見出し画像

ぼおるぺん古事記二次創作五

こうの史代先生の「ぼおるぺん古事記」二次創作小説です。オリジナルキャラクター(神)や独自解釈及び妄想を多分に含みますので、ご容赦ください。


たいめしなづく

 赤ちゃん姫神が産まれて来てくれたその日の昼間。
 産屋をすっかり綺麗にして、穢れ祓いもしたというので、夫が来てくれた。
 その時まで、スセリビメは赤ちゃん姫神と一緒に仮眠をとっていた。スセリビメが先に起きたのを見計らって、義母が連れてきてくれたのだった。
「スセリ」
 御子神を起こさないように、ナムヂが静かにスセリビメの隣に座る。
 スセリビメは陣痛で苦しんでいた時に心に決めていたことを実行することにした。
「ナムヂ」
 静かに名前を呼ぶなり、即座にナムヂの鳩尾に鉄拳を叩き込む。
「ぐっ……!」
 呻いて踞る夫に、スセリビメは小声で責め立てた。
「あんたね! 私のみならず他の妻達に対してヤりたい放題ヤった挙げ句に何自分だけあの痛み味わってないわけ? そういうもんだからってズルいわよ!」
「スセリ……」
 夫が真っ直ぐにスセリビメを見る。ナムヂの顔には、スセリビメへの感謝と申し訳なさがはっきりと浮かんでいた。
 スセリビメは涙をぼろぼろとこぼした。
「あの時の痛みはこんなもんじゃないんだからね! こっちは本当に神去るかと思ったんだから……、ナムヂのバカ……」
 ナムヂに強く抱き付いて泣く。ナムヂは優しく抱き締め返し、耳元で囁いてくれた。
「──祈ることしか出来ずすまなかった。ありがとう、でかした、スセリビメ……」
 それから一頻り抱き合って一週間ぶりの再会を静かに喜び合った後、ナムヂが聞いてきた。
「スセリ、御子神を……、ヒメを、抱っこしてもいいかな?」
 スセリビメはそっと離れた。夫はいつも以上に優しい顔をしていた。
「もちろんよ、父様」
 スセリビメはうなずいた。
 ナムヂはスセリビメの額に口付けすると、慣れた手付きで生まれたての赤ちゃん姫神を抱き上げた。
「さすが、子沢山のタラシの大神は経験が違うわね」
 それがちょっと悔しくて、わざと意地悪を言ってみる。
 ナムヂは苦い表情をほんの少し浮かべたが、すぐに腕の中の御子神を見て、
「何度目だって、とても嬉しいよ」
 包み込むように、赤ちゃん姫神を体に寄せる。
「本当に、本当によく産まれて来てくれたね……」
 絵になる光景に、スセリビメはしみじみと幸せを感じた。
 と、言祝ぐような鳥の鳴き声が、天窓から降ってきた。
 二柱で見上げると、晴れきった昼の空に、白い雲がたなびいているのが目に飛び込んで来た。
「──私ね、思い切りいきんだ時、何も聞こえなくなって、何も見えなくなったの。力も抜けて……。
 でもその時、青空に浮かぶ白い雲が何故か目の前に見えた。
 それこそ、雪の晴れ間の雲で、出雲の名前の元になったような、沸き立つばかりの清々しい白雲。
 下を見たら、産屋が見えて、その入り口近くに、あなたの姿が見えて……、それであなたと目が合った瞬間に、この子が産まれた。人間で言えば、幽体離脱ってやつだったのかしら?」
「え──」
 ナムヂが振り向く。ぬばたまの黒目が大きく見開かれている。
「じゃあ、あれは、気のせいじゃなかったのか」
「え?」
「イノシシ神の知らせを受けて、ずっと産屋の前で待っていたんだ。そして夜が明けて青空になって雲が出てきた時に、お前の姿が空に見えた。それで目が合った瞬間に、産声が聞こえた……」
「……」
 スセリビメはしばし黙った後、ナムヂの耳を思い切り引っ張った。
「いたたたた!」
「じゃあ私はやっぱり神去る直前だったってことじゃない!」
 手を離し、ため息をついて、赤ちゃん姫神ごとナムヂにそっと抱き付く。
「……生きて会えて良かった。あなたにも、この子にも」
「……うん」
 ナムヂが優しく肩に手を回してくる。スセリビメは笑いながら、
「そうだ、名前、決めたの。今」
「聞かせておくれ」
 スセリビメはうなずいた。
「──シロタエ。シロタエノイズモヒメ」
 指を赤ちゃん姫神の小さな手にそっと近づける。
 姫神は母神の指をしっかりと握った。
「私達親神が雲を見た時に産まれてきた神、雲が出てきた時に産まれてきた神。葦原中国の出雲の新しい姫神──トヨアシハラノシロタエノイズモヒメノミコト」
 スセリビメは赤ちゃん姫神──シロタエに、祝詞を言い聞かせるようにつぶやく。
「良い名だ。とても」
 ナムヂは優しくうなずいた。
 と、シロタエの目がぱっちりと開いた。父神と同じ形の目。それでいて母神と同じ千歳緑の瞳。
 スセリビメが思わず見とれていると、シロタエは顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
 ナムヂは匂いを嗅いで、
「おしめではなく、お腹が空いたようだ」
 そしてそっと、シロタエを渡した。
「よろしくお願いします。母様」
 雲間からのぞく昼の光が、産屋の中を優しく照らしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?