[美術]印象派の「マネ」と「モネ」、違いとエピソード!
#美術 #西洋絵画 #マネ
#モネ #印象派
日本人が好きな印象派の画家たち。私自身も、自分の部屋に複製を飾り楽しんでいる。たぶん、日本人の感性にもっとも合うのだろう。各地の美術館巡りをしていても、人だかりがあるのはこの印象派の絵である。今回は、似た名前の「マネ」と「モネ」について、その鑑賞ポイントについて述べてみたい。
*間違いやすい名前!
日本語表記でも「マネ」と「モネ」。1文字違いのうえ、頭文字がマ行でかなり似通っている。フララス語表記では、「Manet」と「Monet」、こちらも「a」と「o」の違いだけ。当時のフランスにおいてもよく間違えられたと言う。どちらが年長かと言うと、マネの方だ。そこで次のように覚えるとよい。「モネが、マネしたナ」と…。意味は、「モネがマネ(の)下七(したな)」、つまりモネは7歳年下ということである。
そもそも印象派という言葉は、自分たちからそう名乗ったわけではなかった。当時、権威ある画家たちがモネたち絵を見たときに「こんな絵はたんに印象を描いたに過ぎない。人に見せられるようなものではない!」、そう酷評されたことによる。1872年モネの描いた『日の出 印象』のタイトルは、新聞で書かれたこの悪口からつけられた。
*サロン入選を目指したマネ!
マネの親はブルジョアでかなり裕福だったが、本人はどうも勉強はできなかったようだ。父親に海軍将校になると宣言し、海兵学校を受験したが、落第している。それもなんとニ度もだ。結局17歳で、画家クチュールのアトリエに入り6年ほど修行した。
目標は誰もが認める画家となること。それには画家の権威である当時の重鎮たちに評価されなければならない。アカデミーが開催する公式の美術展覧会(サロン)に入選することだ。それを目指し続けたのだが、なかなかうまくはいかなかった。画力(絵の才能)は、それなりあったが、ポイントがずれていたということだった。
1963年にマネは、代表作二点を描いている。『草上の昼食』と『オランピア』だが、このどちらもルネサンス最盛期のイタリア人画家ティツィアーノに題材をかりて描いた。このニ作品とも、一般女性の裸体を描いたものだが、当時の人物の衣装をそのまま表現したため酷評され、どちらもサロンに落選している。
*結果として、印象派の画家に!
マネ本人が印象派を目指していたわけではない。かえって印象派は好きではなかった。しかしサロンに落選されたことで、異端者となり、印象派の画家たちから注目されるようになる。
そもそも、女性の裸体を描くのが許されるのは、それが女神だから。ティツィアーノのニ作品、どちらも女神だった。だからこそ、人々に許容されたのだが、そのことをマネは理解していなかったと思われる。しかし、現代になってみると、マネのニ作品とも名画中の名画として高い評価となった。
不評だったマネの作品、これを海外に流出することを守ったのはモネだった。なるほど、現代人の目から見れば、一流の作品である。確かに『オランピア』とは、娼婦の通称であり、『草上の昼食』は、黒い着衣の男性2人が裸の女性と談笑する場面。当時としては風紀に反するというのも納得できる。
*モネ、反サロンの立場!
現代においては、学校においても自分の見たイメージを描きなさいと、美術の授業では教えられる。しかしこの当時は、物体や人体を重厚な写真のように描けとされていた。ダヴィンチからラファエロ、そしてアングルまで受け継がれてきた伝統技法、これこそ王道とされていたのだ。
モネたち印象派は、日本の浮世絵を参考にして、柔らかな筆つかいと明るい色彩を使い、時間とともに移りゆく景色をカンヴァスに写しとった。これはサロンから見ると邪道だとされている。もう一つ言える事は、背景として新しい発明があったということである。1941年に米国人画家JG・ランドにより「チューブ絵の具」ができたのだ。
この発明により、印象派の画家はカンバスを持って様々な場所に出向き、描いていった。また、絵画技法としても「絵の具」をチューブからそのままカンヴァスに置く方法へと変わっていったと言う。「絵の具」は混ぜれば混ぜるほど濁る。絵を見る人の目の中で混ぜる手法が考えだされた。オレンジ色を表現するのには、赤色のすぐ横に黄色くをおく、このことでそう見えるようにしたのだ。
*まとめ
マネは、晩年になってサロンに迎え入れられた。だがフランスではそれほど知名度はあがっていなかったようだ。マネが亡くなると、アメリカより『オランピア』の買い入れ申し込みがあった。これに反対したのがマネだったと言う。マネはフランス国内で人々に訴え募金活動をする。
集めた金2万フランで『オランピア』を1890年に買取り、国へ寄贈している。1907年ルーブルに入った後、1987年からはオルセー美術館にはいった。『草の上の昼食』も、オルセーで見ることができる。当時、物議を醸した作品だが、いまとなっては至極の作品と言えるだろう。
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