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【小説】きっかけ 第2話

ニホンザリガニ:2

 大きな影が揺れながら鋭い眼球を向け、片言交じりで語り出した。
「ミーは、モーガン、デス」

 タロウは目を丸くして、ほっとしたように微笑み、態度を豹変させた。
「へー、んで、どこの出身だっぺ?」
 少し緊張した様子で問いただし、モーガンは少し間を置いてから答えた。
「ア・メ・リ・カ、デス」
「はるばるアメリカから来たっぺな、にっぽんご、わかんだべ!」
 タロウはさらに舐めた口調になり、モーガンは深い声で答えた。
「ちょっと、デス」
 首をひねり、タロウの身丈もある爪を、ちょっとだけ開くと、タロウは意地悪くぷいと顔を背けた。

「わしゃタロウ、えー、隣にいんのが…わいの、ワイフ」

「ミツコです。満ちる子と書いて、ミ・ツ・コ、分かるかしら? 月が満ちるミツに子供のコ、ミツは音読みでマンと読むけどコは、こんなこと言っても駄目ね、えへっ」

 ミツコは舌を出した。モーガンは一瞬考え込み、タロウは微笑みながら、ふと空を見上げた。

「ミツコ、ここはまるで夢のような場所だ。そうさ、アリスがウサギの穴に落ちて奇妙な世界に迷い込む話。今、私たちもそんな感じじゃないか?」

「確かに、こんな巨人に会うなんて、まるで夢みたい。でも、あなたはハートのジャックみたいなものね。強くて、頼りになりそうで、ちょっとおっちょこちょい」

「おいおい、私はそんなにおっちょこちょいじゃないぞ」

「じゃあ、次は帽子屋の話をしようかしら」

 モーガンは二人のやり取りを見て笑った。
「ははは、お客様お帰りです! またどこかでお会いすることがあるでしょう、それでは、バーイ!」

 モーガンが去っていくと、夫婦は顔を見合わせた。しばらく無言で棒立ちになり、お互いに何を言うべきか迷っていた。
「オバケ…」
 タロウがぽつりとつぶやいた。
 ミツコは眉をひそめてタロウを見た。
「失礼ね」
「君に言ったんじゃない」
 タロウはすぐに弁解した。
 ミツコは軽くため息をついて答えた。
「知ってるわ、でも失礼しちゃうわ」
「失礼じゃないさ、何食べたらあんなにでかくなるわけ?」
 タロウは真剣な表情で続けた。
「やっぱり失礼じゃない」
 ミツコは呆れたように首を振り、タロウは本気で考え始めた。
「いや、真面目に気になるんだ。あのサイズはなんだろう?」
 ミツコは少し笑いながら提案した。
「もしかして、ジャックの豆でも食べたのかしら?」
「それはいい考えだ。そしたら私も君の巨大化に付き合うよ」
 タロウはその考えに感心した様子でうなずいたが、ミツコは笑顔で首を振った。
「いいえ、私はこのままで十分よ。あんなに大きくなったら、巣穴のドアも通れなくなるし」
 タロウは肩をすくめながら答えた。
「でも、そしたら、あのオバケと対等になれるかも」
 ミツコは少し考え込んでから答えた。
「それもそうね、でも、巨大化しても失礼な言葉はやめてね」
 ミツコは注意を促し、タロウは笑って答えた。
「もちろんさ、巨大化してもマナーは大事だからね。そうだ! こんなことがあったよ。彼らは私を見てさ、いきなり爪を指して、忍者、侍、忍者、侍…って、私は時代劇のエキストラじゃないんだ! それは惨めな見世物だったよ。 爪を指すことはよくないって、忠告しても、武士、土下座、腹切り、ラーメンなんだ、失礼だろ! 口酸っぱくしても、言葉の壁は高いわけ、それでも私はおもてなしの精神で、カニの真似をやったらさ、アー、ユー、クレイジー? だって。私だって、クレイジーになりたい時もあるさ!」
 ミツコは奥の部屋に引っ込み、タロウは彼女の後ろ姿を一瞥してから言った。
「オバケのお出迎え!調子が狂うね、しかも病み上がりでさ、脱皮した身よ、そう、病気なんだよ。やだねー、やだやだ、いっそのこと抜け殻になっちゃおうかなー、オバケも近寄れないだろうし」

 しばらくしてミツコが戻ってくると、手に持っていたのは、カニのコスチュームだった。タロウは驚いて尋ねた。
「何それ?」
「おもてなしの心よ。これで次回はカニの真似を完璧にするの」
 ミツコは微笑んで答えた。
「それ、逆効果じゃないか?」
 タロウは首をかしげたが、ミツコはゆっくりと首を振った。
「いいえ、これで彼らを驚かせて、ひと笑い取るのよ。アー、ユー、クレイジー?って言われる前に、笑わせてやるの」

 タロウは頭をかきながら、少し考え込んでから答えた。
「まあ、確かに驚かせることはできそうだな。でも、君がカニの真似をするたびに、私たちの巣穴がサーカスみたいになるんじゃないか?」

「それも悪くないわね、少なくても退屈しないでしょ?」

 ミツコは笑顔で答えた。タロウも笑いながら賛成した。

「そうかもな。じゃあ、次は何の準備をする?ゴリラのコスチュームとか?」

 ミツコはにっこり笑って答えた。
「それは次回のお楽しみよ!」

 二人は笑いながら巣穴に戻っていった。


つづく
 

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