見出し画像

「私は恋愛至上主義」と言い切った女と「無償の愛」を受け入れた女


女子のバイブル 
『SEX AND THE CITY』

恋愛系は観ないが、これだけはそりゃあ観る よね だって、女子だから


『SATC 』は恋愛を軸としたドラマだけど、大人の女の生き方、宗教、人種、性的マイノリティ、仕事、ファッション、そして友情など、様々な社会問題やスタイル等が散りばめられていて、決して恋愛だけに特化した作品ではない


そんなところがとても興味深いのだけれど、実は同じ女子であっても、全てに共感が生まれるわけではなかった う〜ん、ここはどうなのかな?と思うところもまた、丸腰で恋をしているキャリーだからこそ許される、それが『SATC』


みんなのバイブルになった所以とも言える


わたしが一番共感出来なかったというか、これはすごい!と慄いたのはー


最終章、最愛の人BIGと結ばれる前に付き合っていた世界的芸術家でロシア人のアレクサンドルについてきて欲しいと懇願されて、親友たちを残してCITYを離れ、パリに向かったその先で


アレクサンドルにその仕事の忙しさから放置され、最後に決定的な瞬間を迎えた



ここでアレクサンドルに放ったキャリーの強烈な言葉


「私は恋愛至上主義の女なの!本当の愛が欲しいの!バカみたいに振り回されても、消耗しても、お互いがいなきゃ生きて行けないって思わなきゃ、一緒にいる意味がないのよ!」


度肝抜かれた!


これくらいの大人の女性が、好きな男を前にして、自分は恋愛至上主義だと言い切る根性と勇気、そのアイデンティティに感服した


わたしは恋愛至上主義者ではないけど、本当の愛を探して見つけては壊れてまたその愛を求めるところにおいては、キャリーとそう違わない それでも彼にこれは言えないし言わない 


何故なら、重い女と思われたくないから


そんなわたしはチキンだ


キャリーのあの堂々とした発言、凛とした臆することのない姿に、感動さえ覚えた


きっと、彼女がアメリカ人だから、わたしは日本人だからの差ではない 恋に生きる覚悟の差を思い知った回だった


愛とはエゴだ


愛に無償の愛があるのだとしたら、それは分身である我が子への愛のみだろう


自分の子供の為なら、その悲しみも苦しみも代わってあげたい、この命を引き換えにしても守りたい、そんな思いで愛すのだろう


けれども、彼の為に死ねるか?


多分それは出来ない


そういうことじゃない


彼を愛するということは、自分を愛した上で彼を愛してる


これがエゴなんだけれど


自分を愛せない人間は、他人を愛することは出来ないと、わたしは絶対的普遍的な見解で、愛と向き合っている


愛には責任が伴う…
それは、夫婦愛、家族愛においては分かりやすい 当然だよね
相手の人生を背負っているのだから


恋愛においての責任は、相手を信頼し、裏切らないという誓いなんだと思う 何も養って貰ってないし養ってもいない相互関係の中で、相手を信じ、自分を信じる責任がなければ、愛を続けていくことはできない


見返りを求めない愛など愛とは呼べない


愛したら愛した分だけ返して欲しい


それが返ってきて初めて 


彼に尽くし、彼を理解し、彼を知って自分の全てを捧げ、我慢も出来る


相手は自分の写し鏡


相手を見れば、自分がどういう人間かが分かる 自分の悪いところいいところ、多分お互いに持っていて、似ているはず


人は優しくすれば優しさで返ってくる
人は意地悪をすれば意地悪で返ってくる


人の感情というものは、連鎖し、反映され、そして最後には自分に返ってくる


だからこそ、愛すれば愛しただけ同じだけ返して欲しいと願うことは


そんなに悪いことなの?


恋愛関係は対等よ


同等でなければならない


イコールか、それ以上でなければ


あなたを愛せない…


あなたを尊敬はしても、わたしのものにならないのなら、愛しても仕方がないと思う女の愛は、確かに


エゴだ



わたしの『SATC』の中で一番シーン


サマンサとスミス


サマンサは元カレのホテル王リチャードを愛し過ぎた為に、超年下の彼スミスにはハマらないようにしていた サマンサは元々が女としても、人としてもとても自立した女性で、そんな彼女にとって恋愛はSEXだった


これまでにもスミスが絶大な愛を注いでくれていることは分かっていた でもそれをどうしても受け入れられない、自分が彼を愛することに怯えてそこから逃げる為に、たまたまパーティーで再会したリチャードとスミスの前でスイートルームに消えていく…


リチャードと行為に及んで初めて、サマンサは自分の本当の気持ちに気付く 髪はボサボサ、ドレスは捲りあがり、顔は涙でマスカラが流れて真っ黒 そんなボロボロの状態でエレベーターでパーティーフロアに戻ると


スミスがエレベーター前のソファにどかっと座ってサマンサを待っていて、お帰りと言う 
サマンサはまた顔をぐちゃぐちゃにしながら、あなたを裏切った自分を許せないと泣く そんなサマンサを彼は温かく包み込み、いいんだよ、帰ろうと本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて言った


スミスのサマンサへの愛は無償の愛に近い
わたしは号泣しながらこのシーンを何度も何度も観た たった今自分を裏切ってきた女を受け入れ更に愛す… そんなスミスを一切関係ないわたしも愛した


わたしが無償の愛ではなく、無償の愛に近いと思ったのは、そこにはサマンサの自分への愛を確実に感じ取っていたから 必死で隠そうとしても見透かされた愛があることをスミスは分かっていた


だから、スミスは彼女の全てを許し、彼女を理解しているからその全てを受け入れて愛が増す…



愛とはエゴだ


けれど、その先にあるものは許し


相手を許し、自分を許す


この境地に陥った者だけが、本物の愛を手にする 男女の愛とは爽やかなものではなく、ドロドロとした泥のようなものだから


マスカラが流れてパンダみたいになってるわたしをそれでも愛してくれる?







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?