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静止している世界

誰かを慰めることは



案外 楽にできるのに



自分で自分を慰めるってことが

簡単なようで


実は一番難しいのかもしれない



それは


容赦なく


自分にしか見えない 



聞こえないものまで見えて



聞こえていて

 

その奥までもが


痛いほどわかってしまっているから

慰めようとしている自分を

じっと見つめる自分と目が合うから。。


そんな気がする




なんか



いつも


本当に心の底から


ああ


もう。。無理かもなあ。。



そう思うときって


私は


人や周りとは関われなくなる


植物や動物とも。。ちょっと無理。。


になる


で。。


ちょっとでも何かと繋がろうとするときは


まだそこには


僅かでも


期待のような。。希望のような


まだ何か


があるからなんだなと思う





でも


それもないほどのとき



向かう先は今までの真逆の



自分しかないんだなと思う


でも


それすらも もしかしたら


自分の内側に向かうことで
 

その先に


何か淡い期待みたいなものを


感じているのかもしれないなと思うから




人って



結局


どこまで行っても



自分のことしか考えられないように出来てる
生き物なんだな


なんて思ったりしてる








だから最近は



感情が落ち込んだり


振れ幅が大きくなりそうな時は


あえて


誰の思考にも触れず


情報も何も入れないようにしている


振り子ってさ


何も刺激しなければ


いつの間にか勝手に止まるじゃない



感情も同じだと思うんだよね



自分から何も刺激しなければ


揺れない。。


だから

わざわざ揺らす人には触れに行かない


近づかない

それってシンプルなのに大事なことなんだけど


案外忘れられがちだよね




「エンタメの世界でどれだけヒットして人気が出るかは


どれだけ観た人の感情に刺激を与えて

感情を揺さぶれるかだ」


ってそんなような話を


確か 新海誠監督がインタビューで

答えていたけど


それは何も映画とかだけの話しじゃなくてね



ブログとかSNS


文字の世界でも 



 きっとそうなんだろうなと思う

「感動」は心が動くこととか言うけど

感情が動く時って

結構エネルギー使うんだよね

だから疲れてるとき

わたしはあまり映画やドラマ観れないんだ

物語に自分が振り回されるから。。

これ。。HSPあるあるなんじゃないかなあ。。

刺激の感動って
ドーパミンみたいに

一瞬、やる気を起こさせたり

元気でたりするけど

その時だけで

持続しなかったりする

で、刺激は「もっともっと!」になりやすい

だからそんな時は刺激するより

「静けさ」の方を


意識して


揺さぶられないでいることを選んでいく



それも自分を守るためには




とても大事だと思ってる




常に周りに選ばさせるんじゃなくて



自分が選択してるって自覚を持っているって



すごく大事だよね



どんなに落ちてる時であったとしてもね





最後までお読みいただき
ありがとうございます




 






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