男の『ずっと一緒に居たいと思ってる』という言葉を信じてはいけない理由
日本語って奥が深い 外国人の方でもし日本語を習得しようとしている人がいたら、大変その難解さに四苦八苦すると思う だって、日本人でも相手の話す日本語、言葉を本当に理解するのは難しいのだから
とにかく明確な意見や本音本心を言わない 曖昧な言葉で、イエスともノーとも取れる言葉で核心をぼやかす それは、日本人の控えめな性質であったり、相手を傷つけない為の優しさであったり、自分を謙り下り相手を立てるという謙虚さ、はっきりと物を申すことへの節操の無さという概念が、文化や美徳として根付いているからだと思う
英語圏の人は、『I hate 〜』と、はっきりと嫌悪している、嫌い、憎むということを言うが、日本人はこれを言うことを逆に嫌う と言うか、避けたい… 結構はっきりと物を言うわたしでさえ、嫌いという言葉を使うことは憚られ、『苦手』『あんまり好きじゃない』『好んでは選ばない』といった表現でそれを表す
だから、一概に男性のはっきりしない態度だけを取り立てて否定してはいけないんだけど… 恋愛においては男のそれが特別に突出するような気がする
その中でも一番もやもや案件なのがこれ
『ずっと一緒に居たいと思ってる』
女が
『(わたしとのこと)どうするの?』『これからわたし達どうなるの?』『何がしたいの?』
といった質問を投げ掛けた時に出る一言
『ずっと一緒に居たいと思ってる』
誰もそんな瞬間の気持ち聞いてない
女がこんな質問をぶつける時って、ふたりの将来、未来への展望の答えを聞きたいのであって、感情論ではなく建設的な話し合いがしたいわけよね それなのに、そんな言葉を聞かされても、それは分かってるからだからどうなのよ?って
『(余計な飾り言葉は要らないから)イエスかノーで答えて』
っていう言葉を女に言わせるのは、日本人の男だけなんじゃないかと思えてくる
尾びれはびれ、言い訳はいいから、はっきり言ってくれ!って 答えはイエスかノーしかないんだから、結婚する気があるのか?一緒に暮らす気があるのか?もし公に出来ない関係性ならそれを公にする気はあるのか?このままの関係性を打破して一歩前進していく気はあるのか?
そこを聞いている
ほんと『ずっと一緒に居たいと思ってる』なんて言葉、なんの答えにもなってない そんなの誰にでも言える だって、責任を取らないファジーの中のファジーな返答だから
後からね?あの時、『ずっと一緒居たいと言ったじゃない!』と詰めると
『あの時はそう思ったから言った 気持ちの部分を言った』
と言う 逃げ道を作ってたんだね この先に詰められても保身できるように…
日本語ってほんと難しい… そして如何ようにも受け取れるから、こちら側に読解力や理解力が求められる その言葉の裏の裏にある相手の気持ちを読み取り、理解して、自分と向き合って、結局は自分が質問したのに、自分が答えを出さなければいけない
はっきり答えを出さない、ずっと一緒に居たいと『思ってる』なんて言う男の言葉を信じてはいけない
曖昧な言葉であなたを繋ぎ止めようとしているだけで、あなたの人生や未来を背負う覚悟や勇気、一部の犠牲を払う気概のない男だから、この言葉を聞いたら、離れていく準備をしてほしいと思う
ひとつ、お相手を庇うとしたら、今はそう思ってる、そう言った これからの関係性は変わる可能性があって、彼の気持ちも変わってゆくかもしれない 今が人生の全てではない、ということは、伝えておきたい
ただ、ふたりの将来のことを明確に話せない男との未来は、無いものとして、これからどうするか?どうしていくか?を、感情ではなく、現実的な視点で、両目を開けて見届けていって欲しい
女性として、自信を持って生きられる時間は限られている いくつになっても女だし、そのことは忘れることはない でも、時間は有限で、無常に我々の他者からの評価というものが失われるのだとしたら、無駄な時間を使って曖昧な空間に身を委ねている時間は、ない 男の決断力の欠如に付き合っている暇も、ない
ずっと一緒居たいわよ、好きなら
でも好きなだけじゃ乗り越えられない、続けていけないのが、大人の恋
子供の頃は早く大人になりたかった
きっと、周りの大人達が自由に見えたからなのね でも、実際に大人になってみたら、なんて子供は、学生は自由なんだろうと思うようになった しがらみが酷くて、前にも後ろにも進めなくて雁字搦め 自分のことだけを考えて人生を進められない、勢いだけで動けなくなった もっと自由に、もっと無邪気に、誰かを愛し、飛び立っていければと願うことさえも、諌める自分がいて
長いようで短い人生
ほんの少しでいいから、思い通りに過ごせる愛に溢れた時間が、欲しい…
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