森田、重労働で死にかける。

一応二つ目の記事。重度の飽き性のせいか早くも心が折れかけていますが、頑張って書きます。

以下、前回の続き。
初めて書いた小説を新人賞に応募し、あっさり落選したことを受け、自分なりに分析してみた結果、圧倒的に読書量が足りなすぎると僕は結論づけた。
とにかく日本語を知らなすぎたし、小説の書き方を全く理解していなかった。
そこで小説を買い漁り、ひたすら読んで勉強した。わからない言葉はすぐに調べ、吸収する。
物語構成、登場人物、ギミックなど、あらゆる項目を自分の中で設定して分析しながら読んだ。そのせいか、当時は一冊読むのに一週間かかった。
そうして二十冊くらい読んだ後にもう一度自分が書いた小説を読んでみると、反吐が出るほど下手くそで頭を抱えた。
前回の記事を思い出してほしい。 

なにこれおもしろ!天才じゃん俺!

と初めて書いた小説を読み、愉悦に浸っていた自分が愚かでならなかった。
なぜこの程度の完成度で満足していたのか、数ヶ月前の僕を殴りたかった。これを新人賞に応募していたのかと思うとゾッとした。
しかし、それに気づけたのは成長した証である。
自分の力不足を痛感して森田2.0にバージョンアップした僕は、一作目の反省を活かし二作目の長編に取り掛かった。

二作目は作風を変え、憧れていた重松清風の小説を書いてみた。両親を火事で喪い、祖父母の家に引き取られた捻くれ者の少年のお話。
心を開かない孫に見兼ねた祖父はおもちゃの病院を開業し、そこに訪れる人々との交流を描いたヒューマンドラマ。
これは小説野生時代新人賞へ応募したが、呆気なく一次選考で落選した(のちに別の新人賞で最終選考に残ったが、敢えなく落選)。
この物語はいつか形にしたいと思っている。

ちなみに僕は何度も新人賞に応募したものの、小説家になりたかったわけではなかった。
第一線で活躍している小説家は子どもの頃から本の虫で、その頃から執筆を始めている人がほとんどだと思っていた。
たとえばプロのサッカー選手は幼い頃からサッカーを始めた人が大半で、大人になってからサッカーを始めてプロになった人なんてたぶん存在しない。それと同じで大人になってから小説を読み始めて執筆を開始した僕が、プロになれるとは露ほども思っていなかったし、そんな甘い世界ではないと踏んでいた。
だから僕が新人賞に応募していたのは、ただの腕試しにすぎず、小説を書いていたのは現実逃避ができるからだった。

当時僕が働いていた会社は残業が多く、毎月100時間を超える時間外労働を強いられていた。
ストレスで体調を崩し、胃腸炎になって半日入院したこともあった。
その中で唯一、小説を書くことだけが僕の荒んだ心を癒してくれた。忙殺されていた現実の世界から、壊れかけた心を切り離してくれたのが小説だった。
唯一の逃げ場が自分の描く物語の中だけで、それがなければ自我を保てなかったかもしれない。
小説を書くことで、僕は精神を安定させていた。病院で処方されたどんな薬よりも、執筆は僕にとっての特効薬だった。

それからなんやかんやあって、僕は三作目の長編の執筆に取り掛かった。
何か泣ける物語を書きたくて、その手の本を読み漁った。涙を流すとストレスが軽減されるとテレビか何かで見たからだ。小説を読んで涙を流し、苦しめられていたストレスから解放されるなら一石二鳥だと思った。
しかし僕は映画やアニメを観て泣くことはあっても、小説を読んで泣いたことがなかった。
だったら自分で書いてみようと、そう思い立った。
次は自分を泣かせるために書いてみようと。
どういう小説なら自分を泣かせられるか、必死に考えた。
大切な人が死んだら泣けるよな。尚且つ、自分も限られた命だったとしたら。
そうして書き始めたのが、のちのデビュー作となる『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』だった。

ちなみに当時のタイトルは『余命一年と宣告されて入院したら、余命半年の少女と出会った話』であったが、デビュー時に改題した。


つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?