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二極化 〜私の身の回りの状況から感じたこと〜

 正月も終わり、年始の仕事も一旦落ち着いてきました。世間では元旦からいろいろな出来事が起こり、良いスタートとは言いにくいかもしれません。皆さんはポジティブな気持ちで新年をスタートできましたか?今回は私の身の回りにいる人達から感じた意識の違いをお伝えします。


二極化した新年の挨拶

 先日、私の職場で新年の挨拶があり、少し違和感を感じました。全体朝礼の挨拶が「今年もよろしくお願いします」のみで「明けましておめでとう」という言葉はありませんでした。そのときは「毎年そうだったかな」と思いました。しかし、取引先も同じ挨拶の仕方だったため、これはもしかすると自粛というやつかなと感じました。先日の地震で被災している人がいる中、「おめでとう」という言葉は不謹慎だと思って皆で言わない雰囲気にしていたのかもしれません。

 その一方で職場以外の人は挨拶が違いました。息子の通う保育園の先生は「明けましておめでとうございます」と言ってくれました。他にも妻の職場では「明けましておめでとう」と普通に言われたそうです。保育園と妻の職場は人の世話をする仕事のため「明けましておめでとう」という明るい言葉を使うようにしているのかもしれませんが、場の雰囲気も明るい感じでした。

自粛することが倫理的で良い人なのか?

 私は祝いの挨拶を自粛する人としない人に分かれたなと思いました。悲惨な事態を重く受けとめ被災して辛い人達がいる中で祝う言葉は不謹慎だと思う人。その一方で、普段通り過ごしていて祝いの言葉を言う人。どちらが良い悪いではなく、自分は現在どんな意識で過ごしているかを自覚することが大事です。

 日本人は倫理的に自粛する人が多いと感じています。他人を思う気持ちは素晴らしいのですが、自粛が本当に被災地のためになるかまで考える人は少ないと思います。挨拶だけを自粛するならいいのですが、暗い感情のせいで遊びや買い物まで自粛してしまうと被災地にも影響が出ます。「被災地の人は大変なのに私達は遊んでいてもいいのかな?」といった感情がかえって被災地の復興を遅らせてしまう可能性もあります。

 なぜ遊びや買い物の自粛が復興を遅らせるかというと経済が縮小するからです。復興にはお金が掛かるため、人がお金を使わなくなると復興に回せるお金も減ります。皆さんが知らず知らずに買っている被災地の地元企業の商品も売れなくなります。地元企業の存在は復興に欠かせません。その地元企業の利益が減ると復興させる力も弱まります。被災地を応援したいなら経済は循環させた方がいいです。ただし例外もあって、被災地の電力が止まった場合は周辺の地方から電力供給をするので、その場合は行動の自粛が必要になります。

募金の注意点

 それと震災が起こると募金活動が始まります。募金は被災地の人にとって非常に助かることだと思います。しかし、募金する団体はよく選ばないと実は被災地の支援に使われていなかったなんてこともあります。少数でやっている詐欺団体なら見抜くのは簡単かもしれませんが、皆がよく知る大きな団体も疑った方がいいです。大きな団体の裏には支配層がいて中抜きしているなんてことはよくあります。

普段通り過ごすことに罪悪感はいらない

 私個人の意見としては、被災地の人が心配でも普段通り過ごして問題はないと思っています。上記で書いた経済が縮小するからという理由もそうですが、もう1つの理由があって、それは日本人の集合意識が落ちてしまうからです。人間は楽しいエネルギーも悲しいエネルギーも人から人へと移ります。日本人全体が悲しんでいるという情報を被災地の人達が知ったら「日本全体が暗くなるような惨事を自分達は経験しているのか」と不幸に思ってしまいます。被災地は避難所で集団生活している人達も多いため、悲しい感情はすぐに伝染します。そうなればさらに活力がなくなり、復興も遅くなるでしょう。

 反対に日本人全体が普段通り楽しく過ごしていれば、その情報を知った被災地の人は不安や悲しみを増幅させられることはないと思います。妬みや怒りの感情を持つ人はいるかもしれませんが、前向きになって復興活動に力の入る人も出てくるでしょう。これもニ極化なのかもしれません。

今後も加速するニ極化

 災害は今回だけでなく、これからも増えていくということは日本人全体として薄々気づいているはずです。明日は我が身と思い、備えをして1日1日を大切に過ごすことが大切です。今年や来年はこういった人々の感情を揺らす出来事が自然発生的にも人工的にも起こるでしょう。その時に「人工地震だ!」とか「エビデンスは!?」などという争いには参加せず、起こったことに対して自分ができることをやっていくしかありません。

 こういった大きな災害などが起こる理由の1つは、自分が生まれてきた目的を忘れている人が多すぎるからです。そこで、宇宙から死生観について考えさせられる機会を災害などの出来事を通して与えられています。この出来事が目覚めていく人と今のまま常識人として生きていく人のニ極化に繋がります。今は目覚めている人の数が少ないため、地球自身や宇宙の意識が大きな出来事を起こして呼び掛けています。じゃあすでに目覚めた人にはテストは来ないのかと言われれば、目覚めた人にはその人のレベルでテストが来ています。

 これからの時代は常識に捕らわれず、今までオカルトとされてきた目に見えない世界と向き合うことが大切になってきます。大きな災害が起こっても、宇宙から試されているという気持ちで自分自身の課題に取り組む人と、常識や政府の言うことを基準に生きていく人とでさらにニ極化は進むでしょう。ニ極化で分かれた人達が最終的にどれくらい考え方に差が出るのかは私にも分かりません。ニ極化が終わった後の未来では常識人から見た私は頭がおかし過ぎて宇宙人にしか見えないかもしれません。それも1つの個性的な人生で楽しいかもしれません。


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