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ぼおるぺん古事記二次創作八

こうの史代先生の「ぼおるぺん古事記」二次創作小説です。オリジナルキャラクター(神)や独自解釈及び妄想を多分に含みますので、ご容赦ください。


あつかひあつかひ


 黄昏が近いらしく、宮の天窓からは暖かい金色の光が差し込んでいる。
 しかし、宮の中は暗い。
 そんな宮の中心に座るスセリビメは御子神──シロタエノイズモヒメ、もといシロタエを抱っこしていた。
 恐る恐る顔を覗き込むと、シロタエはすやすやと眠っている。目元にはまだ涙の跡が残っている。
 なんであんな事を……。
 娘の頭を静かに撫でながら、スセリビメは何度目かもわからないため息をついた。

 神在月の会議の準備が祟ってか、夫ナムヂが珍しく風邪をひいて寝込んでしまった。
 スセリビメは残っていた薬を飲ませ、娘と自分に風邪がうつらないよう別室で休ませた。
 しかし生まれてからまだ三年しか経たないシロタエには、大好きな父様と離れて寝る意味がよくわからないようだった。
 スセリビメが説明しても、シロタエは何度も父の側に忍び込もうとし、その度にスセリビメに捕まっては怒られていた。
 そして何度目かも数えるのが億劫になった時、スセリビメはシロタエの肩を掴んで問い詰めた。
「何回も何回もダメって言ってるじゃない。どうして母様の言うこと聞けないの?」
 シロタエは少しうつむいて、上目遣いで、
「だって」
 と呟くように言い、
「とうさますごくくるしそうで、いなくなりそうなんだもん」
 いなくなる、というその言葉の意味を悟ったスセリビメは、頭が真っ白になった。
「嫌なこと言わないで!」
 気が付けば、シロタエを怒鳴り付けていた。
「本当にいなくなったらどうするの!」
 怒鳴り付けて、はっとした。
 シロタエはスセリビメを呆然と見つめていた。ナムヂによく似た目は大きく見開かれ、自分と同じ千歳緑の瞳には、涙が溜まっている。
 自分はとんでもないことをしてしまった、とスセリビメが気付くと同時に、シロタエはぽろぽろと涙をこぼした。
 ややあって、シロタエはしゃくりあげ、大声で泣き出した。
「──ごめんねシロタエ、ごめんなさい……」
 シロタエの泣き声に堪えきれず、スセリビメはうつむいて御子神を抱き締めるしかなかった。

 それからどれほど経っただろう。誰かが宮の戸を優しくゆっくりと叩いた。
 シロタエを起こさないように抱っこしつつ、スセリビメはそっと立ち上がった。
 片手で戸を開けると、
「スセリさん」
「や、スセリビメどの」
 義母のサシクニワカヒメが籠を片手に柔らかく微笑んでいた。肩にはスクナビコナが乗っている。
「お義母様、スクナビコナどの」
 スセリビメが目を丸くすると、スクナビコナが明るく、
「突然申し訳ない。ここの民達から聞いてな。スセリビメどののためにもオオクニヌシの風邪をさっさと治さねばとサシクニワカヒメどのと来たのだ」
「気が利かなくてごめんなさいね。シロタエがまだ小さいっていうのに、うちの愚息が風邪なんかひいて」
 義母が詫びている間に、スクナビコナが器用に床に着地し、薬や医療器具が入っているらしい袋を引きずりながら、
「我はオオクニヌシを見てくる。サシクニどのはスセリビメどのを頼む」
「ええもちろん」
 サシクニワカヒメがうなずいたのを見て、スクナビコナは、今度はスセリビメを見上げ、
「さて、ヤマイクニヌシどのが寝ているのはどの部屋か、指差してくれるか?」
 わざとおどけた言い方に、スセリビメも思わず小さく吹き出してしまう。
「あっち、右側の部屋」
「承知した」
 スクナビコナはさっさか走り、部屋へと消えて行った。
「そうそう。これ、差し入れ」
 サシクニワカヒメが籠の中を見せる。美味しそうな料理を詰めたタッパーが大量に入っている。
「あとでシロタエと食べてちょうだい」
「ありがとうございます」
 スセリビメはそっと頭を下げた。
 サシクニワカヒメは台所に行って籠を置くと、スセリビメに振り向いて、
「家事、私がやりましょうか。それとも、スセリさんがやる?」
 と、優しく聞いてきた。
「……じゃあ、シロタエを、お願いします……」
 少しだけ考えて、スセリビメはシロタエをそっと渡した。
「ええ、わかったわ」
 サシクニワカヒメはうなずき、眠りこけたシロタエを抱っこしてくれた。

 スセリビメは自分でも信じられない速さで家事を次々と終わらせていった。娘を怒鳴り付けた罪悪感から逃れたかったからかもしれない。
 そうこうしている内に全ての家事を終え、ひとまず客神二柱にお茶を持っていこうとした時。
「かあさまー!」
 シロタエの泣き声が耳を打って、スセリビメは再びほの暗い気持ちに戻った。
 お茶の盆を落とさないよう、サシクニワカヒメとシロタエの元に早足で向かう。
 見ると、シロタエはサシクニワカヒメの膝の上でいやいやと首を振り、むずかって大泣きしていた。
「シロタエ」
 盆を床にそっと置き、シロタエの肩に触れながら娘に呼びかける。
 シロタエはばっ、と勢いよく振り向くと、
「かあさま、だっこー!」
 と、顔を涙でぐしゃぐしゃにしたまま腕を伸ばしてきた。
 スセリビメはすぐにシロタエを抱っこした。
 シロタエはひっくひっくと嗚咽を漏らしていたが、落ち着いたようで泣き声は上げなくなった。
「シロタエ、大丈夫、おばあ様よ」
 そっと囁くと、シロタエはスセリビメの顔を見上げ、それから祖母のサシクニワカヒメへと視線を移した。
「ごめんなさい、びっくりしたわよね。今まで母様に抱っこされてたんだものね」
 サシクニワカヒメがシロタエに詫びる。
 シロタエは警戒を解いたらしく、すぐに泣き止んで、
「……ん」
 とうなずいた。
 しかし母様と話したいようで、スセリビメに視線を戻して、
「かあさま、シロタエきらい? きらいだから、いなくなってたの?」
「嫌いなもんですか。大好きよ」
 ああ、怒鳴り付けてしまったから、嫌いになっていなくなったと思ってしまったのか。
 心がずきずきと痛んだが、スセリビメは真っ直ぐにシロタエを見て笑いかける。
「急にいなくなってごめんね。ちょっとやる事があったから、家中うろうろしてたの」
「うん、いいよ」
 シロタエは笑ってうなずいてくれた。そして少しうつむいて、
「シロタエも、かあさまのいうこと、きかなくてごめんなさい」
「わかればいいのよ。母様も怒鳴ってごめんね」
 出そうになる涙をこらえながら背中を擦ってやると、シロタエはすっかり安心したらしく、また眠りこけてしまった。
「母様が大好きなのね。あなたを好いてるナムヂみたい」
 サシクニワカヒメが温かく静かに言った。
「そう、でしょうか」
「ええ、だって私そっちのけで母様の方に行ったじゃない」
「……嫌われても、しょうがないのに」
 スセリビメは思わず呟いた。一度口に出したら、堰を切ったように、言葉が止まらなくなった。
「ナムヂが風邪を引いて、シロタエ、何度言い聞かせてもナムヂのところに行こうとして、理由を聞いたら、父様すごく苦しそうで、いなくなりそうなんだもん、って……。私、何も考えられなくなって、シロタエを怒鳴り付けて、泣かせてしまって……」
 ぽろぽろ、涙が溢れてくる。
「シロタエは父様……、ナムヂのこと心配してただけなのに、なのに……!」
「大丈夫。あなたもシロタエも、気疲れしてるだけよ」
 サシクニワカヒメは、震えているスセリビメの肩をそっと抱いた。
「シロタエのお世話とナムヂの看病をずっとしてたんでしょ? それじゃあ疲れて余裕がなくなって当然よ。
 私はね、そんな奥様を手助けしたくてここに来たのよ。だから、今は御子神と一緒に眠ってて、ね?」
 サシクニワカヒメは立ち上がり、お茶目に笑う。ナムヂそっくりの笑みだ。
「よく寝る子は、人でも神でもよく育つって言うもの」
「……はい」
 スセリビメは涙を拭い、シロタエを抱っこしなおして立ち上がった。



「おい、オオクニヌシ、聞こえるか」
 妻や娘とは違う高い声に、ナムヂ──オオクニヌシは目を覚ました。
 すっかりぬるくなってしまった湿布の感触と体の熱にうなされながらもゆっくり振り向くと、マスク姿の小さく可愛らしい男神が枕元にいた。
「スクナビコナ」
 掠れた声でその神の名を呼ぶと、神──スクナビコナが、
「ほれ、これでもくわえとけ」
 と体温計を口に突っ込んできた。
「さて、まずは湿布を取り替えるぞ」
 スクナビコナはオオクニヌシの顔の上に乗って湿布を剥がし、新しいものを額に貼っていく。
「いやー、一旦滅びかけてどうなるかと思ったが、便利な道具が復活して良かった良かった。民達に感謝するんだな」
 ひんやりとした真新しい湿布に、オオクニヌシは思わずため息が出る。
 そこで丁度体温計が音を出した。スクナビコナがすぐに口から出し、体温を確認した。
「三十七度八分、まだ高いな」
 スクナビコナは体温計を消毒してよっこらせ、とケースにしまった。
 そして袋から瓢箪と盃を取り出し、
「起き上がれるか?」
 オオクニヌシはゆっくりと体を起こした。
 スクナビコナが盃を持たせ、瓢箪の中身をなみなみと注ぐ。
「薬湯だ。一晩でギンギンになれるように調合しといたぞ」
「素直に治ると言えばいいだろう」
 苦笑して一口飲んだオオクニヌシは、思わず咳き込んだ。
「苦い」
「黙って飲め。そなたに風邪をひかれた妻君と御子神の苦労に比べたらどうってことなかろうが」
「──ああ、確かにそうだ」
 オオクニヌシは息を止め、薬湯を一気に飲み干した。
「いい飲みっぷりだな。これなら大丈夫だ」
「ありがとう」
 礼を伝えると、苦味が押し寄せてきてまた噎せる。
 すると、
「加減はいかが? ヤマイクニヌシどの」
「母上」
 母のサシクニワカヒメが、やはりマスク姿で入ってきた。
「スセリとシロタエは?」
「寝てもらったわ。二柱とも疲れてたから」
「そうですか……」
 オオクニヌシはうつむいた。母がゆっくりと言い聞かせる。
「……二柱に申し訳ないって気持ちはわかるけど、あなたも取りあえず寝てなさい。でないとスセリさんとシロタエに謝れないわ」
「……はい」
 オオクニヌシは布団に倒れ込み、そのまま意識を手放した。



 ふっ、と目を覚ますと、もう夜明けらしい。
 天窓からは、少しだけ明るくなった空が見える。
 スセリビメは首を動かした。左隣にはすやすやと寝息をたてている愛娘が、右隣にはサシクニワカヒメとスクナビコナがそれぞれ眠っている。
 あの後、親子で二時間ほど眠った。それから、一晩泊まってくれることになった義母とスクナビコナと共に差し入れの料理を食べ、片付けやお風呂を済ませて早めに寝た。
 その間中、シロタエはずっとご機嫌でいてくれた。
 滅多に会えないお祖母様と父様の元相棒が、看病の合間に一緒に遊んだり、色んなお話をしてくれたからだった。
 さてと、とスセリビメは皆を起こさないよう、音を立てず起き上がった。
 ヤマイクニヌシどのの具合はどうかしら。
 夫の容態を思いながら、忍び足で歩いていった。

 体温計を見ると、三十六度九分。平熱にしては高めだが、ひとまず峠を越えたようだ。
 オオクニヌシは安堵のため息をついた。今日中には妻と娘に会えるかもしれない。
 額の湿布を剥がしていると、
「起きたの?」
 と、恐ろしくも愛しい妻の声がして、思わず勢いよく振り向く。
 部屋の入り口に、妻スセリが笑いをこらえながら立っていた。
「うん。ついさっき」
 オオクニヌシもつられて笑う。
「私の顔が変な風になってるのかい?」
「ううん、シロタエも同じことしてたから。あの子も勢いよく振り向いてたの」
 小声で話しつつ、スセリは枕元に来て座ってくれた。
 御子神の名を聞いたオオクニヌシはややうつむき、
「すまないことをした。あの子にも、お前にも」
「本当よ。私達、大変だったんだから」
 スセリが手を握ってくる。温かく柔らかい手。
「熱はどう?」
「ああ、大分下がったよ。スクナビコナの薬のおかげだ」
「さすが医療の神ね」
 スセリは嬉しそうに笑う。直後、スセリの目元に涙が浮かんで、オオクニヌシによりかかってきた。
「……治ったみたいで、良かったわ」
「ありがとう。本当にすまなかった」
 オオクニヌシはスセリの肩を抱いた。妻がどれほど心細かったか、察するに余りあるくらいだった。
「今日中には治るよ。会議の準備はもう終わったから、私とお前とシロタエとでどこかに出掛けよう」
「じゃあ、シロタエにも謝らなきゃ」
 スセリは顔を上げた。
「あの子ね……」
 その時、
「かあさま」
 いつの間に来たのか、シロタエ本人が部屋の入り口に来ていた。
「あらシロタエ、起きたの?」
「うん」
 まだ眠いのか、シロタエは目をこすりながらとことこと両親に歩みよる。
「なかずにこれたよ。えらい?」
「うん、偉いわ。本当に偉い」
 スセリがシロタエの頭をくしゃりと撫でる。
 その仕草に愛しさが滲み出ていて、オオクニヌシも自然と笑みが溢れた。
「驚いた。一人で来れたのかいシロタエ」
「そりゃそうよ。父様が心配なあまり、何度も父様のところに行こうとして私に怒られたんだもの。部屋くらい覚えるわよねー」
「ねー」
 明るくうなずくシロタエの耳元に、スセリは口を寄せて、
「そうそう、シロタエ、父様少し元気になったって」
「ほんと? とうさま」
 シロタエがオオクニヌシを見る。妻と同じ千歳緑の瞳がきらきらと光る。
「うん、本当だよ」
 オオクニヌシはぐっ、と腕を上げて見せた。
「母様もお前も来てくれたし、あとはゆっくり寝れば、もっと元気いっぱいになるよ」
「じゃ、いっしょにねれる? いなくなったりしない?」
 矢継ぎ早に聞く御子神に、オオクニヌシは唇を噛んだ。この子は本当に寂しくて不安だったのだ、とスセリが伝えようとしていたのがよくわかった。
「一緒に寝れるかどうかは、スクナビコナどのに聞かないとわからないけれど……」
「そっかぁ」
 しゅん、とするシロタエに、オオクニヌシは「でも」
 と笑いかける。
「いなくならないよ、大丈夫」
 とたんに、シロタエの顔はたちまち明るくなった。
「やったぁ」
 勢いよく抱き付かれて、オオクニヌシは思わず倒れかける。しかしぽかぽかとしたシロタエの体温に、心が安らぐ。
「すまなかったシロタエ。元気になったら一緒に寝よう」
 そのままぎゅっ、と抱き締めてやると、シロタエは楽しそうに笑ってくれた。
「ほらシロタエ、父様と寝たかったら、もう少し休ませてあげなきゃ」
「うん」
 スセリが促すと、シロタエはオオクニヌシから離れ、スセリと手をつないで、
「またね、とうさま。ぜったいいっしょにねてね!」
 ぱたぱたと手を振りながら部屋を出ていった。
 その直前に、スセリがにっこりとして口だけ動かす。
 何を言ったのか悟ったオオクニヌシは、固まって妻と娘を見送る。
 ──私とも寝てね。
「……早速徹夜だな」
 いらぬ苦労をかけた分付き合わねば。
 なるべく体力を取り戻そうと、オオクニヌシは苦笑しながら再び布団に横たわった。

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