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(コラム-11)5月5日、「子どもの人格を重んじる」と記述している「こどもの日」。日本は、決して“子どもの権利(人権)”と表現しない国!

 今日、5月5日は「こどもの日」です。
 もともとは病気や災いを避けるための行事であった「端午の節句」。
 「節句」とは、季節の節目を表す日のことで、中国の「陰陽五行説」をもととし、日本では奈良時代ごろに伝来し定着したといわれています。
 主に、宮廷において季節の節目に実施された「節会(せちえ)」という伝統的な行事が、日本の稲作文化や信仰とうまく結びつき、庶民の季節行事としても深く根づいていきました。
 「節句」は「節供」ともいい、その季節の旬の供物を神に捧げ、祈り、そのお下がりを皆で食するというのが本来の祝い方で、いまでも続いている風習です。
 日本では宮廷や貴族社会において、薬草を丸め、飾って使う薬玉を送り合う習慣がありました。
 平安時代になると、邪気払いとして、菖蒲の葉を枕の下に敷いて寝る習慣が生まれました。
 これは、菖蒲には特別な力があり、神様がそれを目印にしていると信じられていたからです。
 武家が台頭してくる鎌倉時代になると、「菖蒲」と「尚武(武道、軍事を尊ぶこと)」の読みが同一であること、また、菖蒲の葉が刀の切っ先を連想させることから、端午の節句は男子の節句とされるようになり、鎧、甲、鯉のぼり、五月人形などを飾り、男子の成長と健康、一族の繁栄を願う重要な行事になっていきました。
 端午の「端」には、「初め」という意味があり、5月の初めの午(うま)の日が端午の節句とされていましたが、後に「午=五(読みが同じ)」ということで5月5日に定着していきました。
 
 昭和23年(1948年)に定められた『国民の祝日に関する法律』には、「こどもの日」は、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と記載されています。
 この記述には、重要なキーワードが2つあります。
 第1は、子どもの「人権」ではなく、子どもの「人格」と記述し、「子どもの権利」を明確にしていないこと、第2は、戦前の「・・、母に感謝する」との儒教思想にもとづく「道徳観」が示されていることです。
 第1の指摘のとおり、『国民の祝日に関する法律』では、子どもの「人権」ではなく、子どもの「人格」と記述し、「子どもの権利」を明確にしていません。
 同年12月10日、国際連合(以下、国連)は、人権法の柱石(すべての人民にとって、達成すべき共通の基準)として『世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)』を採択しました。
 この『世界人権宣言』では、第1条「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」、第3条「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。」と記述しています。
 『世界人権宣言』の第1条にあるように、「人権」は、「人間が人間らしく生きるための権利で、生まれながらに全員が持っている権利のこと」です。
 人間であれば、誰もが持っている権利です。
 つまり、どのような人であっても、出生後、決して否定されない権利です。
 一方で、『国民の祝日に関する法律』に記述されている「人格」とは、個人の心理面での特性、人柄のこと、あるいは、人としての主体(中心となるもの)を意味します。
 この「個人の人柄のこと、あるいは、人としての主体(中心となるもの)」を意味する「人格」は、後述する「人の心のあり方」を問う「儒教思想にもとづく道徳」に由来します。
 「人格権」は、「個人の名誉など人格的利益を保護するために必要な権利のこと」ですが、人格権自体には、権利として具体的に保障されているわけではありません。
 つまり、「人権」と「人格」は似通っていますが、意味はまったく異なるものです。
 このことは、日本政府は、「人権」を尊重するのではなく、「人格」を尊重する、つまり、社会問題・人権問題ではなく、「個人の心のあり方」、個人の問題と考えていることを意味します。
 そして、第1条前段の「尊厳と権利とについて平等」について、日本では、第2次世界大戦後の昭和22年(1947年)、昭和22年(1947年)、『日本国憲法』の24条(法の下の平等など)に反するとして廃止した「家制度(家父長制)」を廃止しました。
 しかし、ⅰ)明治政府が「軍国化(国民皆兵、富国強兵)」に不可欠だった「税制改革(税制度)」は、「家(家制度)」を基軸に制度設計され、日本政府は、太平洋戦争敗戦後もその「家」を基軸に制度設計されている「税制度」をそのまま継承し、「家父長」は「世帯主」「扶養者」と名称を変えただけであり、ⅱ)『夫婦同姓制度(民法750条、戸籍法74条1号)』、『協議離婚制度(民法763条)』など、「律令制(男子専権離婚など)」に由来し、儒教思想にもとづく「家制度(家父長制)」の流れを汲む『家族法(民法)』を改正することなく、そのまま存続させました。
 結婚式では、「家制度」の概念が持ち込まれ、控室にはそれぞれ「・・家様」と表記され、祝辞では「両家の皆さま、おめでとうございます。」などとあたり前のように「家制度」を表現しています。
 また、婚姻した女性が、一方の配偶者の夫を「旦那」「主人」と表現する呼称は、「家制度(家父長制)」をそのままひき継いだもので、主従関係を示します。
 つまり、法律上は「家制度(家父長制)」はなくなったものの、「家に嫁ぐ」「嫁に行く」などの考え、「主人」「旦那」などの呼称など、「家制度(家父長制)」の概念は、いまだに生活様式として深く根づいています。
 これは、ア)江戸時代の人口の7%に過ぎなかった「武家」の思想である「儒教」は、その子女が、明治以降の学校教育を担ったことに加え、イ)その学校教育として、儒教思想にもとづく「家制度(家父長制)」に馴染みのない一般市民(ほとんどが農民)に浸透させる「儒教思想にもとづく道徳」、そして、ウ)新政府軍の倒幕スローガン「神武創業(神武天皇の時代に戻れ!)」と日本神話(建国神話)に由来する「天皇の神格化」を踏まえた『教育勅語』を前提とした「神道」を教え込んだ(思想教育)ことに由来します。
 そして、「日本神話(建国神話)」では、女性は穢れた存在(ケガレの死の逸話)としてとして描かれ、「女性は穢れている」との認識が、“女性蔑視”、“男尊女卑(男を尊び女を卑しめる)”につながり、中国の「春秋戦国時代(紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまで)」の儒学者(諸子百家(孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子など))の教え(儒教思想)にもとづくことから、女性蔑視・男尊女卑(男を尊び女を卑しめる)の価値観が示されています。
 明治時代の初期の一般市民(ほとんどが農民)は、江戸幕府が、すべての人々がいずれかの仏教寺院(寺)の「檀家」となることを強制する「寺請制度」を設けたことから、葬祭供養などの場を通じて、「仏教」の説話などを社会規範とし、儒教思想にもとづく道徳、神道には、まったく馴染んでいませんでした。
 この日本の教育を担ってきた武家の子女の価値観は、「女性の幸せは、結婚し「家」に入り、子どもを持ち、「家」の繁栄に尽くし、父母に孝行すること」であり、「子どもの幸せは、厳しい「懲戒(しつけ(教育)と称する体罰)」があっても、両親の下で育ち、両親を敬い、孝行する」ことというものです。
 この「家」における女性の役割は、「武家の女性」のように、自己犠牲なくして成り立たない「内助の功」「良妻賢母」に徹することです。
 「内助の功」とは、「家庭において、夫の外での働きを支える妻の功績」のこと、つまり、「夫(男性)が働き、妻(女性)は家で家事をする」ということで、「良妻賢母」の「良妻とは、夫(男性)に従い、サポートを惜しまない貞淑な妻のこと」で、「賢母とは、子どもの教育やしつけをしっかりできる賢い母のこと」をいいます。
 「愛国心」は、個々人の価値観の上位にあると考え、国のために命を捨ててもそのように務めるのが国民の義務となります。
 この儒教思想にもとづく家族観に加え、日本神話(建国神話)に描かれている家族観が、明治政府が求めた「家族観」で、この「家族観」でつくられたのが、日本の『家族法(民法)』です。
 太平洋戦争敗戦後の日本の政治を担い続けてきたナショナリストで復古主義的情緒主義、極右・超保守の政権、政党、政治家、彼らと“共同体”彼らと“共同体”といえる密接な関係にあり、“教育法”でしかない『こども基本法』の制定を主導した右翼団体であり、カルト教団「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)(ウ))」と深い関係にある笹川良一が創設した右翼団体「日本財団」、エ)『子ども家庭庁』の設立を主導した(安倍晋三元首相や極右議員らが傾倒した「親学」を提唱した高橋史郎氏が中心メンバーの)日本最大の超国家主義・極右主義団体「日本会議」の考える「家族観(伝統的家族観)」は、上記を意味します。
 そして、女性の自己犠牲で成り立つ「内助の功」「良妻賢母」という保守的な価値観は、多くの日本国民に支持されていますが、その大きな役割を果たしたのが、太平洋戦争敗戦後、女性が高校や短期大学、大学で「家政学」を学んだことです。
 この「家政学」は、「武家」の子女たちが学び、身につけてきた教育そのものです。
 平安時代中期((900年ころ以降)/平安時代(794年-1185年))になると、官職や職能が特定の家系に固定化していく「家業の継承」が急速に進展し、軍事を主務とする官職を持った家系・家柄の総称を「武家」というようになりました。
 約450年後の江戸時代では、「武家」は、武家官位を持つ家系のことを指すようになりました。
 当初、武家で求められた女性像は、家庭的であると同時に、男性よりも勇敢で、決して負けないというものでした。
 武家の若い娘は感情を抑制し、神経を鍛え、薙刀を操って自分を守るために武芸の鍛錬を積むことになりました。
 ところが、時代の変遷により、武家の女性たちに音曲・歌舞・読書・文学などの教育が施されるようになりました。
 それは、父親や夫が家庭で憂さを晴らす助けとなること、つまり、武家の女性が担う役割は、普段の生活の中に、女性たちが音曲・歌舞・読書・文学などで“彩”と“優雅さ”を添えることに変わっていきました。
 少し位の高い武家の女性は、現代に例えると、「幼少期から薙刀(剣道)などの武術を身につけ、琴、ピアノ、バイオリン、日本舞踊、バレエ、茶、生け花などを習い、それぞれ師範レベルの技術を身につけ、和歌、書道を習い、同時に、進学塾に通い、偏差値の高い大学に進学し、人に教授できる教養を身につけなければならない」という凄まじさです。
 しかも、武家の女性が、「家庭で、男性の憂さを晴らす」という役割には、男性を性的に喜ばす行為も含まれます。
 それが、武家の妻が夫を「もてなす(待遇する、応対する、世話する)」ということです。
 日本独特の遊郭文化、つまり、遊女が歌を詠み(読み書き)、楽曲、歌舞ができたのは、政権交代で、身を落とした公家、武家の女性が遊女になったからです。
 武家の女性に求められた「内助の功」「良妻賢母」は、武家の枠をでた「遊郭」で、女性が、男性をもてなし、喜ばすという「日本特有のおもてなし文化」の礎となってきました。
 つまり、武家(家父長である男性)の客人を武家の妻と女性がもてなす作法が、「遊郭」で客(男性)をもてなす作法となり、それが、宿屋や店で客をもてなすようになりました。
 武家の女性が「遊郭」に流れた主な政権交代は、安土桃山から江戸、江戸から明治の2回です。
 少し話が逸れましたが、武家では、娘としては父親のため、妻としては夫のため、母としては息子のために、「献身的に尽くす」ことが女性の役割としましたが、この教えが、「家政学」としてひき継がれました。
 そして、『国民の祝日に関する法律』に、この「儒教思想にもとづく道徳観」、つまり、「子どもを育てる(子どもの育児)は、母(女性)の務め、役割」として、明確に「母に感謝する」という表現で示していいます。
 この視点に立つと、女性の自己犠牲で成り立つ「内助の功」「良妻賢母」という儒教思想にもとづく道徳観を支持する人は、「女性の尊厳と権利について、不平等を支持している」ことになります。
 そして、いまも「儒教思想にもとづく道徳教育」が実施され。その道徳観を5-6世代継承してきた日本では、自然に(無意識下)で、4-5歳の子どもに、ステレオタイプとして、女性蔑視・男尊女卑(男を尊び女を卑しめる)の価値観を学び、身につけています。
 このことが、日本社会における「ジェンダー観(男女の役割)」に大きな影響を及ぼし、日本特有の問題を生じさせています。

 平成12年(2000年)に制定された『人権教育及び人権啓発の推進に関する法律』の第2条では、「人権教育は、人権尊重の精神の涵養を目的とする教育活動である」と定義し、「人権啓発とは、国民の間に人権尊重の理念を普及させ、及びそれに対する国民の理解を深めることを目的とする広報その他の啓発活動(人権教育を除く)をいう」と規定しています。
 しかし問題は、この法律における人権教育や啓発は、「個人の精神を涵養し、理解を深めていくこと」と規定していることです。
 つまり、この法律は、「個人の精神」と“人柄”“心がけ”に重点が置かれていることになります。
 したがって、この法律で実施される「人権教育」は、「道徳教育」の目的に近いことになります。
 繰り返しになりますが、人権に関する問題は、道徳では解決できません。
 なぜなら、それは個々人の心の問題ではないからです。
 例えば、学校の「人権教育」でとり扱われるテーマの「いじめ問題」、その虐める行為の背景にある「差別・排除」について考えてみます。
 『日本国憲法』の第14条にあるとおり、「差別は、政治的、経済的、または、社会的関係において発生」します。
 ところが、日本社会、あるいは、学校教育において、この「差別・排除」という問題は、「道徳」として、人の“思いやり”“優しさ”“心がけ”といった心の問題として扱われています。
 つまり、「道徳」の授業は、「個人の心のありよう」を問題とします。
 一見すると、個人の道徳性のあり方から差別・排除問題などの社会的な課題に対応していくことには効果があるように思えます。
 さまざまな差別問題は、常に具体的です。
 ある特定の誰かに起こる問題であり、そこでは、個人的な、ある人とある人との狭い範囲の関係のあり方が問われます。
 しかし、そうした視点だけでは、「差別・排除」について十分に考えることはできません。
 なぜなら、差別・排除は、個人的な「人間関係」を超えた、より広い社会関係の中で起きるからです。
 道徳教育では「狭い関係性」にばかり注意が集まり、その関係の中に、社会的に仕組まれたより広い構造的課題が凝集していることを考えることは困難です。
 つまり、「心のあり方」を問題とする道徳の枠組みでは、この社会的な構造は問い難くなります。
 例えば、いじめなど人を傷つけてはいけないことを教える「命の授業」は、個々人の「心のあり方に問題がある」として、個々人の「道徳観の育成による解決」を試みています。
 平成26年(2014年)7月、女子生徒が高校の同級生を殺害し「人を殺してみたかった。」と供述した「佐世保同級生殺害事件」が発生し、例年5-7月のうち1週間を「命を大切にする心や思いやりの心の育成」を目的にした“命を大切にする教育”を10年間続けてきた長崎県の教育関係者に衝撃が走りました。
 この“命を大切にする教育”は、平成16年(2004年)6月におきた小学校6年生の女子児童が同級生を殺害したショッキングな「佐世保小6女児同級生殺害事件」をきっかけに、市内の小中学校で命の尊さを学ぶとり組みを続けてきたものです。
 この命の尊さを学ぶとり組みは、長崎平和公園や原爆資料館を見学したり、佐世保空襲の体験者を招いて話を聞いたりすることで生命の尊さや戦争の悲惨さを学ばせようとするものでした。
 その中で、悲劇が繰り返されたことに対し、長崎県の教育関係者はショックを受けました。
 敢えて苦言を呈すると、長崎県の教育関係者は、この10年間、命の尊さを学ぶとり組みが、成長した子どもたちが人を傷つける行為の減少につながってきたのかを検証してきたのでしょうか?
 検証の結果、人を傷つける行為は減少している中で、悲劇が繰り返されショックを受けたのであれば、ある程度、教育関係者の葛藤は理解できます。
 この殺傷事件前の平成24年(2012年)の長崎県14歳-19歳人口1万人あたり少年犯罪の検挙数は62.56人(503人)で全国25位、また、非行発生率は、命の尊さを学ぶ授業がはじまる前の昭和60年(1985年)24.98で全国24位、平成2年(1990年)21.13で全国27位と順位はわずかに下回り、非行発生率は少し改善した(全般的にほぼ横一線)状況が続いているように、命の尊さを学ぶ10年間のとり組みが少年犯罪を減少させる相関性(因果関係)を確認することはできません。
 このことは、犯罪を犯した人たちに対し実施している「犯罪を犯したのは個人の心のありよう」として実施される「更正教育」にも同じことがあてはまり、しかも、「個人の心のありよう」にフォーカスしているので、その背景にある長期間、慢性反復的(常態的、日常的)な被虐待体験による後遺症にフォーカスすることがなく、結果、ほとんどのケースで、エビデンスにもとづいた治療につながることはありません。
 このことが、高い再犯率の原因になっているにもかかわらず、日本政府はこの問題に無関心で、新たな加害者(犯罪者)と被害者を生みだすのを放置し続けています。
 つまり、いじめ問題、非行など少年犯罪(一般犯罪を含む)は、「道徳」にもとづく「個々人の心のありよう」にフォーカスする限り、解決に至る方向性を示すことはできず、「人権」にもとづく、社会問題としてとり組む必要があります。
 「人権教育」は、「人が自らの権利を知り、権利の主体として、それを実現するために行動する」ことが、「人間性の回復であり、社会を変えることにつながる」ようにするものです。
 つまり、人権教育の目的は、「構造的に問題を把握することであり、それにもとづく社会変革」です。
 「構造」とは、ひとつのものをつくりあげている部分部分の材料の組み合わせ方、また、そのようにして組み合わせてできたもの、仕組み、ものごとを成り立たせている各要素の機能的な関連のことで、「構造的」とは、ものごとの構造、仕組み、つくりに起因するありようのことです。
 つまり、「人権教育」は、物事の構造、仕組み、つくりに起因する問題を把握し、その問題解決につながる社会変革を考え、行動につながるように導くものです。
 決して、個人の問題にフォーカスするものではありません。
 この視点に立つと、「人権」は、人類の歴史において、市民自らの手(力)で“獲得”してきたことを理解できると思います。
 それは、その時々の社会体制の中で虐げられ、人としての尊厳を踏み躙られてきた人たちが、自らの人間性の回復を「人権」や「権利」という概念で表現し、権力と闘うこと(市民的抵抗、レジスタンス)で勝ちとってきたものです。
 つまり、人権や権利は、「社会的」で「争議的」なものです。
 しかし、10年間にわたり、「命を大切にする教育」にとり組んできた長崎県の教育関係者は強いショックを受け、無力感にうちひしがれました。
 長崎県に限らず、「命の授業」の多くは“思いやり”“優しさ”といった個々人の「心のありよう」にフォーカスして実施、つまり、道徳教育の一環として実施されています。
 日本では、明治政府が構築した「(教育勅語にもとづく)教育制度」で実施されてきた「道徳」の授業、昔話(絵本、童話)などに組み込まれた「道徳観」により、日本国民の隅々まで根づいていることから、差別・排除だけではなく、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)問題に加え、暴力被害に起因する精神疾患(PTSD、その併発症としてのうつ病、解離性障害など、リストカット・OD(大量服薬)、過食嘔吐などの自傷行為、アルコール・薬物、ギャンブル、セックス依存などのさまざまな後遺症を含む)、貧困、進学、就職(性風俗業界での就労を含む)、ひとり親家庭、ヤングケアラーとしての生活などの社会問題も、すべて、「個々人(特定の家庭、特定の職場、特定の学校)の心のあり方の問題」、つまり、「個人の問題」と捉え、論議され、対策が講じられています。
 問題は、個々人の心の問題として道徳観に訴える限り、これらの問題は、解決することはできません。
 これらの「人権侵害(暴力)問題」「社会問題」に対する課題を個々人の心の問題として認識したままで、法を制定したり、法改正に至ったりすると、「法律」が限定的であったり、「法律」の解釈に抜け道があったり、「法律」が「社会システム」として機能しなかったり、「法律」が時代や現状にそぐわないまま放置されていたりする事態を招きます。
 まさに、日本のいまの現状を示しています。
 日本の人権や権利に関する教育の問題は、時に法律がそうであるように、個人の価値観や道徳性の涵養へと都合よく(容易に)置き換えられてしまうことです。
 さらに、こうした人権問題、社会問題に対する道徳的なアプローチ、つまり、個々人の「心のもちよう」による解決、個人的関係の中での解決というアプローチは、自己救済(自助)を強調し、国などの公的機関がしなければならない諸施策を免責する危険性も孕んでいます。
 つまり、国や公的機関には非(責任)はなく、それは、個人の問題と片づけるのに役立ちます。
 一方で、本来、国や公的機関がしなければならないことを、個人の努力や民間機関の仕組みでなにかを成し遂げたときには、国(政権、政党、政治家)は褒め称え、まるで「感動ポルノ」のように政治利用します。

 日本は、明治29年(1896年)の制定から令和4年(2022年)10月14日に削除されるまでの126年間、親の「子どもを懲戒する権利(懲戒権/民法822条)」を認めてきました。
 いまから6ヶ月前までです。
 「懲戒」とは、不正・不当な行為に対して「制裁」を与えることで、子どもを殴ったり、叩いたり、蹴ったりするなどからだに対する(人権)侵害する行為、正座を強いたり、直立不動で立たせたりするなど、からだに苦痛を与える行為などが、「体罰」に該当します。
 つまり、「懲戒」とは、親の子どもに対する「しつけ(教育)と称する体罰(身体的虐待)」を意味します。
 厄介なのは、日本社会では、「軍国化(国民皆兵、富国強兵)」に不可欠な“税制改革”を進めるうえで設けられた「家制度(家父長制)」のもとで、「子どもを懲戒する権利(民法822条)」は、都合よく拡大解釈されるようになり、「家」の家父長(権威者)は、子どもだけではなく、配偶者に対し懲戒を加えるようになり、満州事変・太平洋戦争下では、学校で、生徒指導という名のもとで、教師による生徒に対する懲戒が一般化されたことです。
 その役割(生徒指導)を担ったのが、軍人経験者の「体育教師」で、大正時代には、「体育教師」の半数は軍人経験者が占めていました。
 「軍人」の“精神論”“根性論”は、「軍」の実験を「薩摩藩」が握っていたことと深く関係しています。
 なぜなら、江戸時代は、武士階級子弟が少年集団をつくり研鑽し合う教育法が「各藩」にあり、その中で、会津藩の“什”と薩摩藩の“郷中”の2藩はその厳しさが際立っていたからです。
 これが、いまの「教師(指導者などによる)による体罰(身体的暴力)の問題」、職場などでの「パワーハラスメントの問題」につながっています。
 しかも、ナショナリストで復古主義的情緒主義、極右・超保守で、自身は、実質的な「家」の家父長(権威者)であると“自認”している人たちは、平成12年(2000年)に制定された『児童虐待防止法(児童虐待の防止等に関する法律)』、平成13年(2001年)に制定された『配偶者暴力防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(平成25年(2013年)改正新法の制定前の当時))』でいう「児童虐待」「DV(ドメスティック・バイオレンス)」は存在せず、すべて、子どもや配偶者に対する「懲戒」に過ぎない、つまり、家父長として当然の権利と認識しています。
 さて、世界で初めて「体罰禁止」を法制化したのはスウェーデンで、第2次世界大戦が終戦してから33年後、いまから45年前の1979年(昭和54年)のことです(令和5年(2023年)5月5日現在)。
 スウェーデンの『子どもと親法6章1条』では、「子どもはケア、安全および良質な養育に対する権利を有する。子どもは、その人格および個性を尊重して扱われ、体罰または他のいかなる屈辱的な扱いも受けない」と規定していますが(1983年改正)、これは、『世界人権宣言(昭和23年(1948年))』の第1条「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。…」に添ったものです。
 「子どもが両親のもとにいる間、性的虐待を含むあらゆる形態の身体的、または、精神的暴力、傷害、虐待、または、虐待から保護されるべきである(19条)」と定めた『子どもの権利条約』が、国際連合(国連)で採択されたのは平成元年(1989年)11月20日、いまから35年5ヶ月前のことです(令和5年(2023年)5月5日現在)。
 つまり、スウェーデンは、国連で『子どもの権利条約』を採択する10年前に、『世界人権宣言』にもとづいて「体罰」を禁止しています。
 その『子どもの権利条約』には、「体罰を撤廃することは、社会のあらゆる形態の暴力を減少させ、かつ防止するための鍵となる戦略である。」と明確に示された人権解釈の存在があります。
 国連の「子どもの権利委員会」は、「どんなに軽いものであっても、有形力が用いられ、かつ、なんらかの苦痛または不快感をひき起こすことを意図した罰」を「体罰」として定義し、続けて、「その多くは、手、道具(鞭、棒、ベルト、靴、木さじなど)で、子どもを叩くという形で行なわれる。しかし例えば、蹴ること、子どもを揺さぶったり、放り投げたりすること、ひっかくこと、つねること、かむこと、髪を引っ張ったり、耳を打ったりすること、子どもを不快な姿勢のままでいさせること、やけどさせること、薬物等で倦怠感をもよおさせること、強制的に口に物を入れること(例えば、子どもの口を石鹸で洗ったり、辛い香辛料を飲み込むよう強いたりするなど)を伴うこともあり得る。」としています。
 「子どもの人権委員会」の見解では、「体罰は、どのようなケースであっても、子どもの品位を傷つける行為であり、加えて、同様に残虐かつ品位を傷つけるもの、つまり、体罰以外の形態をとる罰も存在する」として、その罰の例として、「子どもを貶(おとし)めたり、辱(はずかし)めたり、侮辱したり、身代わりに仕立てあげたり(責任を押しつけたり)、脅迫したり、怖がらせたり(スケアード・ストレート)、笑いものにしたりするような行為」をあげています。
 126年間、5-6世代にわたり、親の「子どもを懲戒する権利(懲戒権/民法822条)」が削除されなかった日本の育児で日常化されているのが、「子どもを脅すなどして、恐怖を与え(terrorizing)、生活習慣を身につけさせる(心理的虐待)」ことです。
 親やきょうだいなど生活をともにする人に脅され、恐怖を与えられて身につけた行動習慣は、恐怖を回避するための生存本能としての行動、つまり、PTSDの症状としての回避行動です。
 子どもが、親の機嫌(顔色)を伺い、意に反しないように気を遣い、危害を避けるために意に添うように行動したり、喜ばせるように行動したりする行為は、恐怖を回避するための生存本能としての行動、つまり、回避行動です。
 この恐怖によるコントロールは、「スケアード・ストレート」と呼ばれます。
 子どもに恐怖を感じさせる(スケアード)ことで、子どもに正しい行動(ストレート)ととることの必要性を学ばせようとする行為です。
 しかし、この「スケアード・ストレート」は、「ランダム化比較試験」などにより、「意味がない」だけではなく、「逆効果を生む」ことが明らかになっています。
 「スケアード・ストレート」の例としては、ア)親が、「早く寝ないとお化けがでるよ!」といい、子どもを怖がらせて寝かしつけようとしたり、イ)「いうことをきかないと、押し入れに閉じ込めるぞ!」、「いうことをきかないと、もう買わないからね!」、「早くこないと、置いて行っちゃうよ!」といい、怖がらせ、脅して、いうことをきかせようとしたり、ウ)学校などで、人が交通事故にあった映像を見せ、「道路を飛びだしてはいけない」と教えたり、エ)「いうことをきかないと、レギュラー(配役、採用)から外す(内申点に影響する)」と脅すことばを伴って指導したり、オ)職場で、「いうことをきかないと、査定に響く(他の部署に飛ばす、辞めてもらう)」と脅すことばを伴って命じたりする行為があげられます。
 こうした子どもに恐怖を与え、従わせようとする行為は、日本社会では、家庭だけでなく、学校園による教育、部活動などの指導など、大人が、子どもとかかわるあらゆる“場”や“機会”で、日常的に見られる光景です。
 親や教師などが、幼児期の子どもを怖がらせること、つまり、子どもに恐怖を与えることはプラスに働くことはなにもなく、すべてマイナスに働きます。
 一定の恐怖を与え、いうことをきかなくなると、さらに、強度を高めた恐怖を与えなければならなくなるという負のスパイラルをもたらします。
 重要なことは、親が、子どもに対し「いい子にしない(いうことをきかない)と、お巡りさん呼ぶぞ!」といい、いうことをきかせる(コントロールする)ための「スケアード・ストレート」には、“嘘”という側面を伴っていることです。
 この“側面”の問題は、「スケアード・ストレート」と同様に、子どものときに親に嘘をつかれたことが多い人ほど、成長に伴い、親や教師などに嘘をついたり、心理的な問題を抱えたりすることが多くなる傾向が示されています。
 例えば、子どもが嘘をつくと、「嘘をつくと、エンマ大王に舌を抜かれるぞ!」とさらに“嘘”を重ね、いうことをきかせようとします。
 つまり、「スケアード・ストレート」を使った生活習慣を身につけさせる行為は、子どもを嘘つきに育てたり、心理的な問題を抱えさせたりする深刻な側面を持ちます。
 にもかかわらず、この「スケアード・ストレート」は、日本では、「なまはげ」などの伝統文化、仏教、儒教思想にもとづく道徳観として「昔話」、「童話」として日本社会の隅々まで浸透し、家庭だけでなく、学校園の催しごと、クラブ活動や塾、習いごとでの指導、職場での部下指導などいたるところであたり前のように行われ、しかも、実施したり、世襲したりする人だけではなく、それを見たり、聞いたり、学んだり、見守ったりする人たちもそのことに無自覚という、実に根が深い問題となっています。
 そして、この恐怖によるコントロールの「スケアード・ストレート」は、オレオレ詐欺や投資詐欺、結婚詐欺、占い・スピリチュアルなどの詐欺商法、新興宗教やカルド団体の勧誘活動(さび商法を含む)の“常套手段”で、恐怖によるコントロールの「スケアード・ストレート」で育ってきた、つまり、心理的虐待を受けて育ってきた(被虐待体験をしてきた)人は、スッと騙されやすい傾向があります。
 つまり、恐怖によるコントロールの「スケアード・ストレート」で育った被虐待体験をしてきた人は、人の嘘、つくり話、戯言に対する心理的な障壁が低く、人を騙したり、人に騙されやすかったりする傾向があります。
 それだけではなく、性暴力に及ぶ者の主な手口であるⅰ)親しさを装い、手懐け、断り難い状況をつくりだす手法としての「グルーミング」、ⅱ)ことばでの威圧や借りをつくらせるなどの圧力(パワーハラスメントなど)により、不平等・非対等な関係を巧みに築き、あらがえない状況に追い込んで、性行為に持っていけるように罠を仕掛ける「エントラップメント」、ⅲ)短期間に猛烈なアプローチをし、まるで、相手が自分のことを「ひとめぼれ」したように見せかける「ラブボミング」に対する障壁が低く、慢性反復的(常態的、日常的)な性暴力被害を受けやすくなります。
 同時に、グルーミング・エントラップメント・ラブボミングを駆使し、性暴力行為に至る加害者となり得ます。
 なぜなら、乳幼児期から、「脅す」ことは人の心をコントロールできる有効な手段(術)であることを、親や近親者・保育士、所属するコニュニティの人たちからの「スケアード・ストレート」で叩き込まれているからです。
 日本政府が、平成12年(2000年)に制定した『児童虐待防止法』を改正し、世界で59ヶ国目に「体罰」禁止したのは、令和2年(2020年)4月1日(施行)で、明治29年(1896年)に制定された『子どもを懲戒する権利(民法822条)』は、令和4年(2022年)10月14日削除、同年12月16日に施行されました。
 このことは、日本政府が、『児童虐待防止法』で体罰を禁止し、『子どもを懲戒する権利(民法822条)』を削除するまでに、1979年(昭和54年)にスウェーデンが体罰を禁止してから44年を要したことを意味します。
 そのスウェーデンでは、1960年代に55%の親が体罰を肯定的に捉え、95%の親が体罰を加えていたといわれていますが、体罰禁止を法制化してから34年経過した2018年(平成30年)、親の体罰は1-2%に激減しています。
 その大きな要因は、そのときに生まれた子どもはいま44歳、つまり、自身が親となっているときには、既に育児はほぼ終わり、まもなく(早いと)その子どもが親となり、その子どもは自身の孫となっていることです。
 つまり、自身の親の育児から2世代を経て、3世代目の育児で、体罰を加えない育児が継承されています。
 一方で、日本は、明治29年(1896年)に制定された『子どもを懲戒する権利(民法822条)』にもとづく「しつけ(教育)と称する体罰(身体的虐待)」を126年間、5-6世代の育児で継承してきました。
 「スケアード・ストレート(心理的虐待)」に至っては、江戸幕府が、すべての人々がいずれかの仏教寺院(寺)の「檀家」となることを強制する「寺請制度」を設け、葬祭供養などの場を通じて、仏教の説話などまで遡ることができます。
 全宗派と寺院を全面的に統制する法度をつくり、住職の資格や寺領を規制するとともに寺檀制度の大綱を定めたのが、寛文5年(1665年)とあるので、そこを基準とすると、実に358年経過しています。
 このことは、この期間の育児で、「しつけ(教育)と称する体罰(身体的虐待)」を加えたり、「スケアード・ストレート(心理的虐待)」でコントロールしたりしない方法を学び、習得する機会はありませんでした。
 つまり、日本社会には、『児童虐待防止法』で体罰を禁止したり、『子どもを懲戒する権利(民法822条)』を削除したりしても、「しつけ(教育)と称する体罰(身体的虐待)」を加えたり、「スケアード・ストレート(心理的虐待)」でコントロールしたりしない“お手本”がほとんどいない(教えることができる人が存在しない)という深刻な問題を抱えています。
 平成29年(2017年)、子ども支援の国際的NGO「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が全国2万人の大人を対象に実施した「子どもに対するしつけのための体罰等に関する意識調査」と、1030人の子育て中の親と養育者を対象に実施した「体罰等に関する意識実態調査」にもとづき、『子どもに対するしつけのための体罰等の意識・実態調査結果報告書』をまとめ、発表しました。
 実に68.2%の親が、子どもを叩くことを容認し、子育て中の家庭の70.1%が、過去にしつけ(教育)の一環として体罰を加えていたました。
 問題は、「子どもに対して決して体罰をすべきではない」と回答した43.3%の一定数が、お尻を叩く、手の甲を叩く(以上、身体的虐待)、怒鳴りつける、睨みつける(以上、心理的虐待)などの子どもの心を傷つける体罰を容認していたことです。
 つまり、「しつけ(教育)と称する体罰」に対する認識には、大きなギャップが存在しています。
 そして、子育て中の家庭の70.1%が、過去にしつけ(教育)の一環として体罰を加えていました。
 平成28年(2016年)に実施された他の調査では、「約70%の親が、子どもを叩いたことがある」と回答し、同様な結果がでています。
 「しつけ(教育)と称する体罰」が、5-6世代の子育てで繰り返されてきたことを踏まえ、この70%を単純計算すると、調査年度の平成28年(2016年)の日本人の人口は1億2502万人なので、その70%は、8751万4千人が「しつけ(教育)と称する体罰」に関係する当事者となります。
 当事者である8751万4千人とは、子どもに「しつけ(教育)と称する体罰」を加えたことのある親や養育者、親に「しつけ(教育)と称する体罰」を加えられた被虐待体験者(小児期逆境体験者)の総数です。
 この深刻な日本を蝕む社会病理について、日本で生活する多くの一般市民は無自覚で、深刻で、重大な問題と認識に至っていません。
 慢性反復的(常態的、日常的)で、苛酷な被虐待体験をしてきた人の一定数に認められる 「反応性愛着障害(RAD)」に求められる「不安型(囚われ型)」は、親のそのときの気分(気まぐれ)でかわいがられたり、突き放されたりするなどムラのある接し方をされている「ダブルバインド」「制限(条件)つきの優しさ」に起因します。
 日本では、10人-8人に1人の子どもや大人が、この「不安定型(囚われ型)」の「反応性愛着障害(RAD)」に見られるような傾向が見られる(問題を抱えている)と指摘されています。
 「10人-8人に1人」という数字を、小学校の1クラス35人学級にあてはめてみると、1クラスに3.50人-4.38人の児童が該当しますが、この「反応愛着障害(RAD)」が示す特徴と傾向が、「ADHD(注意欠陥多動性障害)」の特徴と傾向が酷似しています。
 そのため、専門医でもその診断が難しいといわれています。
 つまり、日本社会では、70%の人が「しつけ(教育)と称する体罰(身体的虐待)」を容認していることを踏まえると、1クラス35人のうち、実に21人-24.5人の児童が、少なくとも、お尻を叩く、手の甲を叩く(以上、身体的虐待)、怒鳴りつける、睨みつける(以上、心理的虐待)などの「しつけ(教育)と称する体罰」を加えられていて、そのうちの3.50人-4.38人の児童は、「反応愛着障害(RAD)」が示す特徴と傾向を示している(慢性反復的(常態的、日常的)で、苛酷な被虐待体験をしている(きた)児童)ことになります。
 この虐待の連鎖問題とかかわるのが、「暴力のある家庭環境で育つ子どものMOMA遺伝子は活性化する」ことです。
 出生後、人の暴力性を目覚めさせるか、目覚めさせないかは、攻撃性と関係のある「MOMA遺伝子」の“スイッチ”を入れる体験、つまり、被虐待体験、戦争や紛争による虐殺体験(目撃を含む)が大きく影響しています。
 虐待を受けた(暴力のある家庭で暮らし、育った)人は、攻撃性と関係のある「MOMA遺伝子」の“スイッチ”を入れることなど、遺伝子レベルでひき継がれることがわかってきました。
 2002年(平成14年)、イギリスのロンドン大学のリサーチセンターのカスピ博士らにより、人の攻撃性(暴力的な反社会的行動)に関係しているといわれる「MOMA」と呼ばれる遺伝子が、暴力のある家庭で暮らし、育つこととの関係性を調べた研究結果がまとめられました。
 この研究は、「MOMA遺伝子の活性が低いタイプは攻撃性が高く、MOMA遺伝子の活性が高いタイプは攻撃性が低い」とされていることを踏まえ、MOMA活性が低いタイプのグループと、MOMA活性が高いタイプのグループが、それぞれ3-11歳のころの虐待の略歴を調べ、さらに、26歳になったときの攻撃性について、精神科・心理学的な調査や警察の逮捕歴などで調べたものです。
 カスピ博士らは、「MOMA活性が低いタイプでも、暴力のない家庭で暮らし、育っている(子ども時代に虐待を受けていない)ときには、攻撃性は見られず、一方で、暴力のある家庭で暮らし、育っている(子ども時代に虐待を受けて育っている)ときには、高い攻撃性が見られた。」、「MOMA活性が低いタイプの子どもは、虐待を受けることで過度の恐怖を感じ、常習的に虐待を受け続けることで、神経伝達物質システムと呼ばれる脳の働き自体が変わってしまい、強い攻撃性を見せるようになったと考えられる。」、「攻撃性が高いと思われるMOMA活性が低いタイプであっても、虐待を受けなければ、活性が高いグループに比べても攻撃性はむしろ低いくらいであった。」、「MOMA活性が高いタイプは、虐待によって脳の機能を変えられることから、自分を守る力を遺伝的に持っているかもしれない。」との研究結果を発表しています。
 この研究結果は、「子どもが、暴力のある家庭環境暮らし、育つ(虐待を受けて育つ)ことによって、“攻撃性(暴力的な反社会的行動)のスイッチ”が入る」ことを示すものです。
 このⅰ)「MOMA遺伝子の活性化」とⅱ)「乳幼児期の被虐待体験を起因とする6-8歳ころ(小学校1-3年生まで)には、「パラフィリア」の性的興奮のパターンは発達を終え、その性的興奮のパターンがいったん確立される」こと、ⅲ)身体的虐待としての「しつけ(教育)と称する体罰」で得られる痛みという刺激は、脳の快感中枢を刺激し、同時に、脳内麻薬のβエルドルフィンの働きで、パラフィリアとしての「性的興奮のパターン」を形成し、常習化(依存化)しやすいこと、加えて、ⅳ)成育歴で、「扁桃体」の興奮を「前頭葉」でコントロール(抑制)する脳機能を獲得できているかなどの視点が、被虐待体験と暴力性との因果関係示す「エビデンス」となります。
 また、こうした成育歴が、ア)世界に類を見ないほど多くの認知症患者数(アルツハイマー型認知症は、同じ海馬の萎縮が認められる(C-)PTSD((複雑性)心的外傷後ストレス障害)の発症者が高い発症リスクを抱える)、イ)自殺者数(子どもの死因の第1位は自殺です)、精神疾患患者、ひきこもり者(多くは精神疾患(発達障害を含む)の発症を起因としている)、ウ) リストカット・OD(大量服薬)、過食嘔吐などの自傷行為、エ)アルコール・薬物・ギャンブル依存((C-)PTSDの自己投薬としてされている)、オ)再演・性的自傷としての性暴力被害(援助交際・パパ活、管理売春などの性的搾取被害)を生みだしている根本の要因です。
 そして、この親の「子どもを懲戒する権利(懲戒権/民法822条)」が削除される2年前の令和2年(2020年)4月1日に『児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)』が改正され、体罰が禁止されましたが、懲戒権の残る限り、その効果は限定的なままでした。
 つまり、日本政府は126年間、親が、子どもに対し、しつけ(教育)と称して体罰を加えるお墨付きを与えてきたわけです。
 その結果、日本国民の一定数では、5-6世代にわたる子育てにおいて、「しつけ(教育)と称する体罰」は加え続けてきました。
 この「日本国民の一定数」は、戦前、昭和の話しではなく、平成30年(2018年)、子ども支援の国際的NGO「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が2万人の日本人を対象に実施した調査では、しつけ(教育)に伴う子どもへの体罰を約6割-7割が容認し、体罰(虐待行為)を加えていることから、いまの問題です。
 日本国民の70%-60%が、子どもに虐待(しつけ(教育)と称する体罰)を加えている異常な状況は、日本を蝕む社会病理といえます。
 「親に対し、しつけ(教育)と称する体罰(懲戒権)を認めた」ままで、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる」と記述してきた日本政府に対して疑問を覚えず、「こども日」に、疑問を覚えず、鎧、甲、鯉のぼり、五月人形などを飾り、柏餅を食べ、GWを楽しみ、遊び惚けている日本国民に対し、怖さを覚えます。
 親に懲戒権を認める一方で、子どもの権利(人権)を認めてしまうと齟齬が生じることになります。
 懲戒権を認めてきた中で、親を「加害者」「犯罪者」とすることはできないので、「被害者」である“子ども”を存在させてはいけません。
 そのため、一定数の日本国民は、「体罰は児童虐待である」というグローバルスタンダードな考えにもとづいて、子どもの心身の健康を育むための子育て(育児)のあり方を見て、聞いて、学び、身につける機会を逸してきました。
 同時に、日本では、「いかなる理由があっても、人に危害(暴力)を加えることは、人権を侵害することに他ならない」という考えに立てる人は、ごく少数という“いま”がつくられました。
 そして、『子どもを懲戒する権利(民法822条)』を令和4年(2022年)10月14日に削除(同年12月16日施行)したことに伴う関連法の条文においても、「子どもの権利の尊重」ではなく、「子どもの人格の尊重」と表記しています。
 「民法820条(監護及び教育の権利義務)」で、「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」、「同822条(懲戒)」で、「親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。」との規定が、この「同822条(懲戒)」は削除され、「同821条(子の人格の尊重等)」の後段が追加され、「親権を行う者は、前条の規定による監護及び教育をするに当たっては、子の人格を尊重するとともに、その年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ、体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。」と規定しました。
 つまり、日本の『家族法(民法)』における「親権」では、「子どもの人権を尊重する」ではなく、「子どもの人格を尊重する」と表記(規定)しています。
 このことは、令和6年(2024年)の本国会に提出された「家族法(民法)の改正案(共同親権法案)」において、『子どもの権利条約』で規定している「子どもの意見の尊重(子の意思表明権)」の表記を外したことにつながっています。
 この『民法』の一部改正に伴い、『児童福祉法』と『児童虐待防止法』も以下のように改正されました。
 「児童福祉法33条の2の②」で、「児童相談所長は、一時保護が行われた児童で親権を行う者又は未成年後見人のあるものについても、監護、教育及び懲戒に関し、その児童の福祉のため必要な措置を採ることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」、「同47条の③」で、「児童福祉施設の長、その住居において養育を行う第六条の三第八項に規定する厚生労働省令で定める者又は里親は、入所中又は受託中の児童で親権を行う者又は未成年後見人のあるものについても、監護、教育及び懲戒に関し、その児童の福祉のため必要な措置をとることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」との規定が、「同33条の2の②」で、「児童相談所長は、一時保護が行われた児童で親権を行う者又は未成年後見人のあるものについても、監護及び教育に関し、その児童の福祉のため必要な措置をとることができる。この場合において、児童相談所長は、児童の人格を尊重するとともに、その年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ、体罰その他の児童の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。」、「同47条の③」で、「児童福祉施設の長、その住居において養育を行う第六条の三第八項に規定する厚生労働省令で定める者又は里親(以下この項において「施設長等」という。)は、入所中又は受託中の児童で親権を行う者又は未成年後見人のあるものについても、監護及び教育に関し、その児童の福祉のため必要な措置をとることができる。この場合において、施設長等は、児童の人格を尊重するとともに、その年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ、体罰その他の児童の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。」と改正されました。
 「児童虐待防止法14条(親権の行使に関する配慮等)」で、「児童の親権を行う者は、児童のしつけに際して、体罰を加えることその他民法(明治二十九年法律第八十九号)第八百二十条の規定による監護及び教育に必要な範囲を超える行為により当該児童を懲戒してはならず、当該児童の親権の適切な行使に配慮しなければならない。」との規定が、「同14条(児童の人格の尊重等)」で、「児童の親権を行う者は、児童のしつけに際して、児童の人格を尊重するとともに、その年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ、体罰その他の児童の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。」と改正されました。
 「親権」としての『子どもを懲戒する権利(民法822条)』を削除したことを受け“改正”した『児童福祉施設』『児童虐待防止法』のいずれも、「児童の人権を尊重する」ではなく、「児童の人格を尊重する」と表記(規定)しています。
 このことは、日本政府が、「子どもの人権は認めない」という意思表示であることを意味します。
 そして、問題は、『家族法(民法)』の学者、弁護士、フェミニストに至るまで、この「人権」と「人格」の違いを認識していない人たちがあまりにも多いことです。
 また、『児童の権利に関する条約(CRC)(以下、子どもの権利条約)』と『女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(CEDAW)(以下、女性差別撤廃条約)』が禁止している「児童婚(18歳未満での婚姻)」について、日本は、13ヶ月前の令和4年(2022年)4月1日に民法の一部を改正するまでは、「児童婚」を認めていました。
 この民法の一部改正では、明治9年(1876年)の『太政官布告』を引き継ぐかたちで、成年年齢を20歳と定めて以降、147年続いた成年年齢を18歳に引き下げ、婚姻開始年齢は16歳と定められていた女性も18歳と引き上げられ、ようやく男女の婚姻開始年齢が統一されました。
 婚姻開始年齢が男女で異なる状況は、『世界人権宣言』の第1条「尊厳と権利とについて平等である」に反し、日本は、この状況を75年間にわたり放置し続け、しかも、昭和60年(1985年)6月25日に『女性差別撤廃条約』、平成6年(1994年)4月22日に『子どもの権利条約』に批准した日本は、37年間、同条約が禁止する「児童婚」を認め続けてきました。
  5月5日のこどもの日から1週間は、「児童福祉週間」です。
 「児童福祉週間」は、「子どもの健やかな成長、子どもや家庭をとり巻く環境について、国民全体で考える」ことを目的に定められたもので、児童福祉の理念の普及・啓発のための各種行事が行われています。
 ここでも、日本では、児童福祉の向上に不可欠な子どもの権利(人権)を表現していません。
 1954年(昭和29年)11月20日、国連は、世界の子どもたちの相互理解と福祉の向上を目的として、「世界子どもの日」と制定しました。
 以降、毎年、11月20日には、「子どもの権利の認識向上」と「子どもの福祉の向上」を目的として、世界中で子どもたちが主体となって参加する催しが実施されています。
 そして、1959年(昭和34年)11月20日、国連総会で『子どもの権利宣言』を採択し、これから30年経過した1989年(昭和62年)11月20日、国連総会において、すべての子どもに人権を保障するはじめての国際条約である『子どもの権利条約』を採択しました。
 以降、34年間、世界中で、子どもに関わるすべての人が、『子どもの権利条約』にうたわれている権利の実現に向けてとり組むことはもちろん、子どもたち自身が、自分たちの持つ権利について知り、学び、声をあげてきました(令和4年(2022年)11月20日現在)。
 一方で、日本政府は、子どもの権利(人権)、女性の権利(人権)だけではなく、国民一人ひとりに対して、一貫して、国民に対し「人権の保障」を明確に示そうとしません。
 日本基準ではなく、国際基準、グローバルスタンダードな基準にもとづいて、「子どもの人権」を考える日にして欲しいと思います。

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