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独りで生きたくないのに、一人で生きられるようになりたい。

こんばんは。
タイトルは、私が最近ずっと思っていることです。ここしばらく、彼とのことを書いていたけど、今日は自分の思いを、あまり言葉を選びすぎずに綴りたい。

私が思っている自分って(急に)、甘え下手で強がりで、実際見た目も強そうだから(どちらかというとキリッと猫顔)、勘違いされやすいけど、本当はかなりの寂しがりやだし、人との繋がりを大切に想っているし、人のことを考えている。一人の時間も自由で好きだけど、好きな人と一緒に過ごす時間が私にとってとても大切。
愛されたいよりも、どちらかというと人を愛したい。誰かを愛す事のできる自分がすきだというのもある(大いに。)自分自分!の人生よりも、人のことを想っていられる人生を歩みたい。好きな人に喜んでいてほしい、楽しくいてほしい。きつい思いをしてほしくない。
そんな気持ちがつよい。

そして、大人になるにつれて、気付いてきた。人一人が本当に大切にできる人には限りがあるのだと。本当は、関わりを持つ人間皆を、大切にすることが理想だけれど、それでは時間と心の余裕と体力と、、色々なものが不足してしまう。
人生は、意外にも短いのだと、気付き始める。
「大切にする人」を、見定めて選んで、覚悟を決めないと、そばにいてくれた人はいなくなってしまう。

大切にする人を選ぶことが妥協といわれてしまうのなら、そんなこという人は悲しい人だなぁと思う。
「あんなに面食いだったのに、あの人選んだんだ〜妥協したんだね」言わせておけばいい。そんなこという人は大体、愛せない自分を棚に上げて、誰かを評価したいのだろう。あなたは人をそんなにも評価できる程、できた人間じゃない。(と、私が評価している)(ザ、矛盾)笑

その人と過ごす時間で、相手の良いも悪いも知って、その人を大切にしようと決めた自分がいるのだ。
周りはその人のこと、何も知らないのだよ。私からしたら、山崎賢人よりも、僕からしたら北川景子よりも、その人には魅力があるのだよ。!!!

人には様々な面がある。良い部分も悪い部分も。
その人を知れば知るほど、きっとこんな風に言えないだけだ、とか、不器用だからこうなっちゃうんだろうな、とか、良いか悪いかだけで簡単に見たら悪になっちゃうその人の態度が、なんだかふっと受け止められちゃったり、許せちゃったり。人間とは面白いものだなあ。


私の祖父は、根っからの昭和亭主関白男で、母から聞く話によると、母が幼い時から、家庭を顧みず仕事人間だったよう。家での態度はかなりの大暴さがあり、母は今でも父(私の祖母)のことを嫌いで、いつも悪口を言う。長女の私にだから言うんだと思う。母にも吐き口は必要だと思うから、嫌ではない。

でも祖父は、ある面で見れば自分に厳しく、がむしゃらに働き、会社を立ち上げ、自分のビルまで建てた。優しい優しいだけでは、成し得なかったことだろう。誰にでもできることでは決して無い。また、彼なりに周りを大切に、という気持ちはあったのだと思う。私が幼い頃は、私の家族と従兄弟と、親戚みんなでの旅行代を祖父が全部出して連れて行ってくれたりもした。
母が離婚し、幼い私と妹を抱えたまま実家に帰った時には、自由に使え、とだけ言ってカードを持たせてくれたそう。
母はそのことの恩を今もずっと忘れずに、毎週我が父の元に顔を出している。
でもきっと、私に話す祖父の話はごく一部で、本当はもっともっと酷くて最低な部分があるのだと思う。(結果として、妻にも息子にも祖父は縁を切られている)

この間、祖父の誕生日に私と母と妹と4人でフレンチ料理を食べに行った。
祖父は口を開けば、同僚を敵と思え。とか、給料が良すぎて金が余ってるだろう。とか、嫌な顔をしたくなることばかり孫の私にも言ってくる。
だが、その日はよっぽど楽しかったのだろう。ビールをみんなで飲んで、ほろ酔いで。89になる祖父はとても幸せそうに見えた。
祖父は自分の建てた立派なビルに独りで住んでいる(皆でて行ったから)。私は帰りくらいは送っていこうと思い、母と妹とは解散し、祖父のビルまで一緒に歩いた。ビルの下まで祖父を送り、ばいばいを言い、祖父に背を向けて私は帰路を歩いた。かなり歩いて振り返ると、祖父がまだビルの下にいる。
手を振るが、さすが不器用男、手は振り返さない。ただ、私の姿が見えなくなるまで、じっっと私を見つめて、立っている。
なんだか、祖父なりの愛情表現なのだと思った。
そして、その不器用な祖父をそばで支えてくれる芯の強い奥さんでも居れば、祖父は今よりも幾分か、幸せだったんじゃなかろうかとか思った。
もちろん、祖母は優しくて良い人だし、祖母が祖父から離れるまでに、妻として、どれだけの苦労をなさったかは孫の私は無知だ。酷いこともたくさんされたのだと思う。でも、そんな祖父の可愛い端くれに触れて、孫の私は勝手ながら、そんな思いになったのだ。誰か一人でも、祖父を最後まで受け入れてくれる人がいたら、、と。
そんなことを思う反面、祖父は自分の一番近くにいる人達を大切にできなかったから、今の結果があるんだとも思う。
幸せそうな祖父の姿を見て、優しい優しい母が、「今日このまま死ねたら、お父さんも幸せやろうにね。」と、言ったくらいには祖父は今まで酷かったのだろう。そんな事を言いながらも、お祝いまでする母は、本当に強い人間なのだ。そして、どこかでお父さんの良い部分も忘れないでいる。



私は、そんな母の姿や、色んな人を見て、思う。
一人で生きられる強さは欲しいけれど、独りだとは思いたく無い。と。
どこかで自分を受け入れてくれる人がいる。その人を大切に想える強さも、私はこれから得ないといけない。

一人で生きる強さと、誰かと共に生きる強さ。
どちらの強さも私は、得たい。

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