エンタメ映画界の巨匠、小津安二郎について!
#映画 #小津安二郎 #秋刀魚の味 #東京物語 #邦画
最近NHK BSでよく放映されている小津安二郎の作品。2023年は、生誕120年没後60年にあたる。
あなたにとって、小津作品はどれが好きですか?『東京物語』は世界でいまだに第一位という評価だが、私はなんと言っても遺作となった『秋刀魚の味』がイイ。
理由は、日常のなかの人間関係の機微に溢れているから…。まず、友人同士のつながり。たぶん旧制中学時代から続いている交友関係だろう。なにか温かみを感じる。
そして、親子のつながりもしみじみ描かれている。
☆『秋刀魚の味』のあらすじ
内容はいたってシンプルなもの。
妻に先立たれ、子供2人と過ごす主人公。多分50代と思われる。3人の子供がいて、長男はすでに結婚をし、集合住宅に暮らす。家の事は、娘に頼りきっていた主人公。娘の年は23歳くらいか!友人は嫁にやらなきゃいけないよ!と言う。しかし、まだ子供だよ!と取り合わない。
そんなとき同窓会があって、恩師と再会する。酒に酔った恩師を自宅まで車で送りとどけると、出てきたのが恩師の娘。年取ったその娘に、恩師は一言!嫁に出しそびれたと告げた。
この件で、自分もそうなっちゃいけない!と自覚したのだろう!縁談をすすめ、みごと嫁にやるまでの話しである。
主人公の寂しさもよく描かれ!半分同情するが、半分これでよかったと納得もする。今の日本を象徴するようなストーリーにもなっているようだ。核家族化がすすみすぎ、親子が一緒に暮らすということもなくなっている現代。主人公の気持ちもよくわかる気がする。
☆小津安二郎の生い立ち、
伊勢で生まれた小津。けっこう裕福な家庭だった。かなりのヤンちゃで、中学に入学してもあまり勉強はせずに映画にはまっていたと言う。
友人とサークルを作り、見てきた映画の批評をしていた。神戸や大阪まで足を伸ばしたというから、そのエネルギーはかなりのものだったようだ。
しかし高校受験に失敗。仕方なく東京に出て、映画制作の世界に入っていった。かなり気の強さもあったようだ。カレー事件を起こしている。撮影所の食堂で、カレーを注文したところ、後から入ってきた監督に、給仕がさきに料理を出した。これにお怒った小津は、この給仕との暴力沙汰となる。
撮影所の所長に呼び出された大津。相当な覚悟を決めていたが、驚いたことに、作品を1本作ってみないかと提案される。
このとき日本は日中戦争に突入していった。召集で入隊し、中国戦線に派遣させられる。伍長の階級だったが、転戦するなか多くの仲間の死をみたという。一度は除隊するが、しばらくして、アジア太平洋戦争では、撮影隊としてビルマに赴く。ここで終戦。米英軍の基地から集めてきた映画フィルムを毎日みる生活になった。
日本に帰ってきてから、作品を作ったが、評価は散々だった。そこで、同じ会社の先輩である野田高俉と二人三脚でストーリーを仕上げていく。野田の家族である妻娘の協力も大きかった。戦争という非日常と、家族という日常。日常のなかに、人の幸せを描いた芸術家だった。とくに野田家族との生活は、小津に力を与えたというのは事実である。戦争体験から、世界の巨匠監督が生まれたと言ってもいいだろう。
☆小津作品の特徴は!
小津作品に見られる画調というのは、日本の古典舞踊である『能』を頭においていたと言う。女優の岡田茉莉子は、小津の演技指導で徹底したことについて!表情じゃなくて、立ち振る舞いを重視していたという弁があった。シナリオの読み合わせも、小津が1人で読んでの演技付け。まず、そこから小津調がでてくる。
カメラを固定。しかも低い位置からの撮影である。これは何を意味しているのか?
絵画を意識しての構図である。理由は、小津が画面に出している様々な小道具にある。『秋刀魚』の味にでていた掛け軸。『東京物語』にでている鶏頭の花。『麦秋』でのツボなどなど。よく観察すると、なにげにしっかりと画面を飾っていた。
小道具は、絵画でも暗示をあらわす。小津研究では、書籍も執筆している平山秀吉。彼は、鶏頭やツボは戦地でなくなった山中貞雄のオマージュだと言う。女優として、山中が売りだした原節子が主役の作品がおおい小津作品。間違いなく山中のことが頭にはあったのだろう。
小津と山中は仲がよく、お互いにリスペクトしていた。戦病死しなければ、山中は映画界に偉大な足跡を残したはずだ。
戦地で多くの友をなくした小津。戦後の日本で、家族の映画をおおく撮った。脚本家の野田高俉の家族と寝食をともにし、構想を練ったことの持つ意味は大きかったと想像される。いわば一家族の中に入った居候。大津は生涯、家族を持たなかったが、この擬似体験を持つことで、新たな境地を広げたと言える。世界の小津安二郎はこのようにして生まれた。
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