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乖離の現場

うぇるかむ とぅ ぱすたふるわーるど!
こんちゃ!希凛のぱすたです!

ドイさんのnoteを読んだからには


書かねばなるまいて!

(笑)

しかし!!!!!!!


世界!
炎上案件サバイバル!
家族の支え!

などに匹敵するネタは、、
POCKETには詰まってなかったので、
頑張ってアメンボ並みの大きさの事実を、できるだけ誇張して書いていきます🙂💡笑

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

遡ること10年前……学生でしたね💡www

学生時代、ぱすたは部活に(ついていくのが)一生懸命な坊っちゃんでした。

とっても山奥(見渡す限りの山)で、
何処へ行くにも基本は車が欲しい。
ナフコで買った10,000円弱のママチャリでどこまでも移動する
学生のぱすたは…

そんな場所で、ひたすら部活漬けの日々でした。



ここで、題の補完をしておこうと思います。

乖離という言葉を使って、
自分の置かれた場所や、その見え方、感じ方、表し方がチグハグだなぁと思った。

そんなことについて、
2つの体験を基に、
記録していきたいと思います。

1つ目
その表彰台の座は輝いていない

10年前。
よりも、少し前に立ち戻った時期。
ぱすたは大学生になります。
高校より始めて、勤しみ続けていた競技を
大学入学に合わせて、続けていく決意をします。

いわゆる体育会へ所属する。
仰々しく書きましたが、世間が思い描く強豪校のスパルタでガッチガチなもの。

とは、少し離れた
緩めではあるが、サークルや同好会、愛好会、集い、集団ってものからすれば、
規則やルール、しきたりに塗れた硬いだけ。のような組織。

人数も試合に出られるギリギリ。
低空飛行する墜落寸前の弱小チーム。

しかし、太古の昔から続く伝統でギチギチな上下関係が残る。
まるでじぇーてぃーしー…ゲフンゲフン。

そんなこんなで部活に入部するぱすたなのですが、
ここで困ったことに気づきます。
〇〇高校で部長やってました。
主将やってました。
エースでした。
そんなのばっかりが同学年に固まって入部してきたのです。

待てと。

こっちとら高校時代、
部活の顧問が練習中にキットカットをポリポリ食べてるくらいには、
ゆるふわ♪
楽しもう〜♪
みんなで頑張ってインハイ出ようね♪
うんたん♪うんたん♪
って環境でやってただけの、

ただの一兵卒でした。
困り果ててました。

そして始まる練習。
まず、練習量が違います。
周りでは
「なんか高校時代のほうがキツくね?」
とか
「なんか、身体がなまりそう。自主練しなきゃ」
とかいってる。

ぱすたはというと
「もう……無理。。死ぬ。辛い。ギブ。。」
「なんで高校時代の倍以上に練習すんの?ついていけない…」
と瀕死でしたw

しかし、その練習量が爆盛りになった成果が表れます。

部内で一番の成績者。
主将と肩を並べるような、成績だけなら肉薄する程度まで成長しました。
(ほら、型とか、お作法とか、佇まいは…ね?w)

そんなぱすたは2年生の時に地区の大会に出場し、
見事個人戦で優勝するのです。
(関東大会みたいな?)

駆け上がった舞台。
やっとみることのできる頂。
本当にうれしく思っていました。

…ある制度を知るまでは。
この大会は地区大会で、次のステージに続くものです。
(全国規模へつながるやつ?)
しかし、ここでまさかの制度が立ちふさがりました。

それは、
本地区大会において
「団体戦決勝リーグ進出校の中で、
最も個人成績の高い上位〇人が、
地区代表の選手になれる。」
というものです。

つまり、「個人戦での優勝者」は
賞状もらって、はい帰宅。
団体で残れる実力のあるチーム(学校)からしか選びません。
ということです。

結構、落ち込みました。
仲の良い他校の方からも「おめでとう!!」
と言ってもらえている中、
私はこの人数も少なく、なんとか団体で出場することができて、
どこまで戦えるかな?ってやってるチームに居るだけで、
選考から漏れるということ。
もちろん、弊チームが弱いだなんて思いません。
国体選手も居たりと、中々粒ぞろい。
何なら、同学年にはエース級の昔から活躍してる人も居る、
心強い面々の中で揉まれてきたのですから、
なんらメンバーに不満はありません。

しかし、個人戦で優勝するということは、
もちろんですが、名だたる強豪校の方々を全員押し退け、
頂点に立ったということ。
そのはずなのに、
「いやあ、その山に登っても意味ないから、
こっちの山にみんなで登っておいでね?また来年待ってるよ♡」
なんて言われて
(※言われてはいません)
とっても複雑な思いになりました。

自分に実力がないわけじゃない。
しかし、君は選考の枠にすらいれることはできない人間だよ。
そんな風にマイナスな感情にも支配されてしまうような、
勝った喜びと、
まるで負けたかのような悔しさ。
これを噛みしめながら、
表彰式に出て、賞状を頂きました。

てっぺんの景色は晴れ渡っていて、
とても清々しい物なのだろうと思っていただけに、
こんなにも複雑で怪奇な味がするとは思ってもみなかったため、
顔が引きつっていたのでしょう。
周りから祝福してくださった同学年の仲間や先輩方から
「笑顔ヘタクソすぎるだろwwwwもっと喜び方も練習しとかんとなw」
「うちの学校から優勝者が出るなんて最高だよ!!もっと喜べ幸せ者w」
とのお言葉を頂戴しました。

高校時代、
うんたん♪うんたん♪言いながら、ちんたらやってた自分からずれば、
出木杉のような結果に、心の奥底から喜べばいいものを、
どこか、不完全な成体になったような、
どろっとした苔苔しい臭いのするマントでも羽織っているかのような
鈍い感覚でいたこと。
あまりに周りとかけ離れていたなと思います。


2つ目
その表彰台の座は、ぱすたを見ていない

これは大学を卒業する際、
いよいよ最終日の卒業式後。
学部別の卒業式?セレモニー?にての話です。

上記の1つ目ででた、地区大会優勝の話を
ゼミの担当教官に話したことから始まるのですが、

「え?地区大会で優勝!?ってことは文武両道じゃん!!凄いじゃん!」

素直にうれしかったです。

関係者ではないからこその、事実に対しての称賛。
これを素直に受け取ることが、小さな自己肯定感にもなる
そんな風に思っていた矢先、
「じゃあ、俺から学部長に推薦しといてやるから!!」

ん?なんの話だ?
ジワリと、黒いものがどこからともなく滲んできている気がしました。

なんでも、学部にて、優秀な学生生活を送り、
学部の発展や周知、関連する活動を行った学生を表彰するというものが
卒業のセレモニーにて執り行われるとのことでした。

そんな席で、檀上に上がり、
学部の大勢の前で表彰されるなんて、
気分のいいことはないとも思うと同時に、
悪い予感は的中します。

卒業セレモニーの最中、
件の表彰の流れとなり、該当する卒業生が登壇していきます。
ぱすたも、しれーーーっとその列に紛れこむことになり、
(※なんの障害もなく、推薦が受理され表彰される運びになりました)
恭しく賞状と記念品を受け取り、OB会の方のありがたーーーーーーーい
お話を聞いていると、視界に指導教官と学部長が話しているのを見つけました。
読唇術は使えなかった為、一言一句を読み取ることはできませんでしたが、
降壇した後、指導教官からの発言ですべてを汲み取りました(曲解かもしれませんが…)

「いやあ、君のお陰で私も鼻が高いよ。
学部長からもお褒めに与っちゃった!
やはり、勉強も大事だが加害活動も並行して頑張る子を取りたい。
来年も部活入ってる子を取っちゃおうかなあ♪」

本当にぱすたは心が狭いとおもうのですが
「…ダシにされた?…」
と全然素直に受け取れなかったです。

もちろん、指導教官も当時准教授。その後ほどなくして教授へと
ステップアップしていかれたようですし、もともと順調に
キャリアを築いておられたことでしょう。
その一因にでも、心象にでも、なにかいい影響を与えられたならば、
学ばせていただいた恩義に報いることができて、うれしい気持ちもあります。
しかし、どうしても、納得のいかない成果の搾取のように見えてしまい、
なんだかやるせない思いも同時に抱いておりました。
まるで、二人。違う人間が同居しているかのような心情で、
チェイサーの水をあおっていたように記憶しています。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


長々と書いてきましたが、
大体10年ちょっとが経過し、
振り返るとこんな時代もあったなあとか、
こんなことしてたなあとか、

懐かしく思います。

そして、ここまでつらつらと思い出を書いてきましたが、
大切なことを忘れていた。
そう思い返しました。

あんなに打ち込んでいた部活。
それはそれは毎日へとへとで、ギリギリになるまでの日々でした。
しかし、それは若さゆえにできていたことや、
「知らない」からこそでっきていたことが、
結構あるなあと感じます。

では、今は?
なんとなく、身体の回復が遅くなり無理しないように。
なんとなく、明日はあれがあるから、このくらいに調節して。
なんとなくやりすぎないように。

頭でっかちに、リスクを回避し続けている日々。
でも、それが過ちであるかといわれると、
先んじて見通し、日々の生活を保つための大切な判断でもある。
とても一概にいい悪いで判断できない、
そんな責任と勘定で生きていってしまっているなと感じました。

そして何より、
大学まで行かせてもらい、
学びたいものを見つけ、
それなりにといったら今より頭の回転が早かった過去の自分に
失礼だなと思いつつも、頑張って勉強していたこと。

今、何にも活かせてないと感じました。

あれから10年経ち、
世の中にあふれる情報や技術は目覚ましく進歩した。
一人でやれることも、めちゃくちゃ増えた。
仲間を見つけることだって、そして繋がることも拡がった。

正直、封印し過ぎてあまり思い出せないことが多いけれども
テキストや書物、ノートはまだ実家にあるはずだし、
本屋に行けば、当たり前に知識は得られる。

専攻したこと、活かさずそのまま死ぬのはもったいないじゃない。

読書感想文(節文)だの、
試験勉強だの、

やりたいな、
やらなくちゃ、
そんなことはいっぱいあります。
でも、
絶対なってやるってことも、いまからでも再始動していこうと思います。

…ポケモンの主題歌じゃないですよ?(笑)

それでは🌟
see you ,soon!!


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