしんどい辛いの腹痛に悩まされたり

僕にとって久しぶりの休日だというのに、世界が思った倍以上平日であることを目の当たりにして少し寂しい気持ちになりました。

目的もなく歩く事と家で寝ている事は何が違うんだろうと考えてしまうとその日の幸福度が一気に下がり生きている意味がなくなるので「動いている俺かっこいい」と自分自身に言い聞かせるようにして足を前に前に出し続けています。

「お前の公演後の過ごし方は聞いてねえよ」

という方には言わせてください

「土下座」

こんなつもりではなかった。
感想を書いたら終わってしまいそうな気がするのかな。だけど次に進むためにも書くか。よし、書くぞ。

今回でやっとゼロになったような気がする。
胸を張って戦う権利を得たような気がする。

第3回公演、恐らく+3史上1番+3濃度が濃い公演になったと思う。

僕は「お笑い」というジャンルが取るスタンスにかなり飽きている。

お笑い芸人は自分達の事を度々自虐している。「芸術」なんて良いもんじゃない、笑いは単なる「娯楽」であると。少しでもメッセージ性を含めて高尚ぶるとそれはダサいと揶揄される。お笑いがそういった流れになってきていて、すごく距離を感じる。何より誰かが決めた競技化された「お笑い」の中に僕自身が本気で笑えるものが少なくなってしまった。

どうにかしないといけない。僕は「喜劇」には社会を、世界をガラッと変えてしまう強い力があると思う。笑えることを第一として作品を通して何かを持って帰ってもらう必要がある。チャップリンは喜劇を通してナチスによる独裁政治に風穴を開けようとした。今でも海外のスタンドアップコメディは社会を風刺している。平和ボケした「お笑い」に強めの「なんでやねん」を入れなければならない。

そんな僕にとって「お笑い」というものの支配が及ばない場所で自分が本当に面白いものを探求できる今の活動形態にはとても感謝している。東京という場所から離れた場所というのはもちろんだが特筆すべきはもりゆかとRikuという珍獣2匹。

メンバーの2人とはありえないくらい感性が合う。だけどそんな2人と僕との違いはお笑いを知らないということ。僕も全部を知ってるわけではないが、2人は本当に何も知らない。2人を見ていると僕たちは面白いと思って笑ってるというよりも形骸化された笑いの取り方に対してコール&レスポンスとしての笑い声を出している場合が多いことに気付かされる。

たまにYouTubeでコントを見せても、一つも笑わない。「どこが面白いの?」とキョトンとした顔で聞いてくる。僕は「ここが笑い所だよ」と伝える。僕はハッとする。「笑い所」と「笑え所」は違うんだ。笑いのシステムにいかに僕たちプレイヤーが胡座をかいてしまっているのか。

2人はいつだってどのお笑い芸人よりもシビアに僕の作るものを真っ直ぐ見つめている。何故なら形骸化された「笑い所」に頼る事を2人は許してくれないから。探り探りで2人の感性に投げかける。

稽古中、演じながら僕も含めて全員が爆笑する瞬間がある。その瞬間、僕は自信を持って自分の書いたものが面白いと思えるようになる。そうやって公演の度に何度も書いたり消したりしていたらいつの間にか今の僕たちの等身大みたいな作品が出来た。宝物だ。

全てのコントで登場人物が不条理と対峙して不当な扱いを受け嘆く。全てのコントで登場人物の誰かが死ぬ。誰かが愛を叫び、愛に呪われ、それでも愛する事を選ぶ。繰り返す事について考える。人の魂はすごい速さでリサイクルされる。そしたら死んでる事と生きている事の違いなんて分からなくなる。生き続けながら死に続ける。人は人に救いを求める。何故なら人は1人では生きていけないから。「あなた」いることで「わたし」は「わたし」になる。だけど愛は時に「あなた」を曖昧な偶像にしてしまう。偶像に規定された「わたし」は「わたし」としての形を保てない。世界ごと弾けた先にあるのは果てしない宇宙。

そこには途方もない孤独がある。寂しかったね。辛いよね。知ってるよそれ。僕も。そうやって僕達3人は広い宇宙の中でお互いを抱きしめた。孤独はつらい。だけど孤独同士手を繋げる場所がある。1人じゃ窒息してしまう時も抱きしめると吸える。吐ける。

生きることと死ぬことは似ている。生きることの本質は今の社会と1番遠い所にあるのだ。

僕達はお互いの悲劇を笑い合うことができる。そういう場所にいる。孤独同士手を繋ごう。そしたら新しい星に辿り着ける。

今、僕達はスタートラインに立った。思ったよりもデカいものに僕は立ち向かおうとしている。この星のシステムごと「喜劇」でひっくり返そうとしている。しばらくはそうやって生きていく。2人ともありがとう。これからもどうぞよろしく。

そして今回お越しくださいました皆様、本当にありがとうございました。「何を見せられたんだろう」と思われた方が多いんじゃないかな。でもそう思ってくれたら大成功です。まだ社会にないものだから。

9月のメトロまで色んなところに顔出したいな。気軽にお声がけください。色んな人に会いたいです。

長々と失礼しました。

一年後には何らかの肩書きが欲しいな笑

あと、今回の公演の台本、ご要望が多ければ本にしようかなと思います。お声がけ下さい。

コントユニット+3主宰カサマツ






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