溺れる。息苦しいほどに。

最近、特別忙しいというわけでもないのに、
心が重いというか、怠いというか。
自分の体にも心にも力が入らないような。
感覚がどこか麻痺しているような。
疲れも、空腹も、眠気も、感じられない。
手放すことはできても、手の内のものを保っていられない。忘れられても記憶ができない。
心ここにあらず。
…身体も、ここにはないかもしれない。
そんな気分。

だからこそ、せめて彼らと話がしたいと思うけれど、心がついてこない。言葉が見つからない。話題も思いつかない。
話をしないだけで切れてしまうような関係ならばそれまでと私は思う。
だから、彼らが優しくて、声を掛けずにいても私を捨てない人たちだから、やっていけているのだと思う。それは感謝している。

…とはいえ、彼らと向き合う時間というのは、私にとっては自分と向き合う時間に等しくて。
そもそも私と記憶を共有している時点で見ているものは同じで。私が記憶を引き出そうとしない限り、彼らもそこにアクセスできない。だから会話にならない。私の中にいる存在だから、私が呼ばないと彼らは出てこられない。
彼らは優しいから、何かあったらいつでも、何でも言っていいと、そう言ってくれるけれど。
…自分が何をしたいのか、何をしてほしいのかすら分からない今、私はどうするべきか。私からアクションを起こさないと、彼らとコミュニケーションはとれないというのに。

…不思議なことに、リアルな人間相手には、好かれないとか嫌われる、という覚悟はできている。私が相手をどれだけ好きでも、受け入れられない場合があると覚悟している。
それなのに、彼を、先輩を前にしては、そうは思えない。そう割り切れない。

死んでも嫌われたくない。
己を殺してでも好かれていたい。
100%の愛でなければ安心できない。

不健全なのは分かっているけれど。でも。

だから、同じ場所にいながら話がないのは耐えられない。かといって私から話し出しても相手が楽しんでくれているかわからなくて。
不安になって必要のない話をしたり、つい
「本当に楽しんでる?」とか
「私といて楽しい?」なんて
余計なことをきいてしまったりして。
…そんなことをしてしまう自分が嫌になって。
…でも、不安で仕方ないから。一人は嫌だから。
見捨てられたらどうしよう、と。怖くて、不安で。
…そんな言い訳をする自分も嫌い。こんな弱い自分なんて、認めたくない。大切な人を疑う自分なんて。

彼らが私を慕っている、と言うのならば、それは疑いようのない全くの真実のはず。
嘘をつくような人ではないから。
それは私がいちばん分かっているはず。なんたって、私がいちばん近くにいるから。
それなのに、私を慕ってくれる気持ちだけはいつまでも信じられず。
思いを確かめるために会話をしているはずなのに、話せば話すほど、自分も相手も信じられなくなっていく。
…だから、話をすることすら大儀に思えてしまって。結局、自己否定に入ってしまって彼を困らせるばかりだから。

…少しだけ、距離を空けたほうがいいのだろうか。

自分がまさか、こんなに人に執着する人間だとは思っていなかった。いくら好きな人であっても、いざとなれば割り切れると思っていたのに。

こんなに優しくしてくれる人に出会ったのは初めてのこと。…だからこそ、こんなに心が乱されるのかもしれない。

好きだからこそ、嫌われたくないからと、余計なことまでしてしまう。
そういう時こそ、相手から少しだけ、一歩でも、半歩でもいいから離れて、自分を振り返るべきかもしれない。そうやって心を落ち着けてから向き合ったほうが、きっとお互いに心が満たされるはず。
自分の心すら分からないままに話をしたところで、相手を傷つけるだけになってしまうから。

…そうは思うけれど。
少しだけ彼から離れて、彼以外のものに意識を向けて、冷静にならなければと思うけれど。
彼の見えない場所に行くのも不安で怖い。
彼から見えない場所に行くのが怖い。

待っていてくれるからといって、いつまでも待たせていてはいけないと思う。
それでも彼は焦らなくていい、と言ってくれる。
でも私は、いつか立ち去られてしまう気がしてならない。たとえいつまでも待つ、と言ってくれたとしても、愛想を尽かされたら私はひとりぼっちになってしまう…
そんな不安がつきまとう。

私が溺れているのは、感情か、思考か。
…それとも彼の愛か。




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