[映画レビュー]『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』現代人が考えるべきこととは?
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史実に基づくとされるこの映画『太平洋の奇跡』。だが、どうもかなり脚色されたもののように見えた。太平洋戦争でのサイパン島をめぐる日米の戦い。壮絶を極めたと言える。この当時、島にいたのは民間人2万人、陸軍は4万3千名の守備隊がいたのだ。しかし、軍人で生き残ったのはわずか千人弱。民間人も1万人が犠牲となっている。
*あらすじ
サイパン島での戦いで、米軍はほぼ島を制圧する。しかし、ジャングルに奥にはまだ僅かな敗残兵が残っていた。米軍部としては、完全に一掃することを求めたが、なかなかそれができない。理由は巧みなゲリラ戦を仕掛け、姿をくらます少人数の部隊の存在だった。いつの間にか、アメリカ兵のなかで、その指揮官をフォックス(きつね)と呼ぶようになっていた。
島の米総司令官は、部下の大尉に、それが誰なのか調べるさせる。収容した民間人の一人が「大場栄大尉」であることを告げた。業を煮やした司令官、全軍で掃討作戦にうってでる。しかし、彼らを見つけだす事は、とうとうできなかった。
*タイトルに違和感!
この映画の原作はドン・ジョーンズが著した書籍にある。タイトルは『タッポーチョ太平洋の奇跡「敵ながら天晴」玉砕の島サイパンで本当にあった感動の物語』
英語での原題は『Oba the last Samurai :Saipan 1944-45』である。
ドン・ジョーンズ自身としては「太平洋の奇跡」とはしていない。あくまで「最後のサムライ」としたまでだ。しかしこれでは読んでくれないと見たのだろう。翻訳者が「太平洋の奇跡」の文字を入れたと見られる。映画のタイトルにもこれが使われたのだ。
では何が奇跡なのか?この本から見ると「タッポーチョ」がキセキとあるようだ。サイパン島の中央にある低い山(標高500メートル)だが、密林に覆われ、一部は崖となっている。ここに身を隠したことで、米軍の目をあざむき、生き残ることができたということのようだ。
*大場栄大尉の思いとは?
自分自身が英雄であるとはまったく思っていなかった。多くの戦友を死に至らしめたことに責任を感じていたようだ。1980年代、ドン・ジョーンズがこの本を書くことを大場に伝えたと言う。いちどは了承するものの、自分の思いとは違う箇所は直させて欲しいと申しでた。その結果、かなり英雄美談は削除されたという。
しかしその思いとは別に、映画はヒットしなくては意味がない。どこかヒーロー的な部分を入れこんだのだ。映画では「自分では歩けないものを連れて戦場へはいけない」。大場は部下に向かって言っている。しかし事実は「ケガ人は自決」するよう命令したのだ。
これは大場の考えというより、日本軍の方針である。そのため、部隊が戦場にむかう途中、一発の銃声を耳にする。言われた兵隊が、自ら頭部にピストルをつけ撃ったのだ。これこそが現実だった。
*終戦記念日、8月15日
以前の投稿でも、8月15日以降、戦争が終わっていないことを書いたが、このサイパン島での戦争も終結は12月1日だった。米軍自体は、9月2日のポツダム宣言への日本の調印において、戦争は終わったと思ったはずだ。しかし、ジャングルを奥地にのこっていた敗残兵はまだまだ戦うつもりでいた。
大場大尉の英断をひとつ挙げるとすると、民間人を米軍に引きわしたことである。日本人にとって、アメリカ人はいわば「鬼であり畜生」。投降したら何をされるかわからないという恐怖感を抱いていた。軍部はさかんに民間人にそれを話すことで信じさせたと言ってもいいだろう。そういう軍人のほとんども、それが事実だと思っていた。
フィリピン・ルバング島に戦後29年も潜んでいた小野田寛郎・陸軍少尉。彼もまた終戦後も戦争を続けた一人である。上官より「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも5年でも生きぬき、敵に損害をあたえろ!」と言われ、それを忠実に守ってきたのだ。この軍部上層部の指示により、海外においては一人ずつ違った戦後があったということを、我々は頭に入れておかなければならないだろう。
*まとめ
米軍から砲撃により焼けただれた民家。そのなかに赤ん坊がとり残されていた。大場大尉はそれを見つけると、米軍がわかるように家の軒に目印をぶら下げたのだ。敵に自分たちの存在を知れてしまう危険な行為だが、大場大尉は、米軍に赤ん坊の生命を託した。
これは史実かどうかはわからない。ただ人の生命を守る衛生隊長としてサイパンにやってきた大場である。このシーンは大場大尉における人間性をあらわしていると見ていいだろう。ラストシーンでもこの赤ん坊が登場する。日本の未来はこの子たちに託されていることを訴えているようでもあった。
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