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2回の離婚から学んだ喪失の記憶③

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私はまた「やってしまった。」


二回も繰り返した。同じことを。

それは、結婚を通して、

相手を助けるということだった。


1回目の結婚は、完全に、

私の方が自己愛性、境界性、依存体質

を無自覚に提げた状態で

パートナーと一緒になった。


彼は彼で、なかなかのツワモノだった。


なぜかというと、

服装倒錯という女装癖があったのだ。


毎日ウィッグを愛で、

女性らしい花柄の服を愛し、

ヒゲの跡を隠すためのドウランを探すのに

躍起になりながら、

オンラインゲームで

ギルドメンバーとのやりとりを楽しむ人だった。

もはや自分の性別を拒否しないと

生きていけないという状態の人だった。


もう思い出しても

ハチャメチャすぎる結婚生活。


表は、二人とも、誰しもが知る

大手会社に勤めて、給料も良く、

生活は安定していたが、


裏はめちゃめちゃだった。


お互いに愛し愛されるという関係性はゼロで、

どうすれば自己愛が満たされるか、

その刹那的な快楽が満たされるか、

そこだけ、全集中していたのだ。



離婚を決めたのは私からで、

私は幸せになりたいという気持ちと、

彼は彼で幸せになってほしいという

気持ちがあった。


二人が一緒にいても

二人は幸せになれない、

要はハリネズミみたいな関係性がそこにあり、

共依存関係どっぷりであったので、

二人のためにも次に進もう、という決断だった。



そして!


面白すぎるのだが、

私は更生されていなかった。


自分で仕事を立ち上げるということで

変な自信を持ってしまった私は、

また次の結婚でも繰り返した。


「オレ様」と結婚したのである。


彼はできないことがあっても、

全部肯定する人だった。


つまり、自分を大きく見せることに

躍起になっている人だった。


ものすごくイケメンで背が高く、

おぼっちゃま。


どう見てもモデルとしか見えない

出で立ちで、話していることも

「格好いい」


私はまんまと、また、繰り返したのだ。


「私はこの人のサポートがしたい!」


アホか。と、今になっては

頭をペシッと叩きたくなる。


私はそのあと、お付き合いも含めて4年間、

彼の夢のために全財産と私の人生を

捧げることになった。


私は頭が天才タイプなので、

どうすればこの人を

「引き立たせることができるか」

計算ができてしまう。


私は命をかけてまで、

彼の夢のサポートをしてしまった。



そして、力尽きたのだ。


結婚生活の最後の方では

力尽きてしまい、

もう半年間も寝込んでしまった。


ご飯をつくる気力体力しか

残っておらず、

いつだってイケイケの彼に

合わせていくエネルギーは枯渇した。



そう、彼はいつでもイケイケ状態で、

落ち込むということを

自他共に許さないという体質なのである。


これも後から知ったが、

幼少期のトラウマが原因とのことだった。


仕方がない。


終わったことは仕方がない。


私はまたもや、2回目になる離婚を

受け入れるしかなかった。


相手は変わらない。

彼はこのまま、

ずっとイケイケなのだろう。


私が変わったとして、

彼も変わったとして、

そこに愛が復活するかといえば、


もともとそこには愛がなかったことは

十分に承知だったので、

”何か”が復活することもないと悟ってしまった。


そんなわけで、考えていた。



一体、何がそんなに私を駆り立てたのか?


そんな時に、思い出す人がいる。


海外で出会った60代くらいの女性だ。


その人は、「4回結婚し、4回離婚した」

とのことを教えてくれた。



目がキラキラ、爛々している

その女性とゆるりと話す中で、

「オトコって、つまらないじゃない?」

「私、付き合った人には責任取って欲しいのよ」


という言葉が印象的だった。


どうも私個人の問題と被ったため、

そして、さすがにこの人生で

「愛し愛される」という感覚を掴まないまま

死んでいくのは嫌だったので、

私は自分の人生を変えることにした。


そこで向き合ったのは、

私のトラウマであり、

その最大の原点である、

悲嘆、だった。


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