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四谷怪談の現場を歩く(2)

埋葬地―妙行寺跡

お岩さんの埋葬地(前)

 JR信濃町駅の南側、新国立競技場のある側に出てすぐ左手に、かなり急な下り坂がある。そこを降りていく。
 その日はよく晴れていて、風もなく温かい散歩日和な天気だったが、坂を下るにつれ何だか陰気な雰囲気になってきた。その坂は千日坂という。千日坂と聞いて私は「おや?」と思った。すると坂ノ途中に一行院千日寺という浄土宗の寺が見えた。これはもしやと思って、入口の自治体が立てた説明板を読むと、寺の裏手の首都高速の工事をした時に、多数の人骨や副葬品が見つかったと書かれていた。
 やはり思った通り、ここは古い埋葬地であった。千日坂とは念仏が千日聞こえ続けた・・・いや、それ以上続いたことに因んだ名称だろう。
 今回、そこが目的地ではないので写真は撮らなかったが、一行院の本堂はモダンですがすがしい、屋根の形が印象的な新しい建物である。(後で知ったのだが、新国立競技場をデザインした、隈研吾氏の設計だそうだ)
 境内には古い板碑や石仏が並び、それらを見て回るのも楽しい——かもしれない。

千日坂

 千日坂を下りきると左手に小さな児童公園がある。そこを左に曲がって、公明党本部の前を過ぎ、しばらく進むと今度は上り坂になる。坂を登りきる手前のところが目的地だ。

安鎮坂の左手に妙行寺があった

 ここにかつて妙行寺という寺があった。田宮家の菩提所であり、お岩さんもここに埋葬された。もちろん、怪談のお岩さんではなく、寛永時代の貞女と言われたお岩さんの方である。夫の伊右衛門さんもここに埋葬された。
 妙行寺は明治時代に巣鴨に移転し、そのとき墓も移された。
 地図で確認してみよう。

上:江戸切絵図(国会図書館蔵)
下:google mapより

 この辺り、駅に近いせいか、それとも南側に赤坂御所や明治神宮外苑など、皇室関係の施設が多いせいか、道路が付け替えられているところが多い。妙行寺の移転もそれが理由だろうか。
 安鎮坂も江戸切絵図だと妙行寺のところで折れ曲がっているが、現在は真っ直ぐになっている。因みに、上の妙行寺跡付近の写真に写っている狭い坂が昔の安鎮坂である。

 前回紹介した『於岩稲荷来由書上』で、田宮家跡地に住んだ山浦氏が、怪異を鎮めるために稲荷を勧請したという寺が妙行寺だ。その山浦氏も妙行寺に葬られているという。
 次回は、巣鴨に移転した現在の妙行寺に行ってみたいと思う。


 豆知識。
 江戸切絵図中央左よりに永井信濃守の屋敷が見える。これが信濃町の名の由来になったそうだ。

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