③好きのゆくえ。

いつも思っていた。片思いの人の好きのゆくえはどこなのだろう?

一度芽生えてしまった好きという気持ちが相手の気持ちと相違してしまった場合、その好きは、直ちにゴミ箱にでも捨てて、しっかり蓋をしないといけないのだろうか。

それとも心にとどめながらも、朝起きて、何事もなかったように仕事をして、一人の家に帰り、時々相手のことを思い出しては心臓の傷に塩を塗りこまれたように染みる痛みを味わい続けるのか。


しかし、私は今までの経験から、本当は分かっていた。
時間や人が、傷を少しずつ小さくしてくれることを。時間はかかるが、彼を好きになったこの気持ちも、いつかは薄れていくものだということも。

だが、私はどちらの選択肢も取ることができなかった。彼が私の好きを優しく受け止めてくれたからだ。涙の告白後も彼と一緒に時間を過ごし、そのように感じていた。私は傲慢だった。
彼は自分のことを好きな私を離さなかった。彼もまた、大変、傲慢だった。
二人の傲慢さが、絡まり合い、二人は一緒に居続けていた。

彼はたまに、寂しそうな顔をすることがあった。あまり彼の過去の話を深掘りしてはいけない気がしていた。
そんな彼が、自身の父の死について話をした日があった。

高校生の頃、彼の父が自ら死を選んだという。腰が悪く、稼業である農業を続けることができず、死を選んだ。と彼は言っていた。
その時の周りの環境や農業の在り方に、彼は納得いかない部分があり、変えたいという思いからその後農業の学校に進んだという。

その話を終えた後、彼は「家庭を持つ、ということに自信がない」とぽつりと言った。

彼の本当の真意は分からない。
けれども私は泣きそうだった。
こんなに人思いで愛情深い彼。深くは語らない彼だが、今まで色々な思いがあって生きてきたのだろうな、と思った。
でも、私は彼の前で涙を流すことはなんだか違う気がしていた。私が流していいもんじゃ無い気もした。自信がなかった。私は弱かった。

別に、良かったのだ。そうゆう過去があったから私と家庭を築くことはできない、私のことが本当は好きだが、将来のことは考えられないから付き合えない。じゃなくても。
別に、良かったのだ。付き合わないのが、ただ私のことが好きじゃないって理由だったとしても。

私が勝手に彼の過去の話を聞いて、勝手に彼の今までを考えると涙を流してしまいそうになっただけ。私がそばにいてあげなきゃ、なんて思っていない。
そんな彼と、私が、そばにいたくてたまらなかったのだ。

そう、自分を奮い立たせた。彼から離れないことを彼由来の理由にするのは違うと言い聞かせた。
本当は、話を美化させて私自身が納得したい気持ちもあったけど、そんなんじゃないと思った。私は自分の好きに自信を持たなければいけない気がしていた。誰のためでもなく自分のために、変な自信を自分でつけた。


ドラマだったら、自分と相手が一緒にいない場面を撮るカメラマンがいて、心の声が流れる。お互いのすれ違いや、本当の心の声が流れる。
現実は、相手の本当の心の声は、分からなかった。

だから人々は話し合う必要がある。
だが、私は弱いから、それができなかった。
彼が私のことを好きじゃ無いって言ったら、どうにかなりそうだったのだ。私はヒロインを演じる自信がなかったのだ。

傲慢同士が、話し合いをせずに、目先の幸せを手に入れたくて一緒にいた。月日は流れ、一緒にいることが当たり前になっていった。

つづく。

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