ネオテニー(幼形成熟)とは?オオカミが祖先となる犬、なぜ可愛いのか!それをみていく!
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パリ五輪での新種目ブレイキン。米国NYブロンクスで始まったダンスだが、女子の部で日本人AMIが初代女王に輝いた。このブレイクダンス、いわば遊びから発展なものだと言う。この遊び心が日本人は他の人種の人たちよりもあるようだ。そういえば、東京五輪で始まったスケボーやスポーツクライミング、日本人はこれも得意としている。これらの競技に強いというのは、やはり脳の柔軟性に関係があるのではないだろうか。
*人類、生き残り戦略!
我々サピエンスが生まれて30万年。我々以外にも、ネアンデルタール人やデニソワ人がいたが、彼らは死滅してしまう。生き残ることができたのは我々だけだ。これが可能だったというのが、脳の柔軟性だったと言える。大人になっても、幼児期の形態や気質を残すことをネオテニー(neoteny)という言葉であらわす。
ネオテニーであるため、好奇心があり、恐れを怖がらず、物事に対し柔軟に対処できるというわけだ。我々の祖先は、アフリカ大陸で生まれたが、5万年前にここから世界へ広がっていく。この冒険心の源となったのは、どうやらネオトリーであったためと見られている。仕事においても、新たなものに挑戦するにはネオテニーであった方が生き残れるし、有利なようだ。
*犬という動物を見ると!
犬はオオカミを祖先とした生き物だ。しかし幾世代にもわたり、ヒトは性質の穏やかな個体を掛け合わせ、人に懐くようにしたと言う。これが犬である。体が小型化し、マズルつまり根元から鼻先までが短くなり、耳が垂れ、顎が小さくなった。まだ気質も穏やかとなり、好奇心が旺盛で恐れを知らない。
遺伝子から見ると、オオカミにいちばん近い犬種は、日本犬の柴犬のようだ。ということは、この柴犬はもっとも人と歩調を負わせにくいいるといえるだろう。それでも日本人の多くはこの犬を飼っている。私も以前飼っていたのは、この柴犬。知らない人が来ると、真剣な顔をして吠えていた。驚くのは自動車に対しても、敵対意識を持って追いかけたことだ。やはりオオカミの気質が多分に残っていたのだろう。
*遊び心と原点、ネオテニー!
歳をとってからも好奇心が強く、何でも挑戦する人は、ネオテニー度がたかいと言える。近年、日本人の平均寿命は著しく伸びてきた。これにどうやらこの幼形成熟も関わっているようだ。高齢になっても、スポーツをする人は元気ということがその根拠となる。
日本人を含めモンゴロイド(黄色人種)は、他の白人黒人よりもよりネオテニーだと言う。そのため、欧米人から見ると日本人は若く見られるようだ。以前は若く見られるというのは、あまり良いことではないと思っていた。しかし、脳の柔軟性や可塑性から見ると、これは褒め言葉ということになる。
かつて太平洋戦争後にマッカーサーは米国議会で、こう答えている。「我々が45歳の成熟した年齢であるのに対し、日本人は言ってみれば12歳の少年といったところでしょう」と。日本については、その仕組みを変えてもそれに対応する能力があると見ていたようだ。しかし、同時に危険なことも平気でおこなう!という意味があったように感じる。
*ヒト、ネオテニー説とは
人の頭部を見ると、チンパンジーの幼少期にどこか似ている。チンパンジーは大人になると頭の形は全く違うものになるようだ。そこから人は、チンパンジーのネオテニーという考えが生まれたと言う。これは1926年にオランダの解剖学者ルイス・ボルクによって提唱されたもの。
実際にヒトは、チンパンジーよりもはるかに長い間子供でいる。動物の多くがじゃれと遊ぶのは幼少期に限られるのだが、人の場合では大人になってからもよく遊ぶと言えるだろう。この遊びの気質が人の知能を発達させ、文明や文化の進歩の原動力などだったとする考えだ。
今後、さらに人類が地球環境に柔軟に対応していくには、この遊びの精神は必要のようだ。何事に対しても挑戦し、切り開いていく。これができるのは、ネオテニー度のたかいヒトと言うことだろう。
*まとめ
2014年に世界的ベストセラーとなった『サピエンス全史』。これは1976年生まれの歴史哲学者ハラル氏の書いたものだ。この本のなかで著者は「我々人類は虚構という嘘を作りあげ、それを集団で信じ、行動してきた」と説いている。近年では独国ナチスや思想教育で戦争を指導した日本だ。
ここにネオテニー説もいれれば、安定よりも冒険を好む気質があったことも加えられるだろう。戦争は大人の判断でいけば、これを起こすことは危険であり避けるはずだ。それを止められなかったのは、マイナスの意味の幼児性があったということが言える。最近ではプログラムの進化に伴い、PC検索をすると似たような意見がずらっと画面に映し出される。これはある意味、大変危険なこと。偏った意見だけが正しいとされてしまうからだ。国も研究者もこの辺りの改善を望みたいところ。そう言えるだろう。