[ 映画レビュー ]2019年『あの日のオルガン』 東京大空襲を前にした疎開保育その実態とは?
#映画レビュー #疎開保育
#あの日のオルガン
#東京大空襲 #映画感想文
この映画、銃後の人びとをあらわした作品。太平洋戦争では、戦地においての戦死者は、軍人や軍属など合わせて230万人、外地での一般邦人が30万人、そして日本国内では50万人だった。国内で死んだ人のほとんどが空襲によるもの。米爆撃機B29が市街地にたいし、焼夷弾(しょういだん)を落とした。これは通常の爆弾ではない。水では消すことのできない油を詰めた筒、これは火を噴きながら、何万何十万という数で落ちてくる。ほとんどの人は、ガスにやられたり、火の海に包まれて死んでいったのだ。
このような事態になることは、国もわかっていた。そのため小学3年から6年生は地方への集団疎開となる。そう、都心に住む子供たちを地方に避難させた。しかし、親元から離れずに暮らしていた子供たちも多かったのだ。幼児や小学2年生までの子供たちである。「保つ」に育児と書いて、保育。この保育には手間がかかり、国も二の足を踏んでいたのだ。1945年3月10日の東京大空襲では、家族ともども多くの幼児が死んでいった。そんななか、それに先駆け幼児の集団疎開を試みた保育所があった。この映画はその実話をもとにして描いている。
*疎開保育、本当の話し[事実談]
これは1944年11月から始まったこと。母子愛育会傘下の保育施設、戸越保育所(元品川区)と愛育隣保館(元墨田区)で、疎開保育を計画する。課題はいくつもあった。⑴園児の父兄、その了解 ⑵食糧と住居をどう調達するか? ⑶幼児の感染症対策。これを事前に考える事は必須だった。まず愛育隣保館の館長・広瀬興が、埼玉の蓮田にある古寺を探してきた。当然、この土地の住民にも食糧供出の了解を取りつけている。
父兄への説得で、56名の幼児を預かることとなる。スタッフは、保母が戸越保育所から畑田光代(映画では楓)ほか4名、隣保館からは鈴木とく他2名、合計8名だった。このほか、給食担当、保健婦、栄養士各1名。村からは女子2名(後に4名)も加わる。保母の年齢は、鈴木とく34歳だったが、他は19歳から27歳だったと言う。このほか週一の巡回により、愛育会の教養部・保健部の診察がおこなわれていた。
新たな保育所としたのは、埼玉県の現蓮田市にある真言宗の寺『妙楽寺』。JR桶川駅から6キロの距離。かなりの年月まったく使われておらず、当時はほぼ廃墟に近かったようだ。多分、この村の長(おさ)は荒れ寺が収入になれば良いと思ったかもしれない。また彼らに食材も売ることができる。村民に了解を取ったかはわからないが、自分の意見が通ると思っていたようだ。
*村民と保育所の軋轢?
この映画では、村民がイヤイヤながら保育疎開を受けいれたように描いている。実際にはどうだったのだろう。この辺り、愛育会側としても頭を絞ったと思われる。さすがに都心で保育所を運営してきた団体である。地元住民の気持ちに寄り添うことを念頭に、いくつかの仕掛けで村民を納得させていったようだ。
まずは人柄を相手に知らしめる作戦。村の代表者たちを集め、愛育会主催の宴会を開いた。この映画にも少し描かれてはいるが、あんなものではなくもっと盛大だったようだ。愛育会としても、これがいかに大事か、重々理解していたため、接待のうまい人材を用意してきたのだ。
さらに預かった子供のなかには、小学生もいて、彼らは地元の小学校に通うようになった。ここで村民との交流もできる。そして農繁期には村民のための託児所も開設。村民の労働の助けにもなり、おおいに喜ばれたと言う。愛育会の教育は村民にとっても驚きだったようだ。愛育会の子供たちを見た村の子供たちも、彼らの真似をし、行儀や生活態度も良くなっていく。
*妙楽寺での健康管理!
『あの日のオルガン』で全く描かれていなかったのが、この医療健康についての話である。保育所会で一番懸念されているのは感染症。このときの日本、特にジフテリアが心配されていたが、愛育会では事前に幼児全員に予防接種もおこなっている。実際には1人だけジフテリアを発症したが、軽くすんだようだ。
疎開先で、感染症となれば隔離は難しい。その辺りも慎重だった。実際に、小児麻痺の子供もでたという。村の医師からは単なる寝冷えとの診察。しかしすぐに本部へ連絡。愛育会の医師が駆けつけ治療したため、子供は一命をとりとめている。ほぼ完璧な医療保健体制だった。
*保育、母親制を取りいれ!
この映画では、ある児童の父母が訪れ面会したが、すぐに帰ってしまい、子供は寂しくなりオネショをしたと描かれている。そしてこれが他の子供にも伝わり、保母は困り果てるという話だ。たまたま保母のミッちゃん先生(大原櫻子)が、その子の横で寝てしまう。すると毎日オネショをしていたその子が、なぜかオネショをしなかったという話し。そこからリーダー格の主任保母・カエデ(戸田恵梨香)は、当番制から母親制にしようと決断する。
だが実際には違っていた。当番制は、あまりにデメリットが多かったからだ。⑴責任者がおらず、幼児一人ひとりを見ていない。⑵突発事故への対応がどうしても遅れる。⑶子供への愛情が不足する。
これにたいし、母親制は⑴一人ひとりの子供に目がとどく ⑵子供が明るくなり、保母に母性が目覚める。⑶グループで活動することになり、年長の子が年下の面倒をみるようになる。つまりリーダーシップが生まれる。
たしかに当番制の場合、保母はしっかり休むことができる。だが、子供にはマイナスと言えるだろう。
*まとめ
この映画『あの日のオルガン』、最後の場面を見て、ほろっと涙が出た。幼児を預かり9ヶ月ほどの間責任者として頑張ってきた楓先生。終戦後にすべての子供の引き取り手が現れ、最後にいたニ人も見送るシーン。緊張の糸がきれたのだろう。あれだけ気丈に振る舞ってきた主任保母、板倉楓。泣き虫ヨッちゃん先生のまえで泣き崩れてしまう。これは感動的な光景である。
脚本としては、少しハショリすぎた感が否めない。このドラマ、一番の見どころは、村民との交流と医療体制の素晴らしさだった。そこをもっと突っ込んで描いていれば、名作となったはずだ。題材が良いだけに少し惜しかった気もする。
[補足説明]
愛育会は、「福祉法人恩師財団母子愛育会」である。いまの上皇(明仁親王)の誕生を記念する「御下賜金」により設立された。現総裁は、秋篠宮妃紀子さま。なお、映画では愛育会については触れていない。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?