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2回の離婚から学んだ喪失の記憶②

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面白いことに、

私の中にはとんでもないほどの

エネルギーがあるらしい。


それは、きっと、ただ一点に

集中しているんだと思った。


それが、「悲嘆」である。


これまでの私は、

トラウマやPTSD的な傷をかばうために、

理論武装し、外見を鍛え、女子力UPして、

世界のどの場所に行っても求められる

「作品」として自分を仕上げてきた。


オムライスにケチャップをハートにかけて

いけてる女子風を装い自撮りし、


モデル事務所に通ってテレビに出たり、

街でナンパされるのを楽しみ、

何人かにおごってもらったり、


婚活パーティーで出会った人に

お持ち帰りされるという

まぁ、上品なお嬢様というのは形だけで、

その裏ではなかなか面白い経験を積んでいた。


一番面白かったのは、

結婚という制度を使って、

私が自分を成長させようとしたことだ。


結婚、ではないな。

異性との交際を通して、というのが正しい。


私は機能不全家族の中で育った。

愛情は確かに私の中にあるが、

無条件の愛というのは

とても少ないように感じていた。


「良い子」でいなければ殺されるという

プレッシャーの中で幼稚園時代から成人し、

そのまま社会に出た。


愛情を、知っているようで知らない。

無条件の愛とはなんだ。

自他の境界線すら引けなかった私は、

自分が考えていることは

皆も考えているだろうと疑わなかった。


完全に、親子癒着、共依存体質のままで

私は大学にて恋愛し、

ハチャメチャをやらかしながら結婚した。


当然、その結婚生活は、

想像するにも耐えかねない、

度肝を抜くような日々だった。(今から考えれば)


人は鏡とはよく言ったものだ。


私と似た性質を持つパートナーだったので、

もうここには書けないような、

どんどんエスカレートしていく

快楽への欲求がそこにあった。


二人のための快楽ではなく、

自分一人だけのための快楽といった

破壊的な欲求である。


思い出すだけでも吐きそうになるけれど、

私はその結婚生活を通して、

そして決別を決断することを通して、

初めて、そう、初めて、


私は自分の人生を歩むと決めた。


忘れもしない、26歳の5月だった。


私は離婚を迷っていたわけではなかった。


そこにあったのは、

相手を失うことへの不安ではなく、

自分が本当に、自分の人生を歩んでいけるのだろうか?という

恐ろしい虚無感だった。


一人絶望して立っていられなかったので、

私は次のパートナーにまた依存した。


なんとその人はすぐに事態を察し、

「俺がこの子の父親になる」と

決めて付き合ってくれた。


私の話を華麗にスルーし、

時に厳しく諭し、

私が求める意味不明な

幼稚園ごっこにも付き合ってくれた。


そして、私は持ち前の「我」が

出始めた。


もともと、外部刺激に弱いのが

私の特徴である。


2016ごろ、

起業女子ブームというのがあり、

まんまと転がってしまったのだ。


私は、その時に掴みかけた

愛情というものをポイッと捨ててしまい、

キラキラした世界というか、

憧れのシンデレラというか、

そういう地に足つかない世界に

体質が合わないのに、はまってしまった。



そして、私の生きる世界は

シンデレラの国よ!と言わんばかりの勢いで

自ら別れてしまった。


もう境界性パーソナリティー障害の

極みとしか言いようがない。


自ら依存し、欲求をエスカレートし、

さらには自分で関係性を立ってしまう。


モラハラ気質、依存、傷つき、etc…


一体私はどういう育ちをしてきたのだろうかと

ふと我に帰った時、

ひどいな。と感じる。


世間を正解とし、

自分を不正解とした私。


先生を正解とし、

私を不正解とした。


だけども、そんなどうしようもない私を

救ってくれたのは、お客様だった。


なんと、コーチング、カウンセリングを

提供していたお客様から、

私は浴びるように人生を教わっていた。


「なぜそう考えるのか」


私の持つ最後の切り札は

好奇心である。


クライアントのことを理解しようと

私は質問に質問を重ね、

また、クライアントはがんばって言語化し

私に伝えてくれた。


このやりとりを思い切り重ねていき、

私は人というものを知っていった。


それまでの私は正解人間だったので、

人の中の想いとか、

感情が発生する源泉とか、

行動パターンの背景にある人間関係とか、

なんとまるで無知だったのである。


無知すぎるから、

わからないことが多すぎたから、

もう、まっさらな状態で

クライアントに傾聴していたのだと思う。


どのクライアントもどんどん

自分の本当の想いに気づき、

成長し、行動を重ねていった。


そしてまた、私も、

人間という本質を知り、

知見を深めていった。


そして、さらに面白い出来事が

起こった。


また、私は繰り返したのである。

結婚というものを。

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