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[ サイエンス ]古代人の顔から、日本人のルーツを見る!

#古代人 #日本人のルーツ
#サイエンス #ホモサピエンス

以前よく読んでいた本に「人相学」があった。どういう人の顔が、どういった運勢になるのか?それに興味を持っていたからだ。最近は、それを度外視し「危ない人物」を見るようにしている。仕事は広く見れば接客業、いま問題になっている「カスタマー・ハラスメント」。顧客の理不尽なクレームや言動、これに毅然とした態度で接客していかなければいけない。ただできることなら衝突は避けたほうがいい。そう考えると、顧客の顔つきを見てある程度判断しなくてはいけないということだ。

*縄文人と弥生人の顔!
縄文人、その顔の特徴を見ていこう。顔幅が広く、横長に四角い。また彫りが深く、眉は太く濃いのが特徴とされる。目は二重まぶたで鼻も高く大きい。つまりは、ソース顔だ。一方で、弥生人の顔は上下に長く、のっぺりとした凹凸の少ないのが特徴。鼻の幅も狭く低い。さらに目は一重まぶたとなっている。これを塩顔というようだ。

縄文人は1万6千年前から3千年前に日本に住んでいた人たちである。その後、中国や韓国から弥生人が入ってきた。3千年前から1750年前のことだ。これは大陸で戦さに敗れた者たちが、徐々に入ってきたものである。彼らは数万年にわたり、寒冷地で暮らしていたため、のっぺり顔で凹凸の少ない顔となった。

現代の日本人は、縄文人と弥生人の混血と言われている。DNAからいうと縄文人2 割にたいし弥生人が8割だそうだ。また縄文系が多く含まれるのは沖縄・北海道・東北。弥生系は、九州・四国・近畿など西国に多いとされる。その中間が関東と中部。ただしこれは個個人においては、それぞれ比率は異なる。そのために日本人の顔は、その分だけ多様なものとなっているという。

*以前の教科書の誤り?
今まで縄文人を単一の人たちと見てきたきていた。学校でははじめ日本に縄文人が住み、そこから大陸から弥生人が渡ってきて、稲作を伝えたという理解、これが通説だった。しかし、稲作に近い農耕は縄文時代でもおこなわれており、弥生人が一気に押し寄せたというわけではなかったと言える。

何世代にもわたり徐々に大陸から人が渡ってきたというのが今考えられていることだ。そのため、日本人のDNAに含まれる縄文人のそれが少なくなったと見たほうがいい。だからこそ、より大陸に近い地域の人たちのDNAに、弥生系のものが多くなるということだ。

*人類の歴史から見ると!
我々人類ホモサピエンスは、アフリカ大陸で生まれた。およそ30万年前から20万年前といわれている。5万年前になって、初めてアフリカ大陸から外にでた。これを「出アフリカ」と言う。そしてヨーロッパへ向かう人たちとアジアへの向かう人たちに分かれた。約4万年前に今の日本にこれらの人が入ってくる。

一方で、そのまま北上して中国からシベリアに住みつく人たちがいた。とくに寒冷の北方に住んだ人たち、顔がのっぺりすることで、凍傷を防いだとされる。これらの人たちは、少しずつ日本に入ってきた。これが弥生人だとされる。そのことにより混血が生まれ、今の日本人となったようだ。

*縄文人か?弥生人かの見分方!
いちばん簡単な方法は、目を片方つぶるウィンクだとされる。力まずに、右目と左目とウィンクができれば縄文系の血を引き継いでいる可能性がたかい。これができる人は日本人のおよそ3割のようだ。日本人のほとんどは混血だが、その働きはDNAに影響される。

私自身やってみたところ、ウイングは問題なくできた。だが、自分では弥生系と思っていただけに、しっくり来なかったと言える。もう一つの見分方も紹介しよう。それは耳垢(みみあか)。これが乾燥系のサラサラしたものなら弥生系で、しっとり湿ったものなら縄文系とされる。この耳垢も私はウェット系だった。ということは縄文系で間違いないようだ。

まとめ
いずれにせよ、すべての日本人は混血である。弥生時代以降も多くの渡来人が日本にやってきた。それらの人々は戦乱から逃れた避難民だったといえる。とくに文化人や知識人そして技術者はその多くは日本にやってきたはずだ。

日本の文化が、大陸のそれよりも多様なのもその影響があるのではないだろうか。技術大国の日本、その大元はこれは大陸を追われた人たちの末裔がおこなったものだと言える。それにより技術大国であり、経済大国になり得たのだろう。

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