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前提が何かを観る

今、

この先も「大丈夫なんだから」と思っているか

「このままじゃこの先は大丈夫じゃないかもしれない」

そう不安に思っているかで
「今の感覚」
は全然違うと思う。

わたしはモーニングに行くのがほぼ日課になっていて、
我慢せずに行くようにしてから
何故かお金に困らなくなってた。
最初は「こんなことにお金使ってていいのかな」って不安だった。
だけど、至福のひと時は、幸せへの呼び水になって
コーヒーショップに行った日は
その後も幸せな気持ちが続くことに気づいた。
たかが数百円、されど数百円。。
わたしには幸せを感じる大事な数百円だった。


で、昨日、家でお財布見たら
給料日前というのもあって
なんと150円しかなくて笑
昔の私なら怖くて怖くて不安でたまらなかった。

それが、なんの躊躇いもなく

「ねえ、お母さんに100円ちょうだいよ」
と二男に言ってみたりした。

二男が「なんなんだよ100円て」
って言うから
「いいじゃん!お母さんどうしても100円足りないから欲しいんだよ」って言っても
「何に使うんだ!」って言ってきたから
(まるで親子逆転)

「もういいよ、じゃあ、〇〇(長男)に頼むから!」と言い捨て
長男の部屋に行くと
長男は寝ていて、

「ねえ、100円ちょーだいよ、ちょっと足りなくて」というと

「なんなんだよ。。」とか言いながら寝ぼけたまま
100円くれた。

「ありがとうねぇ!」と小踊りしなが部屋を出た私笑

なぜ、100円かというと
私が行くコーヒーショップにはコーヒーチケットがある。
私は、いつも、それを買って使っているから
基本的にはモーニングはそれを出せば
お金はかからない。(コーヒー代込みでトーストやら玉子がついてくるから)

ただ、わたしはコーヒーのおかわりをする。
だから、その分おかわり半額の225円が現金でいる。
それをなんとかしたかっただけ。

給料日前だし、昔なら我慢して、諦めて
その分を、食費に回したりもした。

だけど、そうやっていちいちこと細かく
我慢するのはもうやめた。

何故なら息子たちを見ていると
私がやりくりに必死なときも
私の憧れだけど一着も買えないでいる
ブランドの服やら靴やらなんやらを
「ふつー」に買ってみたりしているから。 

だからってちっともお金に困る様子もない。

そんな子供達みていたら
なんか必死にやりくりしてるのがアホらしくなった。

ということで

使ってしまったらあとがない!
そんな不安も今はなくて

それより、

「自分の幸せの為に使えることが幸せ」

になったし

お金の入り口よりも出口

収入ばかり心配するより、今実際、何に使おうとしているのか

を意識するようにして

どうせ必要なお金は、必ず入ってくるから大丈夫

そんな気持ちが
持続するようになったら不思議と本当に大丈夫になった。

そんな調子だから
先日も出先でロッテリアのエビバーガーが無性に食べたくなってウキウキ注文して財布開けたら
数十円しかなくて笑

「ありゃ。。財布にお金がないわよ」って言ったら
若い店員さんに大笑いされた。

でも、「あ、そうだーauのポイントあったわ!」と思い出し
auペイで払えて無事にエビバーガーも食べられた。
そして、たとえあの日エビバーガー食べられなくても笑い話だけできっと終わったと思う。

「これだけしかないから買えない」

昔の私はいつも心でそんな言葉をつぶやいていた。

そしてこの言葉が「惨めなわたし」を
より一層惨めに演出してた。

だけど、買えないじゃなくて

「今日はこれは選ばないんだよねー」

にしてると

買える前提に変わるから
気持ちも変わる

「買えない」じゃなくて、「今は買わない」

それって確かに手に入れてないという現実は
同じだけど自分自身に対しての見方が違う。

「買わない」は自分軸な自分の幸せに責任を持った選択

「買えない」は〇〇のせいで。。という
被害者意識にもなる他人軸な選択でもあると思う。

なんて、ダラダラとnote書きながら
今日もまた、
息子にもらった100円を握りしめ笑

モーニングの時間を心から楽しんでいる。


最後までお読みいただき
ありがとうございます



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