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自分でいるために

夕べ、久しぶりにコンサルさんと喋った。

「凛さん、またずいぶん変わりましたねー

変わりましたよ」


そう言われたけど。。


「そうですかね。。」って感じだった


話終わったあと。。


「ああ以前は

自分が変わったかどうかを

自分より先に行ってる人から

採点するように見られてる気がしていたんだな。。


まるで過去の自分と今の自分自身を比べられて査定されてるような。。

そんな風に思ってたんだな。。」



そう思った。



でも。。本当に変わったのは


他人が自分を変わったかとか


まだまだたとか思われたり言われたことには
一喜一憂しなくなって


『別にどうでもいい』


って感じに変わったことかもな


そんな風に思ってた。。



だって。。人からの『変わったね』

は、

ただその人からみたわたしの

『印象』

でしかないからね。。

だから

変わったといえば確かに変わったんだろうな。。とも思う


そして

もしかしたら。。


変わったのはわたしじゃなくて


コンサルさんの方なのでは?


とも思う

そして「変わりましたね」を

ただ良い意味に捉えて

ただ素直に

「ありがとう」って受け取ろうと思ってた


♡♡




他人からの自分への評価や意味づけで自分を決めると


いつの間にかブレて他人を生き始める


以前のわたしは

どこかで、わたしを嫌う人の気持ちを

「やっぱり凛さん良いわ!好きだわ」

にひっくり返したかった。。


「わたしを好きになって貰うには?」

が、あったと思う。。

だけど今はちょっと。。いやだいぶ違う


「わたしがわたしを大好きでいるためには?」


になって、自分を嫌いになるようなことはしたくないと思うようになった。


それも元を辿れば

親に

「あんたはダメな子ね」


って言われるのを


「やっぱり凛は良い子ね、お母さん大好きだわ」


にひっくり返したいがため。。

だったように思う。。

健気だよなあ。。わたし笑



♡♡



心の自立。。大事だよね


親を振り向かせたい


かまって欲しい 


甘えたい


愛して欲しい


それに引っ張られてるうちは


いつまでもいつまでも


無意識のうちに周りの人達を使って


親への不満を大事な人にぶつけて


依存してしまう


だから



気付いたらただ戻る


気付いたらただ戻る



それを繰り返しながら


少しずつ


自分自身を生き始めるのかもしれないなと思う。。


♡♡



朝ドラの「舞い上がれ」を観ると

お父さんと舞ちゃんのあたたかい親子の会話のやり取りに

「いいなあ。。」と羨ましく思ってしまう

昔はそんな憧れをパートナーに求めたりした

だけど

「あ、それは違うよな」そう思った。

今は
理想のお父さんだけを自分の中に招きいれて


父親を感じたりしてみる


「あったかくて 頼もしくて どっしりして絶対的な安心感」



アルコール依存症で

飲んでは暴れてた自分の父親とは真逆笑笑


理想の父なら、私に今、なんて言ってくれるだろう?


そんな風に自分と会話してみると


本音の自分が現れてきて安心できる


イメージの力は侮れない。。


そんなことからも「自立」はしていけると思ってる。。



♡♡



『こんなフィクションに囲まれた世界で

唯一大切にすべきノンフィクションとは何か?



それは普段自分で感じる

感覚や違和感、心の声、本心だと思います。

世界の中心が自分であると考えることは傲慢ですが、


自分の世界の中心は自分でなくてはならない。


これは似ているようで大きく異なります。

その自分の世界こそが唯一のノンフィクションであり、


守るべき領域だと思います。

自分の本心を常に問いただし、


自分の世界を確立する意識を持つ。

この領域を他人と同時に領域展開すると、

常日頃から強く領域を意識している方が勝ちます。


。。。


今朝送られてきた
整体師さんからの年末の挨拶に書いてあった一文。。


他人にノンフィクションをフィクションには

変えさせない


自分を明け渡さない。。


これ。。とても大事だと思う











最後までお読みいただき

ありがとうございます











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