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『ノルマンディー上陸作戦1944.6.6』この作戦がおこなわれた経緯と、その勝敗の原因とは!

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#世界史 #第二次世界大戦
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ヨーロッパでの第二次世界大戦で、ドイツの敗北を決定づけたとされる『ノルマンディー上陸作戦』。ドイツ軍の名将、ロンメル元帥も、この戦いで全てが決すると言っている。ロンメルは「最初の24時間が極めて重要。この1日が双方にとって1番長い日になるだろう!」…と。

なんども映画になり、そのなかでも最も有名なのが『史上最大の作戦』。私も3度ほど観たが、当時の映画としては、極めて丹念に描かれていて感動したものだ。

*この作戦。それまでの経緯
簡単に歴史を振り返ろう。1933年ヒトラー内閣成立。1939年ドイツはポーランドへ侵攻して、第二次世界大戦が始まった。その勢いはとどまらず、次々に周りの国へ軍をすすめる。ベネルクス3国やフィンランド、そしてフランスまでも占領した。それに続き、海を隔てた英国とも、空軍同士で戦う(1940年)。しかし、それに敗れたことで、つぎはソ連に狙いを定める。

ソ連のスターリンは、当初ヒトラーを積極的に支援していたという。ドイツには共産党があったにもかかわらず、政権を目指すヒトラーに、裏で手を貸している。1938年には独ソ不可侵条約を結んだ。しかしヒトラーは手のひらをかえしソ連へと侵攻を始める(1941年)。

ソ連軍は、多くの死傷者をだすも、冬の寒さに助けられ、何とか持ちこたえた。スターリンにとっても、なんとしても乗り越えなくてはいけない。そこで考えたのが、米英両国への参戦依頼だった。会議は、1943年11月テヘランでおこない、消極的だった英国首相チャーチルにたいし、米大統領ルーズベルトはやることを請け負う。日本へ参戦することを条件に…。そうして目指したものが、フランスへの上陸作戦だったというわけだ。

*ドイツと戦ったのは英国のみ
ドイツがソビエトに進行するまでは、ドイツと戦ってきたのは英国ただ一国だけだった。米国民は、戦争には無関心だったのだ。それが日本の真珠湾攻撃により、一気に変わった。これに喜んだのが英国首相チャーチル。「これで米国が参戦してくれる」そう思ったようだ。

ルーズベルト大統領は、連合国最高司令官にアイゼンハワーを選んだ。アイクの愛称でも呼ばれたこの将軍。実践経験は少ないものの、その温和な性格で、誰からも愛されていたという。

1942年元日、米英ソ連カナダ・フランスなど26カ国による連合軍が誕生。4月にはすでにフランス北部へ軍を進める計画の青写真はできていたようだ。

*ドイツの情報活動
連合軍が攻めてくることがわかっていたドイツ。フランスからノルウェーにいたる2700キロメーターのどこから攻められても良いように、コンクリート製のトーチカを設置した。しかし戦いでは戦力を集中するのが最善策だ。多くのスパイを使い、敵情を探らしている。

当然、連合国側もそれは百も承知だった。いかにドイツに偽情報をつかませるか!頭を絞ったようだ。一番有名なスパイが、コードネーム「ガルボ」という男。彼は二重スパイだった。連合国の上陸地点が「パ・ド・カレー」だと報告している。

連合国軍は、ゴムででき空気で膨らます、いくつもの兵器(戦車、大砲、トラック)を「パ・ド・カレー」に面した英国内の拠点に展示し、ドイツ側に信じ込むむよう偽装する。

*成功のカギ、それは天候
1944年の頭から、米国は兵器や物資を、大量に英国に送りつづける。問題はその決行日をいつにするか。空挺部隊と組んでおこなう作戦だけに、いくつかの条件があった。

⑴空から兵員を降下させるには、暗闇が良い。⑵夜明けには海が干潮であること。小型舟艇の侵入を防ぐ爆弾がスッポリ顔出していれば、安全との理由から。この条件にあうのが6月5日から7日の三日間だった。

しかし思わぬ敵があらわれた。天候のかなりの悪化である。これでは作戦はおこなえない。アイゼンハワーは悩んだという。つぎに可能になる日は、2週間先だったからだ。

かなりの焦燥感に苛まれた司令官だったが、そこに吉報がはいる。グリーンランドの観測から低気圧がせまり、36時間天気は回復すると…。そこで、当初5日としたDデイを、6日とする。

逆に、この情報をドイツ軍はつかんでいなかったようだ。その理由は連合国軍が、グリーンランドのドイツ観測機を破壊していたためだ。ノルマンディーにいたロンメル元帥も、ヒトラーもかなり安心していたのか?ドイツに帰っていた。

まとめ
ドイツのロンメル元帥、ノルマンディー上陸を予想していたようだ。周辺の河川をせき止め、農地や草原を沼としている。それだけでなく、戦車を含めた機甲部隊も、この周辺に集結することを軍上層部に指示したようだ。しかしこの案は反対にあってしまう。なかに入ったのはヒトラー。半分を内陸に置いて進軍するときは自分が命令を下すとした。

しかし、この指示がアダになってしまう。深夜に始まった作戦。不眠症のヒトラーが眠りについてすぐに、作戦が始まったという一報が入る。しかし側近は、ヒトラーに気を使い起こさなかったという。これが命取りとなったのだ。

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