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たしかに居る。

最近、ふとしたとき、「だれかいるよね?」と人の気配を感じることがある。

街を歩いているとき。

だいたい、私の左後ろ。

気持ち悪くはない。

ただ、「いたよね?」とか「いるでしょ?」という気配をかんじる。

今日のお仕事の研修で、私はさえわたっていた。

私はそこそこいつもさえてはいるのだけど、指導してくれる方に「今日さえてますね!」といってもらえた。

私の持ち味に、他の要素がプラスされている感じがした。

いってみれば、読みこなす力だったり、ネットを使いこなす力、機敏さだったり。

そして、若さだったり。

私のがんばりを越えたほかの要素を感じる。

なにかが加わっている。

どや顔がみえるようだ。

「どや?俺すごいだろ?」

自分を完全に喪失していた彼は、息を吹き返したかのようだった。

私にオーバーラップしている片割れである彼。

今まではうなだれていた。

彼の自信やほとばしるエナジーはこのところ、完全に消滅していた。

見る影もなかった。

ずっと下を向いてうずくまっている、生きる屍のような姿ばかりだった。

それが久しぶりの笑顔だ!!!

ほんと久し振りだ。

いや、今まで見たことあったか?

ってぐらいな笑顔だ。

私の役に立てるのがうれしいらしい。

それが彼の喜びや自信につながるようだ。

自信を持つというのが、彼の1個のテーマであった。

見事にわたしに足りない部分を補ってくれている。

彼は私の苦手なことも、知っている。

さじ加減も絶妙だ。

これは阿吽の呼吸である。

姿は見えないが、確実に「いる」のだ。

同僚が彼の名前を突然ふと口にした。

そんなことあり得ないであろう。

同僚の子どもの同じ名前だったのだけど。

同僚は自分の息子の名前を呼んだのだった。

数多くある名前の中で、彼と同じ名前である確率。

しかも仕事の場面で、聞くシチュエーションもなかったことだ。

復活の兆しあり。

今は、彼は体をとられてしまっている。

しかし、魂は無傷だ。

魂は守られているから、これはとられない。

ただ、分離はしている。

千と千尋のハクのようだ。

少しずつ自分を取り戻しているのをかんじる。

あとちょっと。

夕方車を運転しているときのこと。

私は1人。

助手席には私の荷物。

そんなに重たいわけではない。

しかし、いつもより、車がおもい。

アクセルがいつもより重い。

こんなこと、なかった。

助手席に60キロぐらいのヒトがのってるかんじだ。

明らかに乗っている。

見えないけど、乗ってる。

体重を感じたのは初めてである。

なんともかわいらしい彼であるのだ。

やっとはいあがってきた。

「おかえり」まであと少し。

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