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須賀神社に立ち寄ってみた(新宿区)

 新宿の四谷へ両親の墓参りに行ったついでに、以前から行ってみたかった須賀神社に寄ってみました。
 時期はゴールデンウィークの直前、四月下旬です。

 うちの墓がある寺は外苑東通りに近い須賀町と左門町の町境の通り沿いにあるので、その道を東へ歩いていきます。その通りは片側に寺が何軒も連なっていて、江戸の古地図を見ると昔から寺町だったようです。

本性寺 開運毘沙門天
江戸の国学者、歌人の萩原宗固の墓がある
宗固の門人には『群書類従』の編纂で知られる塙保己一がいる

 本性寺を過ぎて、通りの途中で北に入ると須賀神社の通りに突き当たります。

 こちらの鳥居は正面ではなく横からの入り口。入ってすぐの所に摂社の稲荷神社があります。

 天白稲荷神社というそうです。祭神は宇迦能御霊大神。
 赤い鳥居のうしろに岩が両側に置かれ、そのうち左側には、穴があります。狐穴に見立てられているのでしょうか。

おヒゲの狛犬
台座に鮫河橋氏子と彫られている
鮫河橋は新宿千駄ヶ谷の鮫川(旧赤坂川)にかかっていた橋で、鮫ヶ橋ともいう
須賀神社の東の谷に川があって、川沿いに鮫ヶ橋町があった

 もともと、この稲荷神社の方が先にこの地に在ったといいます。
この稲荷社は赤坂一ツ木にあったのを、寛永十一年[1634]にここへ遷座されました。

須賀神社拝殿
左手の通路の奥に摂社天白稲荷社がある

 そしてこちらが須賀神社です。祭神は建速須佐之男命。寛永二十年[1643]に、日本橋大伝馬町の牛頭天王社(現神田神社内)から四谷の氏神として勧請されたそうです。
 翌年に稲荷社と合祀され、江戸時代は稲荷天王合社と呼ばれていました。

 牛頭天王は明治以降は須佐之男命になり明治元年に須賀神社と改称されました。

 この拝殿に三十六歌仙の額が飾られています。中に上がりませんでしたが、照明がついているので、外からのぞき込んでも見ることはできます。
 この絵は、四谷大番町(大京町)の旗本大岡雲峰[1764~1848]の絵と、公卿千種有功[1797~1854]の書により、天保七年[1836]に完成、奉納されました。新宿区指定有形文化財になっています。

三十六歌仙の写真が掲示されている


神輿倉
く組
梯子塚
境内は崖の上にある
下に見える屋根は妙行寺

 こちらが正面の鳥居。その右手に崖を下る階段があります。

階段の途中
こちらの階段は女坂という
女坂下の妙行寺
奥の石垣の上が須賀神社

 立派な石垣が築かれ、その上に神社があることが分かります。
 実は写真には写っていませんが、外国人旅行者と思われる人が幾人かいて、ちょっと驚きました。観光名所でもなさそうなのに、どうしてこの神社に来たのだろう。

こちらは男坂の階段
女坂より東にある


 
 あとになって、新海誠監督の『君の名は』のラスト近くのシーンで男坂をモデルにした風景が出てくるのだと知りました。アニメ業界で働いていたくせに、その手の情報には全然疎いので、そうだったのかと……。
 こちらの階段が江戸から近いのでメインの参道なのでしょう。
 そして、この崖下が江戸時代鮫ヶ橋谷町といったあたりになります。(現在は若葉2丁目)

 階段を降りた先は、又上り坂になっていて、ここが谷底だと分かります。

奥に見える東福院坂(天王坂)
坂の上に新宿通りが通っている
新宿通りが尾根道になっていて、その先は下り坂になる
(すみません、指が映りこんでいるww)
かなり急な坂道

 写真は無いのですが、この東福院坂の東隣に円通寺坂があり、その道に沿って旧赤坂川が流れていたようです。川は今では全くありませんが、昔は紀州徳川家の中屋敷に流れ込んでいました。現在の赤坂御用地、迎賓館がある所です。御用地内の池の水は川から引いていたのでしょうかね。

レトロな雰囲気のオフィスビル

 東福院坂を登り、丸の内線にて帰路につきました。
 いつもは墓参りのあとは神宮外苑をぶらぶらすることが多いのですが、たまには違うところを歩いてみるのも面白いですね。



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