カウンターレディはプ女子⑩:創作小説と私
男が抵抗をやめ、石塚が馬乗りの状態のままで
半ば放心していると、入口から警官が入ってきた。
数人の警官の後ろにすみちゃんが居る。どうやら
従業員用の裏口から抜け出して通報したらしい。
石塚は立ち上がるとそのまま壁に寄りかかった。
「裕哉!大丈夫?!」
心配そうに声を掛けるすみちゃんに対して、石塚は
人差し指でそのおでこを軽くつついた。
「あのさぁ、”ここ”で裕哉って呼ぶなよ・・・。」
そう言って笑いかけようとする石塚だが、右眼が
半分しか開いてない。
ママは2人の複雑な関係には薄々気付いてはいたが、
今のやり取りで確信しただろう。
まぁ、今さらではあるのだが。
石塚はカウンターのあずきへと視線を向けた。
今起こっていた出来事への恐怖と、石塚への心配と、
他にも色々綯い交ぜにしたかのような、複雑そうな
表情でずっとこちらを見ていた。
もう大丈夫、と笑顔を作ろうとするのだが、やはり
瞼が腫れてきている右眼だけが不格好だった。
石塚とあずきは事情聴取のため、駅前の交番では
なく市の警察署に来ていた。閉店作業をすみちゃんに
任せてきた陽子ママもあずきに付き添っている。
石塚とあずきはそれぞれ別々に聴取を受けた。
石塚の聴取に立ち会った警官の1人が先日職務質問を
かけてきた人だったため、これまでの経緯については
比較的ラクに説明が済んだ。
ただ、今日の行動に対しては厳重な注意を受ける
ことになった。そもそも素人が危険を冒してまで
取り押さえる必要はない。「殴った」ことまでは
話さなかったが、それでも強引に捕まえようと
すれば危ないだけでなく、自身が暴行や監禁で
罪に問われる恐れもあるのだ。
石塚が取調室から出てくると、陽子ママがベンチで
待っていた。
「あずちゃんは?」
「お母さんと電話中。それより大丈夫、石やん?」
石塚は瞼が青く腫れ上がり、右眼がほぼ塞がって
いた。それに右手をずっと左手でさすっている。
「右手、どうしたん?」
「人殴ったの、初めてなんで・・・。」
殴り慣れていないせいで、拳を傷めていた。
さすっている左手も、カッターナイフの刃先が
当たったのか、細かい切り傷があちこちにあった。
殴ったという言葉に対してママは唇に人差し指を
立てて「言うな」というサインを送る。
「はぁ・・・ちょっと待っててな石やん。」
陽子ママは洗面所でハンカチを濡らしてくると、
腫れ上がった石塚の瞼にあてた。
「痛っ!」
「無茶するからや。」
「ママだって。アイツをあずちゃんに近づけない
ように体張ってたの、スゴいなって。」
「そりゃ私はそれが仕事やからさ。」
あずちゃんもすみちゃんも頼りにしている理由が
よくわかる、石塚は感心していた。
「私はえぇの。石やんよ。わざと怒らせて自分の
ほうに向けたやろ。」
「男はオレだけでしたからね。女の人に手出させる
わけには・・・。」
「それが無茶やって言うてるんやんか。」
そこへあずきが戻ってきた。
「石やん、大丈夫?」
そう言葉を掛けるものの、どう見ても大丈夫だとは
思ってなさそうだった。何せ石塚は片目をママに
冷やしてもらってる状況だ。言い訳も出来ない。
「んー、ちょっと無理したかも。」
「心配かけるようなことはしないって言ったじゃない
ですか!」
「・・・ごめん、あずちゃん。」
「あずちゃん、石やん、帰ろうか。」
「・・・はい。」
ママが呼んだタクシーで一度店に戻ると、すでに
シャッターが閉まっていた。
すみちゃんが閉店作業を済ませた後だった。
「石やん、キツいかもしれんけどあずちゃん送って
あげてくれる?」
「別にキツいところはないんで大丈夫ですよ。」
石塚はキーロックを解除して助手席のドアを開ける。
「そんな、もう大丈夫ですから。」
「あずちゃん、それじゃオレが車出してきた意味が
ないし、最後まで付き合わせてよ。」
ママは頷いて、石塚の言う通りにとあずきに促した。「行くよ、あずちゃん。」
「・・・はい。」
あずきを乗せた後、運転席に座った石塚にママが
お礼を言った。
「ホンマにありがとな石やん。あずちゃん頼むわ。」
「これで最後ですから、任せといてください。」
”これで最後”。
その言葉にあずきは胸が締め付けられるような感覚を
覚えた。
確かに問題は解決した。こうして安全のために家まで
送ってもらう必要はもうなくなる。
でも、そうなると少し寂しい。
・・・寂しい?
「・・・あずちゃん?」
石塚は二度、あずきに声を掛けていた。
「え、はい?」
「お母さんの家でいいの?」
「あ、時間も遅いので自分の部屋に戻るって母には
連絡しました。」
「OK、あずちゃんのアパートね。」
その後もアパートに着くまでの間、あずきはずっと
黙ったままだった。
あれほど怖い思いをしたのだから無理もない。
石塚はそう思いながら車を走らせていた。
そしてアパートの前へと車を停める。
しかし、あずきは車を降りようとしない。
「えっと・・・あずちゃん、大丈夫?」
石塚が心配になってあずきの顔を覗き込む。
俯いたまま、ずっと考え込んでいる。
やがて何かを思い立ったのか、石塚のほうを向くと
口を開いた。
「ウチまで来てください。」
「・・・あずちゃん、まだ不安なの?」
「そうじゃなくて、手当てしないと。」
「あぁ、それなら大丈夫だから。」
「アタシが大丈夫じゃないです。だからウチへ来て
ください。」
有無を言わせない雰囲気に押され、石塚はあずきの
申し出を受けることにした。
アパートの駐車場に車を駐め直し、あずきの部屋の
ある2階へと階段を上がる。
時折石塚が右手を振るのをあずきが気にかけた。
「痛いんですか、その手。」
「うん、ちょっとね。」
「・・・殴ったせい、ですか?」
「あー・・・ごめん、怖がらせるつもりはなくて。ただ
頭に血が上っちゃってさ。」
部屋に入るとあずきは救急箱を出してきた。
「あいたたた・・・。」
「何が大丈夫なんですか、もう。」
腫れた右の瞼。
傷めた右手。
細かい切り傷のついた左の手首。
湿布やガーゼ、絆創膏を貼り1つずつ丁寧に処置を
施していくあずきを石塚は黙って受け入れた。
「ありがとうあずちゃん。何か手馴れてるね。」
「甲斐ちゃんがよくケガして帰ってくるので。」
「そっか。元気いっぱいなのはあずちゃん似かな。」
そう言って優しそうに笑う石塚に、あずきは思わず
見惚れてしまった。
「ん?」
まじまじと見つめられて、石塚があずきの様子を
伺った。あずきが咄嗟にごまかす。
「他に痛い所とかないです?」
「うん、ありがとう。」
「右手は病院で診てもらったほうがいいですよ。
ヒビが入ってたりするかもしれませんから。」
「・・・そうだね、そうする。」
「ごめんなさい、アタシのせいで・・・。」
「それは違う。あずちゃんが謝ることじゃない。」
こういう時、石塚は過剰なほどの気遣いを見せる。
あずきはそれが少し気になっていた。
「石やんはどうして人にばかり気を遣うんですか?
自分のことは全然気にしないし無理もするのに。」
「オレ、自分のことには興味ないみたいだから。」
「え?」
「例えば、仕事してて職場が散らかってたりすると、
そういうのは気になって片付けようって思うのよ。
みんなが仕事しやすいようにって。」
「でもそれが自分の部屋なんかになると、どれだけ
汚くても散らかってても全然気にならない。それで
誰かが困るわけじゃないから。」
「石やん・・・。」
「誰かが関わってることなら何でもしようって、
やらなきゃって思うけど、自分だけのことには
ホントに興味なくて。お金なんかもそう。管理
出来なくてたまに電気止められたりとか。それで
慌てて払いに行ったりね。昔付き合ってた彼女には
セルフネグレクトだって言われた。多分そうなんだと
今は自分でも思ってる。」
「どうしてそんなことに?」
「自分でもわからない。誰かのためには何か出来る
けど、自分のためには何も出来ない。もしかしたら
自分は要らない人間なんじゃないかと思ってるから
かもしれない。自分じゃどうしようもないのよ。」
石塚が密かに抱える心の闇、自己への無関心。
それはあずきにはまるで予想もしないものだった。
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