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アンパンマンの言葉が頭から離れないので文章化した

徐々に記事を再度書けるようになってきたけど未だ回復途上にある。
記憶に残った日々の事柄を文章にまとめるのが僕の記事のスタイルなのだけど、件の事柄はピンポイントな内容が殆どでオチに到着させるのが非常に難しい。
でも、その事柄を記事にして吐き出さないと喉に刺さった小骨の様にずっと頭の中に残り続ける。
これが残っている間は次のネタが入る余地が産まれない。
そのためオチが思いつかない状態にも関わらず今回のテーマを書き出すことにする。

今回のテーマは図書館で借りたアンパンマンの絵本から。
長男はあまりテレビを見なくとも平気なタイプで、アンパンマンなどの番組も見なくとも癇癪を起こしたりはしない。
でもありとあらゆる子供向け商品にアンパンマンは採用されているので、日本に住んでいる限り絶対にアンパンマンに触れることになる。
そして、気づけば長男は図書館で絵本を見かけると借りたがるようになるほどにまでファンとなっていた。

子供の頃、僕はアンパンマンのアニメしか見ていなかったので、アンパンマンはばいきんまんをパンチして懲らしめて終わる勧善懲悪の物語でしかないとみなしていた。
ところが絵本の内容は思ったよりも社会に対する風刺が盛り込まれていたり、アンパンマンは殆どパンチしないなど予想を裏切る内容だった。
そんなアンパンマンが僕には新鮮に映っていた。

だからだろう。
アンパンマンが【アンパンマンとまほうのロープ】という作品で、悪さをしていたドキンちゃんがピンチの時にアンパンマンが助けた場面で発せられたアンパンマンの一言が忘れられずにいる。
その一言とはドキンちゃんに対する『 ぼくはてきだなんておもってないよ』という返し。
ばいきんまんやドキンちゃんは散々アンパンマンを攻撃して毎度酷い目に合わされているのに、アンパンマンはドキンちゃん(ばいきんまんも含むはず)をその様に認識していた事が衝撃的だった。

僕がもぐりんで身体に穴を開けられたり、だだんだんに踏み潰されたら間違いなく恨みを募らせ逆襲するに留まらず一生許すこともしないだろう。
なので、アンパンマンが何故ばいきんまん達を仕留めないのか昔から疑問を抱いていた。
でもアンパンマンは彼等を敵としてみなしていないと分かれば、中途半端な成敗(?)で済ませていることも成程納得出来る。

自分に害意を抱く人を許すというのは、許しを乞うという言葉がある程なので一般的だと思う。
一方で、害意を抱く人を敵として認識していないという事を表現する言葉を僕は知らない。
それだけアンパンマンの考えは僕にとって認知外だった。
そんなアンパンマンだからこそ、アンパンマンの商品でアンパンマンとばいきんまんが一緒に写っていても違和感が無いのだろう。
逆に仮面ライダーや戦隊ヒーローの商品に敵キャラが一緒に写っていたら違和感があり過ぎる。

アンパンマンは問題を起こす生徒(ばいきんまん)を指導する先生の様だ。
先生が問題児を悪と決めつけて潰してしまったら、その子は二度と善の道には戻ってこないだろう。
アンパンマンはそんな事をしないと認識しているからこそ、ばいきんまんは安心して問題行動を起こせるのかもしれない。

親が子を叱る際の目的も改善を促すため。
そこに暴力的な喜びを見出してはいけない。
そんな事をアンパンマンを読んで再認識した。
アンパンマンは実に奥深い。

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