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認知症の母;愚考つれづれ

とある小説を読み、ある情景に我が身を重ねてしまった。

老いたヒロインが、それ以上に老いた認知症の母を見舞う日々。
母は動けず言葉も発せず、13年もベッドに横たわっている。それでもヒロインは
母を見舞い続けるのだ。

あるとき、老いた母が突然、虚空に白い腕を伸ばし、何やら掴もうとする。
”何か”ではなく、”誰か”の手を捜しているのだと、ヒロインは察知し母の手を自分の両の手で包み込む。

母の口から洩れた聞き取れる言葉らしき言葉は
”○○さん・・○○さ・・ん”と、父では無い男性の名前であった。


娘の両手に愛しい男の手を想うか、母の能面のような顔に、僅かながら艶っぽい笑みが
毀れる。

認知症の状態は人さまざまである。

わたしの友だちのお母様も認知症で長く入所なさっていた。
友の名をK子とする。


K子は、仕事帰りに毎日母を見舞う。彼女のお母様は、わたしが知っていた当時の温和さ、笑顔、優しい言葉、所謂わたしの知る彼女らしさは一切消えうせ、荒々しく変貌していた。
常に怒っている、怒鳴る、暴れる、口汚く誰彼構わず罵倒する、唾も吐く。

時に介護師さんに取り押さえられ、一人っ子たるK子すら、ののしり、部屋を開けた途端「出て行け!!おまえなど出て行けー!」と怒鳴った。

五年ほど前、K子は母親を看取り、

”可笑しくなっちゃうわ。毎日見舞いに行っていたのに、死に際に間に合わなかったの。皆さんがケータイに連絡してくれたらしいのね。
うふ、わたし、その日、ダンス教室で地下に居たから電波届かなくてね。”

”Kちゃん、辛かったわね。死に目に会えなくて・・でも貴女頑張ったわよ”と慰めようとしたなら、
K子曰く
”ううん、全然後悔していない、自分を責めてもいない。母にはわたしが解っていなかったもの。ただ一日の終わりに、わたしが顔を見たくて行ってただけ。頑張ったわよ。だからちっとも後悔していないわ”

当事、わたしは自分の母が認知症になるなど想像もしていなかった。ただK子の潔さ、見送った後の晴れ晴れとした顔に感嘆したものだ。

現在ーわたしの母は彼女のお母様と逆にて、病む前よりうんと可愛らしくなった。わたしを子だと認識せずとも、少なくとも怒鳴ることや拒絶は無い。

わたしを敵だとか害為すモノだとは思っていないわけで、わたしの顔を見ればパァ~っと顔が輝く。

切ないほど可愛らしい童女の笑顔だ。


凛とした、時に刺々しく毒吐いた母を懐かしく思う時もあるが、少なくとも、母によって言葉や態度で傷つけられたのは、母が病む前のほうが圧倒的に多いのだ。

小説の登場人物たる老いた母のように、わたしの母が父以外の名を呼ぶことなどあるまい、と思い、いや、母の心をわたしが一体どれくらい知っているのか、嫁ぐ前の母をわたしは知らない、嫁いだ後すら実は知らないのだと気付く。

事象や経験を知ることはあれ、彼女の心の襞までは知る術もないのだ。明かさぬ恋もあったかも知れぬ。

最近、わたし自身が、父のようになるか、母のようになるか、実は懸念している。


怖ろしい想像、わたしは呆けたら、家族の前で別の男の名を呼ぶのではないか。
最期の瞬間にも、過去に最も愛した男の名を叫ぶのではないか。


子どもたちは驚くだろうが、大人だもの、もしかすれば”お母さんらしいね”と涙と笑みを両方くれるかも知れぬ。

がー老いた夫は最期の最期、呆けたゆえの真実だと思うのではないか?


長い年月あなたと暮らし、あなたを激しくは愛さずとも違う形ながら確実に愛したのよ、と・・届くだろうか。

白い腕を虚空に伸ばし・・夫の名を呼び息を引き取りたいと、読後、切に願った。

まぁ、夫が先に往く可能性だって大きいのだが。
夫が違う女性の名を呼び往ったなら・・・嗚呼、考えたくもないw


日記;覚書

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