振り返ってみればあっという間

もう今年も終わりですね。
私がnoteを初めてほぼ一年。たくさんの人に出会って、言葉や思いに触れることができた。それだけでも充分だな、と。
それに、私自身も変わったし、発見も得られたものもたくさんあったと思います。

…やっと、戻ってきた気がするんです。今までの私も、私の心の中の人も。今の私も、今の友人も、過去と全く同じものではないけれど、でも確かに、なかったものが今はあると思えるから。

このアカウントも、いなくなった人の寂しさを紛らわすために作ったようなものでした。だから、始めた頃は自分のものを書くので精一杯で、誰かの書いたものを読む気力もなく。心に余裕が出てきて、次第に人のものを読めるようになって。
…それから、かもしれません。「自分」が何か、分かったのは。
人の言葉や思いに触れると、自分を振り返ることになる。共感するかしないか。同じ経験があったか。人の話を鏡にして、自分の心が見える。
それに、自分の知らないことを知るきっかけになる。気がつかなかったことや、知らなかったことがたくさんあるのだと感じる。世界って広いのだな、と思う。そうすると、己の非力さも、仕方ないような気がしてくる。全部を知る、理解するなんて無理なんだ、と。ある意味では諦めの気持ち。でも、完璧主義ゆえに視野が狭くなった状態では、その諦めは大切で。
…というか、苦しさの原因が完璧主義を掲げることだったと気がついたのも、人のおかげでした。

そもそも自分の感情や気持ちに気がつかなかった。ただ漠然と、なんとなく、辛いような。でも、他人と比べるほどじゃない。なんて思っていて。それを自分の主観で辛い、苦しいと言ってもいい、と教えてくれたも、やはり自分以外の存在で。
弱さを認められない自分、人に甘えたい自分、天邪鬼な自分…。いろんな私が心の中にある。その両極端な部分が大嫌いだった。
でも、私の友人たちは、それも含めて私だと言ってくれた。〜でなければいけない、なんてことはない、と。つまらない言葉にすれば、なんでも好きにすればいい、ということで。
単純かつ当たり前。そんなことを忘れていたのか、と自分でも驚きました。
おかげでその後も、嬉しいとか悲しいとか、辛い、苦しいとか、ポジティブな感情も、ネガティブな感情も、少しずつですが、自覚し言葉にできるようになりました。

私の色々な面を受け止めてくれる友人に、私に見えない世界を教えてくれる人たち…
そんな人に出会えて、本当によかったと思います。

お付き合いくださって、ありがとうございました!




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