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於岩さんが生きてた頃━━江戸時代始めました⑥

 前回までは江戸の町がどのように造られていったかについて書きましたが、今回は趣向を変えて於岩さんが生きていた頃の、女性の髪形がどうだったかについて調べてみました。

 戦国時代の髪形といえば、長い髪を後ろで束ねて垂らした「垂髪」が主流でした。それが江戸時代になると、ふっくら結い上げて簪を刺して固定するといういわゆる「日本髪」になります。時代劇に出てくる江戸の女性はみな当たり前のように髪を結っています。
 二つの髪形があまりにも違うので、一体いつ変わったのか気になったのです。田宮於岩さんはどんな髪型だったのでしょう。

桃山スタイルと江戸スタイル
大体こんなイメージ 

 縄文、弥生、飛鳥、奈良と日本の女性はずっと髪を結ってきました。それが平安時代になると、垂髪が主流になります。長く豊かな髪が美人の条件になりました。この垂髪は鎌倉、室町、桃山まで続きます。

 桃山時代の末期になると、明や朝鮮との交易が盛んになり、大陸風の文化に刺激されて、おもに遊女や女歌舞伎の役者の間に「唐輪からわ」という髷が流行りました。

唐輪
うん、なかなかかっこいいね

 江戸時代に入ると、唐輪髷の変形で「立兵庫たてひょうご」という髷が出現します。寛永[1624~44]の初め頃に摂津の遊女が結い、その後寛文[1661~73]の頃に一般の女性にも広まったそうです。

立兵庫

 よく知る日本髪らしくなってきました。
 びんたぼの張り出しはあまりありませんが、前髪を頭の上で結っているところなど、まさしく日本髪の特徴です。
 でも、唐輪の時は単純に髪をひっつめていただけなのに、鬢、髱を出し、前髪をまとめて結うという発想はどこから出たのでしょうか。

 そのヒントは若衆髷にありました。

若衆髷

 月代を剃ってはいますが、前髪を束ねて結い、後ろに流しているところや、鬢や髱のふくらみもあります。
 遊女や女役者たちは、こうした男性の髪形を取り入れて、様々な結い方を考案しました。島田髷や、勝山髷などはそれを流行らせた遊郭、遊女の名前がついています。彼女たちは江戸時代を通じてトレンドリーダーでした。

 当時の絵画(屏風絵)にその風俗を見ることができます。例えば「彦根屏風」を見てみましょう。

彦根屏風(部分)

 左の女性は唐輪髷ですね。右は若衆髷の男性。二人ともかっこつけてます。

彦根屏風(部分)

 双六をする男女です。左の女性は垂髪のようですが、真ん中でゲームをのぞき込んでいる女性は唐輪にしています。

彦根屏風(部分)

 恋文を書いている女性は垂髪の先を輪にしています。これは庶民もよくしていた髪型です。右の指差している少女は禿ですね。
 この「彦根屏風」は寛永年間[1624~44]に作られたと考えられています。ちょうど於岩さんの生きていた時代です。

 「江戸図屏風」を見てみましょう。この屏風は「彦根屏風」と同じ寛永期に作られました。

江戸図屏風(部分)

 江戸城の堀の傍を行く女性たちです。被着を頭から被った身分の高そうな女性が子供を連れています。髪型は垂髪です。後ろの侍女は垂髪の先を輪にしています。

江戸図屏風(部分)

 上野寛永寺の大仏の傍を歩く女性たちも同じような格好です。

江戸図屏風(部分)

 踊りを見物している人々の中に、唐輪か兵庫髷にしている女性を見つけました。中央の建物の戸口のところに立っています。暖簾がかかっていて商売をしているようです。茶屋でしょうか。

江戸図屏風(部分)

 湯島天神の参道です。垂髪を後ろでお団子にしている女性もいますね。こうしてみると垂髪が多いですが、結い方に決まりが無いようにも見えます。

 「江戸図屏風」には寛永時代に家光が造らせた天守閣が描かれています。於岩さんはこの天守を見ていません。於岩さんがリアルタイムに見ていたのは秀忠時代の天守です。家康時代の天守も見ていたかもしれません。
 ということは、於岩さんの生きていた頃は、まだ垂髪が主流だったことになります。

 因みに、この記事のタイトルの元絵は菱川師宣の「見返り美人図」ですが、この絵は師宣が1630年頃の生まれということなので、於岩さんが亡くなった後に描かれたことになります。

 「大阪夏の陣図屏風」は慶長二十年[1615]の合戦の様子を描いています。戦の絵なので、圧倒的に男性が多いのですが、落城する城から逃げようとする女性の姿も見えます。それらの女性たちはほぼ全員垂髪です。唐輪のように頭の上で結っている人はいないようです。
 慶長二十年はまさに於岩さんが生きていた時代と重なります。彼女の父親も従軍していたかもしれません。

 結論として、江戸幕府が開かれたころの女性の髪形は、遊女や女役者や茶屋女など一部を除き、武家や庶民は垂髪が主流でした。しかし、垂髪でも先を輪にしたり、お団子にしたりと各自好きなように結んでいたようです。

 寛永の頃から徐々に日本髪の基本形が出来始めます。それが身分、階級ごとに決まりごとが作られるのは、もっと後のことになります。


参考資料

江戸開府 日本歴史シリーズ11               世界文化社
日本伝統の髪形 櫛まつり作品集 京都美容文化クラブ編    京都書院
江戸のきものと衣生活  丸山伸彦編著             小学館

もっと知りたい日本髪 | ポーラ文化研究所 (po-holdings.co.jp)
風俗図(彦根屛風)  | 彦根城博物館|Hikone Castle Museum|滋賀県彦根市金亀町にある博物館 (hikone-castle-museum.jp)
江戸図屏風左隻 〔高精細画像版〕 (rekihaku.ac.jp)

 

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