X(twitter)の絵柄変遷年表をポストしてみた
絵柄を比較してみた
6月19日にXとBlueskyで#絵柄変遷年表を付けて2014年と今年2024年のイラストを比較して投稿した。さかのぼるとスマホに残ってある最古の絵は2014年だった。今年の絵は下書きなのでまた時間があればペン入れと色を塗ります。
こうしてみると描き続けるとうまくなるものだと感じた。今通っている漫画教室に入ったのはこのときからおよそ4年後になるかな。それでも6年くらい通ってるのか。時の流れは早い。
ちなみに下の画像が絵柄変遷年表です。
アンノさんという方が作成したテンプレ画像をお借りしました。ありがとうございます。使い方がわからずただ画像を借りただけなのですいませんでした。
投稿して昔から描いてたことを思い出した
幼稚園・小学校時代
漫画教室以前だと幼稚園(保育園)にお遊戯のとき(タイトルはどんぐり山だったような)のほかにもカービィの絵をたくさん描いていた。
小学校のときはマリオのようなゲームステージを描いていました。今ならばマリオメーカーとかマインクラフトみたいなゲームをやってたかもしれない。
ゲームはゲームボーイでカービィとポケモン、スーファミはボンバーマンを主にやっていた。
この当時は積み木やレゴを組み立てて、ゴム人形やソフビ人形(SDガンダム・SD武者ガンダムとかカービィとか持ってたというより譲り受けた)でバトルの人形遊びしてたような気がする。家にいるときいつも遊んでいたけど何をしていたか思い出せない。
中学・高校時代
中学・高校のときは漫画とかイラストは描いてなかった。授業→部活→ゲームのローテーションみたいな一日を過ごしていた。漫画家さんは雲の上の人だろうなと思っていた。絵はほとんど描いていない。このときからブックオフで立ち読みするとかよく利用するようになる。
ゲームは主にパワプロ・スパロボ・ドラクエをやっていた。基本的には弟がやっているのを見ていた。
大学時代
ただなんとなく自分の持っていた漫画を描いていた。当時は模写という単語を知らなかった。模写っぽい感じで描いていた。エロゲとか萌え系美少女マンガ(今でいうきらら系)の作品を買ってきて描きたいときに描いていた。このときは漫画家・イラストレーターになるという選択肢はなく公務員か銀行員、サラリーマンを目指していた。安定した仕事に就くのが正しいと思っていた。(今でも正しいと思っているしすごいよなぁと思う)
模写っぽいことと講義と合間に落書きする程度しかしてないし漫画家自体が相変わらず雲の上の存在なので社会人になろうと決めていた。
社会人時代
社会人になったらやめなければいけないと思ったので大学のときに描いたイラストは捨てました。家庭を持って仕事しなければと思って処分して仕事に専念しようと決めてました。
しかし、仕事はできず役立たずで彼女作るなんて考えること自体が申し訳ないと思った。楽しむことなんてもってのほかでしょう。
精神科に通うようになって自分がいなくなればいいやと思っていた。障碍者手帳の発行をして障碍者として生きるほうがいいかもしれないと思っていた。
いいことが自分から避けようと思ってもどんどんやってくるので自分だけが犠牲になることをあきらめて精神科に通うのはもういいやと思えてきた。
そのとき漫画家・イラストレーター目指すか創作を趣味にしようと決めた。漫画とかゲーム・アニメに親しむほうがいいよなと思った。どうも漫画・イラストは描かないとダメみたい。アニメや漫画・ゲームに接することが自分の人生であり進む道かもしれない。
結構長文になってしまった
絵柄変遷年表を投稿して幼稚園(保育園)くらいから絵を描いていたなぁとしみじみ思った。思ったより丁寧に書いてしまった。また機会があれば(思い出したら)詳しく書くかもしれない。
あと、小学1年生(たのしい幼稚園だったかもしれない)の応募者全員サービス(もしかしたら抽選だったかも。付録は大きすぎるから違うような気がする)のカービィのスタンプが当たったのがうれしかったのも思い出した。