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手遅れになる前に

先日といっても8月の初旬にアルバイト先で出会ったゲイのお客さんがいた。
そのお客さんが帰った後に店長に彼のことを聞いたら、近くのバーで働いているとのこと。
それから2ヶ月が経ち、彼の働いているお店にずっと行きたかった私は店長にお店の名前を聞き、Instagramで調べた。しかし、彼は1ヶ月前にお店を卒業していた。

結局彼とゆっくりお酒を飲みながら話すことも連絡先を交換することもできずに、私は彼のInstagramをフォローした。
最近はそういう「手遅れ」の場面が多い。先月投稿したnoteにも書いたように、中目黒にある冷やしネギ蕎麦も食べようと思ったら終わっていたし、ずっと買うか悩んでいた洋服も売り切れていた。

一期一会とは本当に尊いと思う。今の恋人とは
きっとあの日のあの時間にあの場所を歩いていなかったら付き合っていないし、ゲイの彼とは私があの日アルバイトに出勤していなかったら会っていないし。
出会わなかったらその人達の存在にすら気づけない。その方が未練が無くてむしろ良かったとしても、二度と会えなくても私は彼らに会えて良かったと思う。
ただ、あの時洋服を買っていればと後悔することはある。それはもうとてもある。
かわいいけど手持ちがなくてやめたあの鞄や、ときめいたけれど最近買い物しすぎだなと思ってやめたあの服。欲しいと思った時にはもう別の人の手に渡っているものだ。

必要な人には然るべき時に必ず出会うものだと誰か偉い人が言っていたような気がする。そう思うと運命も偶然もよく分からなくなってくる。それもそのはず、人間は理解し難い現象に名前をつけないと生きていけない病に侵されているからだ。運命みたいな偶然、偶然だと思っていたら運命。そんなこと私たちには分かるはずがない。
神様がいるかどうかも分からないのなら神様もきっと運命と偶然なんて説明できない。

私はしばらくその人間の病に侵されておこうと思う。
街でたまたま仲の良い人にあったら、その人に偶然だねと手を振り、居酒屋で出会ったロマンチストな紳士淑女には運命だねと焼き鳥片手に言ってみることにしている。
同意を寄せる、照れて顔を赤くする、恥ずかしそうに目を泳がす。反応は様々である。
でも、誰かの言った必要な人には然るべき時に必ず会うというのが正しいことなら私たちはきっと出会えてよかったのだ。

だから、嫌なことをいうバイト先の社員は散って欲しいと思う反面可愛いやつだなと愛おしく思ってしまうことまである。

会いたい人には会いましょう。いつか会えなくなるから。
欲しいものは買いましょう。いつか買うことすら億劫になるから。
食べたいものは食べましょう。あなたの面積が増えるのは素敵なことです。

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