読書記録|世界から猫が消えたなら
鬱々な心をすこし溶かしてくれるような優しい物語。
脳腫瘍で余命を宣告された僕。
悪魔のささやきにのせられて、1日生きるために1つものを消すことを決めた。
今日もし突然、チョコレートが消えたなら、電話が消えたなら、映画が消えたなら、世界はどう変化し、人は何を得て、何を失うのか。
この世の全ては孤独で、虚しくて、でも当然で、必要で。
この物語と出会ったのは、大学生のころ。
友人とふたりで行った、映画が最初だった。
ブエノスアイレスの滝、トムさんとの別れのシーン、死ぬと告げた時のツタヤの表情…。
今でも映画館で感じたまま、思い出すことができる。
その後に文庫本で。
ページ数は多くなく、サッと取り出せて、ちょうど手になじむ。
映画プロデューサー川村元気さんの初の著作。
映画と小説。それぞれ表現が少し違うのもあって、
何度も何度も映画を観返し、本を読み返している。
心が疲れたとき、目を閉じても眠れない夜、
寄り添ってくれる言葉がちりばめられている。
主人公"僕"の母さん。優しくて、穏やかで、愛情深い人。
母の手紙は何度読んでも、鼻の奥がツンとして、泣いてしまう。
失われた後に気が付くもの。気付いたあとには、もう大丈夫だ。
「自分だけの時」と「自分以外もいる時」。
この考え方は、私にとって目から鱗、気づきを与えてくれた。
"孤独"があるから、人間には"愛"という感情がある、と主人公が気が付く、いう後述に続くのだけれど、
私が孤独だと感じていた時間は、ただ「自分だけの時」を過ごしているにだけ。
そう思うことで救われた。
この物語の面白いところは、
読めば読むほど、頭がぐるぐるしてくるってこと。
人間は「あってもなくてもいいもの」でありながら、「なくてはならないもの」。世の中にはそういうものであふれている。
いつぞやか読んだ本にも、「生きる意味なんかもともとないのだから、苦悩する必要もない。それは当然のこと」という文章があったような。
そこにただいる。それだけのこと。
簡単なようで簡単には考えられないけれど、いつか腑に落ちる時がくるのだろうか。
最後に。
私は小さいころ(今でも時々)眠れない夜によく想像した。
もし、お母さんがいなくなったら・・・。
もし、大好きなおばあちゃんが死んじゃったら・・・と。
家族は他にもいるけれど、
なぜだか想像するのは、いつも母か祖母だった。
その度に枕を濡らし、存在を確かめるかのように、横でグースカ寝ている母の手をぎゅっと握る。
このまま年月が過ぎれば、二人ともやがて年老いて死ぬだろう。
そんなの嫌だ。
じゃあ大切な人の私が代わりに死ねばいいんだ。
でも、それも怖い…。
だったら時間が止まればいいのにな。
だんだんと大きくなるにつれて、
"代わりに死ぬのが怖い" の部分が消えていき、
"出来ることならそうしたい" に変わっていった。
そうすれば、悲しむことも寂しいこともないだろうから。
そして今では、大切な人の代わりに…、などと理由をつけなくとも、
日々 "出来ることならそうしたい" という気持ちを抱えている。
明日、目が覚めることへ恐れを感じ、
消えてなくなりたい、そういう気持ちに心と頭が支配される夜。
この物語に触れて、溶かされ、ぽろぽろ泣いて、
心を取り戻す。