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〜思いやる?すれ違う?〜

こんにちは!
れもんちゃんです🍋‎🤍

相手を尊重するには、
気持ちを推し量ることが大事だとは思うのですが、

空気を読みすぎて、しんどくなるのも
良くないと思うのです。

優しい人ほど、パンクするまで相手を想いやって、
突然電池が切れて、再起動するのに時間がかかります。

そっとしとくのが最善だと思うのですが、
相手側からすれば、急に連絡が取れなくなったりして、

「あの人薄情なんだね」とか、
「期待してたのに裏切られた」とか
言われるわけですよ。

優しい人側からすれば、無意識下で
「こっちはこんだけ優しくしたのに」
「あなたのわがまま、たくさん飲み込んだのに」
って思ってるはずです。

そりゃ積もり積もってしんどくなりますよね。

お互いが心地いい距離感を保てれば、
あるいはそういったところも全部ひっくるめてその人だと認めることが出来れば、
お互いつらい思いをしなくて済むんじゃないでしょうか。

私には友達と呼べる人がとても少ないです。
その中でも定期的に会っている人は、1人しかいません。

その友達が、私のとこを全部ひっくるめて認めてくれてるのか、
単純に距離が近すぎなくて、平穏でいられているのかは分かりませんが、

少なくとも私にとっては、かけがえのない人間です。

友達って一番儚い関係性だと思います。

法的にも、世間的にも、拘束力がなくて、
定義も人によって曖昧。
知り合いと友人と親友の境界線も分かったもんじゃありません。

しかも、ひとりが友達の定義をハッキリさせていても、
その相手が曖昧な感情であると、すれ違いが起こります。

私はよく少女漫画や恋愛漫画を読むのですが、
『両片思い』という、焦れったいシチュエーションがよく出てきます。

フィクションとしては盛り上がれる展開ですし、
ドキドキしながら鑑賞できるのですが、
もし自分がそのシチュエーションに陥ったら、
苦しくてつらくて、モヤモヤして耐えられないと思います。

10代の頃は『恋に恋する女の子』だった私は、
両片思いだとあとから知ったことがたくさんあります。

学校を卒業してから、あるいは相手が転校してから、クラスが別れてから、
「実はあの人、れもんちゃんのこと好きだったらしいよ」とか言われて、

「早く言ってよ!!!!!!!」
と叫んだことが何回も何回もあります。

キレ散らかします。
告白しなかった自分にも、告白してくれなかった相手にも、
つらい気持ちを昇華できなかった自分にも。

両片思いも、友達というものの解釈違いによるすれ違いも、
とってもよく似てると思います。

人間同士なので、仕方ないのです。

よくSFもののゲームやアニメで、
言語によるコミュニケーションは非効率的だとか、
概念伝達やテレパシーで、齟齬がなく全て伝わる
といった設定が出てくることがあります。

2024年現在の人間は、
言語と非言語コミュニケーションを組み合わせて
お互いの意思疎通を図ります。

しかも文化や風土によって、非言語コミュニケーションの持つ意味が変わってくることも多々あります。
首を横に振る仕草が、国によって意味が違ってくるとか、そういうのが分かりやすいですね。

近い未来(遠い未来かもしれませんが)、
齟齬が全くない、考えや感情が全て完璧に伝わる、
なんてことが出来るのでしょうか。

本人でさえも形容しがたい感情すらも、
相手に伝わってしまう日が来るのでしょうか。

そしたら優しい人なんか生まれないかもしれませんし、
なんなら優しい人が絶滅する未来が、私には見えてきますね。

あなたはどう考えますか?
コメントという、全てが伝わることが有り得ない形式で、
考えを伝えてくれると、面白いです。

れもんちゃんの無計画お喋り
第九回でした🍋‎🤍

𝓽𝓸 𝓫𝓮 𝓬𝓸𝓷𝓽𝓲𝓷𝓾𝓮𝓭

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